『BECK』はなぜ“バンド漫画の金字塔”となった? ロックファンを夢中にさせた展開を考察

 いま、東京・池袋マルイの7階イベントスペースにて、「アニメ『BECK』15周年記念展 ~I was made to hit in America!~」が開催されている。細かく描き込まれた各話の絵コンテや小林治監督所蔵の貴重な製作資料などが展示されているので、都内近郊にお住まいの方で興味のある方は、ソーシャルディスタンスに気をつけつつ、足を運んでみるといいと思う(10月4日まで)。

『BECK』で描かれる「バンドのマジック」

 そのアニメの原作――ハロルド作石の『BECK』は、1999年から2008年まで『月刊少年マガジン』で連載されたバンド漫画の金字塔である。折しも時代は野外フェスブームのまっただなかであり、また、いわゆるラウドロック系、ミクスチャーロック系のバンドの台頭も著しく、そうした現実世界での音楽の流行とうまくリンクした同作は大ヒット、「バンド漫画は売れない」という漫画業界の“定説”を、見事に覆した。

 ――などと書くと、80年代にヒットした上條淳士の『To-y』があるじゃないか、と反論する人もいるかもしれない。だが、たしかに『To-y』は爆発的に売れたが、あの作品は、音楽漫画、あるいはロック漫画であったとしても、厳密にいえばバンド漫画ではないのだ。なぜならば主人公のトーイは、「上」を目指すためにバンドのメンバーたちを切り捨てていくわけで、当然、そこにバンド漫画としてのカタルシスはない(さらにいえば、同作はアイドル漫画としての要素も大きい)。だが、『BECK』には間違いなく、ロックという音楽に魅せられた1人が2人になり、2人が3人、4人、5人になることで生まれる「バンドのマジック」が描かれていた。

 だからたぶん、コミックスの累計発行部数1500万部以上といわれるこの『BECK』こそが、はじめて「バンド漫画がビッグビジネスになる」ということを証明した作品だったといっていいのではないだろうか。強いていえば、ほぼ同時期に連載されていた矢沢あいの『NANA』(累計発行部数4300万部以上、現在は休載中)の存在も無視できないのだが、こちらの物語は周知のように恋愛の要素が大きく、『BECK』ほどにはバンドマンたちが起こす奇跡の描写は出てこいない(ただし、16巻収録の短編『NOBU―ノブ―』は、ギター少年の熱い想いを描いた名作なので、未読の方はぜひ読まれたい)。

 さて、ハロルド作石の『BECK』は、「もう14歳にして 先は見えてしまった」という平凡な少年・田中幸雄(コユキ)が、偶然、南竜介という2歳上の天才ギタリストと出会ったことで、自らの「うた」の才能に気づき、ロックバンド・BECKの一員として、世界に羽ばたいていく物語だ(コユキのバンド内でのパートはサイドギターだが、バラード系の聴かせる曲は、彼がリードボーカルをとることが多い)。

 ちなみに、個人的な話をさせてもらえば、実は私はこの『BECK』という作品について、当初はあまり良い印象を持ってはいなかった。というのは、90年代半ばに松本大治が描いていた『DESPERADO』という作品と、序盤の展開があまりにも似ていたからである(『DESPERADO』も、内気な少年が天才的なギタリストと出会い、自分を変えていく物語である。しかも、そのギタリストが使う楽器は傷だらけのレスポールだ)。

 だが、準主役である竜介の、「私とバンドとどっちが大切なのよ!?」と女の子に詰め寄られた際に、「バンドだよ」と即答するようなキャラクターに魅力を感じてもいたので、なんとなく読み進めてはいたのだが、その竜介とボーカル兼ラッパーの千葉、ベースの平(たいら)がバンドを組み、それにコユキと親友のドラマー「サク」が正式加入したあたりからがぜん物語がおもしろくなり、そうなったらなったで我ながら現金なもので、当初この作品に抱いていた悪い印象は完全になくなってしまった。

 そうして「最強の5人」が揃ったBECKだったが、アメリカの大物プロデューサーや日本の音楽業界の重鎮を敵に回してしまい、そのバンド活動は順風満帆とは言い難い。しかし、彼らは「音楽の力」を信じ、「いま自分たちにできること」を懸命にやって、目の前の壁を次々と乗り越えていくのだった(当然、そんな彼らに味方する音楽業界の人間も少しずつだが増えていく)。

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