【新連載】武器とフィクション 第1回:『チェンソーマン』のチェンソーはいかにして“最恐の武器”となったか?

映画的な道具としてのチェンソー

 では、なぜチェーンソーはそこまで恐ろしいものだと思われているのだろうか。実際の武器としてはほとんど役に立たないチェーンソー。その恐ろしさを確立してきたのは、数多くのフィクションだ。例えば『チェンソーマン』の単行本2巻の見返しで藤本タツキ自身が言及している1973年の映画『悪魔のいけにえ』では、殺人鬼レザーフェイスが振り回す武器としてチェーンソーが登場した。

 『悪魔のいけにえ』でのチェーンソー描写は、のちのスプラッター映画と比較するとずいぶん大人しい。例えばレザーフェイスが被害者の若者カークの死体を恋人パムの目の前で解体するシーンではチェーンソーが使われるが、遺体の切断そのものはうまく映らないように隠されている。

 むしろこの場面で印象的なのは、2ストロークエンジンのエンジン音だ。大型エンジンの音とは異なる高く軽い排気音こそが、動力付きの工具で丸太のように人体を破壊する、レザーフェイスの野蛮さと残虐さを表現したのである。BGMが使用されていないのはこの映画の特徴だが、それもチェーンソーのエンジン音を観客に印象付けたかったからだと考えれば合点がいく。その演出が功を奏し、直接的なスプラッター描写がほぼないにも関わらず、レザーフェイスとチェーンソーは『悪魔のいけにえ』で全世界の観客に強烈な印象を残した。これ以外にもホラー映画でどれほど大量にチェーンソーが登場したかは、ここに書くまでもないだろう。

 考えてみれば、チェーンソーはとても映画的な道具だ。そもそも工具だから、基本的に一般人でも手に入れられる。甲高いエンジン音は武器として考えればマイナスポイントだが、恐ろしい殺人鬼がエンジン音とともに身動きの封じられた犠牲者に襲いかかるのならば話は別である。刃物のようにそのまま攻撃に使用できるわけではなく、スターターを引いてエンジンをかけなくてはならない点も、観客を「これからどんな惨劇が起こるのか」と恐怖に向けて助走させる余地となる。ソーチェーンが高速で回転するのも見栄えがいいし、リアルな痛みを観客に想像させるパワーを生むだろう。ソーチェーンが切れたり燃料切れで使えなくなったりという弱点が用意されているのも、作劇にとっては都合がいい。チェーンソーこそ、神がホラー映画のために創りたもうた武器である。

『チェンソーマン』7巻発売記念スペシャルPV

 チェーンソーは実戦ではロクに役に立ちそうもないが、フィクションの中ではそのマイナスポイントはすべてプラスになった。だからこそチェーンソーは多数のホラー/スプラッター映画に登場し、そのエンジン音と高速回転するソーチェーンに観客は恐怖した。つまりチェンソーの悪魔は、フィクションの力によって最強の存在となったのだ。そして『チェンソーマン』はフィクションのもたらす嘘の力が、最終的に「支配」の力を打倒する物語だったということになる。

 フィクションのもたらす力でエゴイスティックな存在による「支配」と戦うストーリーならば、主人公デンジの使う力はフィクションそのものの徹底してバカバカしいものでなければならない。現実的な武器ではなくホラー映画由来のバカげた武器であることが、『チェンソーマン』のテーマにとっては不可欠だったのだ。短編『ルックバック』を読む限り、藤本タツキはフィクションの持つ力に相当自覚的であり、また強く信じてもいるように思う。「多くの人に恐怖されたチェンソーの悪魔こそ最強」という結論も、フィクションの力を強く信じたゆえに導き出されたものだったはずだ。

 チェーンソーを真面目に武器として使うのはバカバカしい。殺人が目的ならば、ホームセンターに行けばもっと優れた武器がいくらでも売っている。しかし、だからこそ『チェンソーマン』の主人公はチェンソーの悪魔でなくてはならなかった。フィクションそのものを象徴するバカげた武器として、チェーンソーというチョイスはこれ以上ない選択肢だったのである。

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