全788ページの大著が11万部突破! 『独学大全』担当編集者に訊く、”高くても分厚い本”が売れるワケ 

オリジナリティを追求する編集部の文化

――社内のほかの編集者から、この本の分厚さや金額に関して、意見はありましたか?

田中:「よくこの本の企画が通ったね」と聞かれることがあるのですが、実は、企画会議ではそんなに反対されませんでした。理由としては、『世界標準の経営理論』(832ページ、本体価格2900円、8.5万部)や『哲学と宗教全史』(468ページ、本体価格2400円、10万部)など、先輩方がすでに分厚くて高い本を出しており、しかもそれがとてもよく売れていたんですよね。なので、厚いだけでこの本はダメだと言われることはなかったです。

 一方で、会議で営業からは「著者が著名人や専門家ではないのに、2800円は少し高いのでは?」という声もありましたね。私は原稿を読んで「読書猿さんは凄い人だ! 博識だ!」と神のように崇めてしまっていたのですが、読書猿さんのことを知らない社内の人からは「ブロガーさん?」「面白い名前の人だね」という感じの反応だったのも、すごく参考になりました。

 「読書猿さんを知らない人にも読書猿さんの凄さを知ってもらう=2800円でも買ってもらう」ことを考えて、独学者である山口周さんと、東大教授の柳川範之先生に推薦をいただくことにしました。

――割と長いスパンで1冊の本を作るのは、ほかの出版社では難しかったりすると思うのですが、製作期間に関して、ダイヤモンド社独自の考え方はありますか?

田中:当社では、何年かかったらダメだとか、何月に絶対本を出せとか、本数をいっぱい出せとか、そういうことは一切ありません。とにかく大事なことはオリジナリティ。いわゆるパクリ本じゃない本を出して、ちゃんと1冊1冊丁寧に編集し、売りなさいということをひたすら言われます。逆に、早いペースでたくさん本を出したから褒められるとか、Aという本がヒットしていたので、A'みたいな本を作って売れたとしても、あまり認めてもらえません。

 あと売れた本を正当に評価するという文化がすごくあります。『独学大全』に関しても、最初は「読書猿さんって誰?」という人もいたし、発売前から大きな期待があったわけではありません。ただ、逆に、売れた後には、「こういう分厚い本がちゃんと売れるんだね」と社内で評価してもらえて、それをまた次に活かせるいいサイクルがあると感じます。

――編集部でそういった方針が共有されているのですね。オリジナリティのある本と売れる本のバランスを追求しているということでしょうか。

田中: 売れる本とオリジナリティの「バランス」というよりむしろ「オリジナリティがあるものだけが売れるんだ」という考え方なのかなと思いますね。もちろん市場の大きさとか、読者がどこにいるかという戦略は大事ですが、その上で、今この世の中に存在していない本がいちばん売れるという考えがベースにあります。……と、偉そうに語っている私も1年半くらい前に入社して、最近ようやく企画の立て方がつかめてきた感じですが……。確かに、既にある本をもう一度出しても、元の本より売れるはずないですよね。

 今回も、読書猿さんの素晴らしい(しかも売れている)既刊書である『アイデア大全』『問題解決大全』とは全く違うものにしようという気持ちは強くありました。装丁から本文の組み方、図版やイラスト入れ方に至るまで、「読書猿さんの第3弾」ではなく「独学本として、これまでにない1冊を生み出す」ことをとにかく意識して編集したつもりです。

ヒットした理由――「本でしか読めないもの」が売れる

――田中さんが考える『独学大全』がヒットした理由をお聞かせください。

田中:うーん……「自分の代表作になる本だな」とは確信していましたが……正直、こんなに売れると思っていませんでした。読書猿さんも「じわじわ広がっていくだろう」と考えていたけれど、この爆発的売れ行きには驚いたみたいです。

 ヒットの第一の要因として考えられるのは、「本を読む読者」に向けて作り、それを受け入れてもらえたことです。初速が良かった理由として、読書猿さんを信頼するファンの方が買ってくれた部分は大きいです。ファンとは、言い換えると「本を読むこと、学ぶことが好きで、3年前から『独学大全』を楽しみに待ってくださっていた方々」ですね。SNSの投稿などを見ている限り、普段は人文書を買っている人たちが、ビジネス書棚に来て手に取ってくれているようです。分厚い本には慣れているし、「2800円は安い」と感じる人も多かったようです。

 逆に言えば、この本は「少ない労力で効率的に知識が手に入る」という「売れるビジネス書のセオリー」からは完全に外れています。分厚いし、内容を実践するにはそれなりに手間がかかるし、衝動買いするには高すぎる。788ページ、本体価格2800円にした時点である程度ターゲットが絞られることは仕方がないと割り切っていたので、逆にいわゆる「ベストセラー」になって驚いたというのが正直なところですね。

 ヒットした要因、第二の仮説は「勉強本市場」になかった本を作れたこと。「〜勉強法」という本は売れるテーマですが、この本のように「独学」について網羅的に、学問的な背景をしっかりつけた形で書いてくれている本はなかった。もともと独学している人、したい人は潜在的にいて、その人たちが買ってくれたのではと予想しています。

――まさにその通りの印象を私も持ちました。ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』や『ホモデウス』(共に河出書房新社)など、そういったビッグヒストリー系であったり、哲学系の書籍が流行っている印象がありますが、ヒットした要因としてそういったことと何か関係があると思いますか?

田中:本でしか読めない網羅性、信頼性がある情報を、今こそ得たいという人が増えている、あるいは書店に来る人のニーズがそうなっているのではと考えています。

 自分も含めてですが、おそらくそういう方たちは「値段が高いか安いか」みたいなことはあまり気になさらないでしょうね(高くても安くても、よければ買う)。それに、本が好きで好きでしょうがないから『サピエンス全史』のような本を時間をかけてでも読むのであって、手軽に知識が手に入るとかそういうことは気にしていないんじゃないかなと。

 読者に対してわかりやすく読みやすい本を作ることは何より重要だと思うのですが、衝動買いを狙って本の厚さを薄くするとか、サクッと読むことができるというのを前面に押し出す必要はないのかなと思うようになりました。そこは、もうウェブに任せるべきなのかなという気がしています。

 ちゃんと本を信頼してくれている人たちが、心の底から買いたいと思ってくれるような本を出すということが、重要なことなのかなと思っています。

――それがまさに分厚い本が売れる理由に繋がっている気がします。やはり先行きが不透明な状況だからこそ、もともと本を読んでいた方たちが、よりいっそう本というメディアを頼りにしてくれているという部分はありそうですね

田中:そうですね、読書猿さんも以前、「本が売れない、本が売れないと言っていて、それが本当なんだったら、そういう時代なのにわざわざ本を買いに来てくれる人、まだ本に期待をかけてくれている人に向けて書かないでどうするんですか」とインタビューで語っています。私も全く同じ考えです。

 

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