町田そのこ『星を掬う』の主眼は、母娘の関係やDVの問題を突きつけることではないーー人間関係が織りなす、豊かな物語

 『52ヘルツのクジラたち』で2021年本屋大賞を受賞した、注目の作家町田そのこ。このたび、待望の受賞後第一作となる『星を掬う』が上梓された。

 本作は、幼い頃に母に捨てられた事が心の傷となった主人公が、思いがけないかたちで出奔した母と再会するという、母と娘の関係性をテーマにした物語である。この二人を中心に、さまざまな女性たちの姿を通じて、生きることの痛みや苦しみ、そして最後にたどり着く希望が描き出されている。胸が苦しくなるようなシリアスな展開が続くが、その痛みを経たうえで見出す光は、どこまでも優しくあたたかい。

 パン工場で働く芳野千鶴は、数年前に別れた元夫から今でもたびたび暴力をふるわれ、お金を奪われていた。生活は困窮し精神的にも追い詰められていくが、千鶴にはもはや逃げ出すための資金も気力も残されていなかった。

 ある日千鶴は、賞金目当てでとあるラジオ番組の企画に、子どもの頃の母との思い出を投稿する。22年前、小学1年生の夏休み、千鶴は母の聖子と二人きりで一ヶ月ほどの旅をした。最終的に千鶴は家に連れ戻されたが、母は二度と戻らず、そのまま出奔した。

 この番組をきっかけに、芹沢恵真という女性から問い合わせが入る。聖子を「ママ」と慕う恵真は、「さざめきハイツ」でもう一人の女性とともに、共同生活を営んでいた。恵真は千鶴を「さざめきハイツ」での暮らしに誘い、女性4人の新しい共同生活が始まる。

 だが22年ぶりに再会を果たした母と娘は、溝が埋まらないまますれ違いを続けた。千鶴は元夫によるPTSDに苦しめられ、外に出ることもままならない。おまけに聖子は52歳の若さで若年性認知症を発症し、病は急速に進行していくのだった――。

 『星を掬う』の読みどころのひとつは、主人公の千鶴が自らの未熟さを認識し、変わりたいともがき続ける姿だ。千鶴は自らの不幸を、すべて自分を捨てた母のせいにしてこれまで生きてきた。傷ついた心を持て余し、大人になりきれずに卑屈な振る舞いを続ける千鶴は、ある人物から次のような手厳しい指摘を受けることになる。

 君の言う『捨てられた歪み』ってのがそれかもしれないけど、君自身の怠慢でもあるよ。母親のせいにして思考を停止させてきたんだろうなあ。それを誰も指摘しなかったってのは、まあ不幸ではあるかもな。可哀相に。

 千鶴にとって大変耳の痛い言葉だが、この指摘をきっかけに、彼女は自身の振る舞いを省みるようになる。もちろん、人間はそう簡単には変われない。けれども変わりたいと願い、模索を続けていく中で千鶴は成長し、母と娘の関係性も変化していく。

 千鶴の母親である聖子は、娘には恨まれているものの、多くの人を魅了し慕われている人物である。かつては地味で模範的な妻であり、母親でもあった彼女が、一体なぜ家から飛び出して現在のような姿になったのか。物語の中で徐々に聖子の過去や、あの輝かしい夏の旅の真実が明らかにされていくのが、謎解きのようにスリリングだ。

 聖子はたびたび、「自分の人生は、自分だけのものよ」と言う。その言葉に、捨てられた娘である千鶴は傷つくが、やがて母の言葉の奥にあるものを知るようになる。

 聖子の潔い信念は、自身の若年性認知症に対しても発揮されていく。彼女は、「私の世話をしようなどと思わないでください」「ベッド脇で湿っぽく泣くことも、私を衰退していく者として不平等に扱うことも、私の人格を損ねるものでしかありません」と、彼女の面倒を見たがる恵真らの手を振りきり、認知症対応型のグループホームに入ることを望む。

 「私の人生は、最後まで私が支配するの。誰にも縛らせたりしない」。聖子がみせる、一般的な尺度とはやや異なる母親としての姿や愛情を、千鶴は少しずつ受け止めていく。リアルで生々しい認知症の症状や、介護の苦労も描き込まれており、その点でも本作が問いかけるものは多い。

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