萩尾望都が恩田陸の吸血鬼小説『愚かな薔薇』を絶賛する理由とは? 『ポーの一族』との比較から考察

 恩田陸が「Sf Japan」誌で連載を始め、「読楽」へと移って14年をかけて書き上げた『愚かな薔薇』(徳間書店)が刊行された。2022年3月末までという限定カバーに萩尾望都が描いた、腕から血を流す少女のイラストに、萩尾の代表作『ポーの一族』との関連がまず浮かぶ。本作は、永遠に生きる吸血鬼に憧れる気持ちと、親しい人たちとは違った時間を生きなくてはならない不安がない交ぜになった、思春期の少女の迷いを描いた青春ストーリーなのか?

 これは半分正しくて、半分間違った認識だ。『愚かな薔薇』という小説は、吸血鬼という存在が持つ悲劇性を正反対にねじ曲げて、人類にとって重要な存在であるかもしれないということを示唆する壮大なSFだ。表紙絵を寄せた萩尾自身が、推薦コメントに「これは21世紀の『地球幼年期の終わり』だ」と書いているのだから。

 吸血鬼漫画の傑作『ポーの一族』の作者が、人類の進化を描いたアーサー・C・クラークの傑作SFを例として挙げている。どういう意図なのか。『愚かな薔薇』の舞台は、現在の日本とそれほど違わないように見える世界。14歳の高田奈智は、4年ぶりに生まれ育った磐座(いわくら)という地へと戻り、あるキャンプに参加した。

 年齢の近い少年少女が集められたキャンプで奈智は、体の変調を覚えて大量の血を吐いてしまう。変調は奈智に限ったことではなく、キャンプに参加している少年少女にも広がっていく。やがて奈智も含めた少年少女は、他人の血を求めるようになる。

 こうしたストーリーから漂うのは、地方の信仰や伝承にまつわる一種の伝奇小説といった雰囲気だ。それがどうして『地球幼年期の終わり』なのか。実は磐座という場所は、「虚ろ舟」と呼ばれる宇宙へと出て行く船の拠点になっていて、そこから大勢の人類が宇宙との行き来を行っていた。

 キャンプは「虚ろ舟」に乗る「虚ろ舟乗り」を見つけ出すイベントで、政府も資金も提供して支援していた。それほど「虚ろ舟乗り」は重要な存在で、たとえ他人の血を必要としても、人外として虐げられる吸血鬼とは正反対に名誉ある地位が与えられていた。

 ここが、恐怖や悲劇性を感じさせる数多の吸血鬼の物語と『愚かな薔薇』との大きな違いだ。吸血鬼が差別を受けている世界で、命を使い捨てても構わない存在だからという理由で、吸血鬼の少女が初の有人宇宙船のテスト飛行士にされる牧野圭祐『月とライカと吸血姫(ノスフェラトゥ)』(ガガガ文庫)とも違った扱いがされている。

 それでも、誰かの血を求めることに奈智は抵抗感を覚えていた。「虚ろ舟乗り」になることにもあまり名誉を感じていなかった。永遠に近い命を得ることで失う、普通に生きている人たちとの関わりを惜しんだのかもしれない。そんな奈智の葛藤を乗り越えさせるような秘密を、作者は読む人にぶつけてくる。

 政府は「虚ろ舟乗り」をどうして必死に増やそうとしていたのか。「虚ろ舟」はどこへと向かって飛んでいたのか。それらが明らかになった時、萩尾が『地球幼年期の終わり』を例に挙げ、「山間の夏祭りの中で少年や少女が変化していく。これは進化なのか? 人類はどこへ向かうのか?」とコメントしていた意味が分かる。『ポーの一族』で紡いできた物語とは違った視点を吸血鬼に与え、ブラッドベリの短編を漫画で描くくらいSFが好きな萩尾の感性に、驚きをもたらしてくれた作品として推したかったのかもしれない。

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