戦後の静岡県二俣町で起きた冤罪事件、その真相は? ノンフィクション・ノヴェル『蚕の王』の凄み
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安東は作中に自分自身を登場させ、調査を進めていく令和の現在と、事件捜査が進行していく昭和の過去とを並行して書いていく。1956年生まれの安東は二俣事件を直接体験したわけではないが、自分を構成する歴史的要素の中にそれが含まれているという感覚があったのだろう。不合理な過去を抱えたままで現在を生きることができなかったのだ。ミステリー作家が先祖など自らの係累が関係した出来事を描いた作品の先例には柴田哲孝『下山事件 最後の証言』(2005年。祥伝社文庫)などがあるが、本作もその系譜に連なるものだ。
事件発生当時、最初は警察の到着を歓迎していた二俣の人々が、やがて口を鎖して何も語らなくなるという場面が作中にある。「へたなことを口にしたら、その場で連行され、ひどい目に遭わされる」と考えられるようになったからだ。それほどに赤松たちは、市民に対して暴虐であった。しかし彼は自身が正義を行っているという信念の人だったのである。人間から乖離した組織が、いかに怪物を生み出すかということだろう。赤松だけではなく、彼の引き出した自白を元に死刑を宣告した裁判官もまたしかり。彼らが特異点ではなく、同じようなことが繰り返される可能性はこれからもあると示唆して、物語は黒い幕を下ろす。