『鬼滅の刃』煉󠄁獄杏寿郎が炭治郎の心に刻み込んだ教え 高みを目指すことの尊さと美しさ

※ 本稿には『鬼滅の刃』(吾峠呼世晴)の内容について触れている箇所がございます。原作を未読の方はご注意ください。(筆者)

 社会現象的な大ヒットを記録した『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』が、明日(9月25日)、テレビ初放送される(フジテレビ系)。

 「煉󠄁獄さん」こと煉󠄁獄杏寿郎を一躍“時の人”にしたといっても過言ではないこの映画は、吾峠呼世晴による原作コミックの、おもに第7巻から第8巻にかけてのエピソードをもとに構成されている。そこで、本稿では、(テレビ初放送を前に)あらためて、原作のその部分で何が描かれているのかを考えてみたいと思う。

 吾峠呼世晴の『鬼滅の刃』は、鬼にされた妹・禰󠄀豆子を人間に戻すため、政府非公認の鬼狩りの組織「鬼殺隊」の剣士となって戦う少年・竈門炭治郎の成長を描いた物語である。

 先にも述べたように、『無限列車編』は、その第7〜8巻をもとにした映画だが、あらためて原作(全23巻)を読み返してみれば、このパートこそが『鬼滅の刃』という作品全体を通しての、最初の大きな“山場”であるということがわかるだろう。

 なお、物語の主軸になるのは、「無限列車」(実はこの列車自体が“鬼”である)に乗っていた炭治郎ら鬼殺隊剣士たちと、眠り鬼・魘夢が繰り広げる戦いだが、実は最大の“見せ場”は――魘夢には悪いが――そこにはない。では、何を見るべきかといえば、それはもちろん、魘夢が倒されたのちに突然勃発する、「炎柱」煉󠄁獄杏寿郎と上弦の鬼・猗窩座との死闘である。

 煉󠄁獄杏寿郎は、「炎柱」の称号を持つ、鬼殺隊最強の剣士のひとりである。「炎の呼吸」を継承する名門・煉󠄁獄家の長男である彼は、明朗快活というか豪放磊落というか、とにかくその肩書き通りの燃えるような魂を持った好漢だ。

 原作での初登場は第6巻――その段階では、鬼である禰󠄀豆子と、それを匿っている炭治郎にかなり厳しい態度で接しているため、読者の彼に対する印象はあまりいいものではないだろう。また、無限列車内における魘夢との戦いを見てもなお、その印象は、「ものすごく強いが、何を考えているかわからない、やたらとテンションの高い変わり者の上官」というようなものではないだろうか。

 だが、それは、強敵・猗窩座との戦いが始まるやいなや、大きく変わっていくことだろう。それどころか、読者はきっと、この煉󠄁獄杏寿郎の一挙手一投足から目が離せなくなる。そう、それくらい強烈なインパクトを、この猗窩座との死闘で煉󠄁獄は読者の中に残すのだ。

 戦いのさなか、「お前も鬼にならないか?」と、煉󠄁獄の剣士としての力量を認めた猗窩座は誘う。しかし、毅然とした態度で、煉󠄁獄はそれを断る。

 「老いることも 死ぬことも 人間という儚い生き物の美しさだ 老いるからこそ 死ぬからこそ 堪らなく愛おしく尊いのだ 強さというものは 肉体に対してのみ 使う言葉ではない」(第63話より)

 最終的に煉󠄁獄は、猗窩座の一撃を胸に受け、それが致命傷となる。魘夢との戦いで力を使い果たしていた炭治郎は動くことができず、その様子を見ているしかなかった……。結果的に、煉󠄁獄と猗窩座の勝敗は日が昇ってきたことでうやむやになるが(鬼は陽光に弱いため、猗窩座は即座に逃亡するしかなかった)、煉󠄁獄は、炭治郎を呼び寄せ、「心を燃やせ」という熱い言葉を遺して散華する。短いながらも、強い者は弱い人を助けなさいという、亡き母の教えを守り抜いた、見事な生涯であった。

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