伝説的音楽マンガ『TO-Y』が描いた、バンドブーム前夜の風景 パンク幻想をかきたてた「初期衝動」を振り返る

 自らの黒歴史として隠蔽したいもののひとつやふたつは誰にでもあるだろう。だがしかし、そいつを若気のいたりと恥じながら心の箪笥の奥底にしまいこんでみても、ひとたびその封印を解き、あのイントロを耳にしたり、あのページを捲ったりしたならば、若き日の青白くも熱い感情が即座に溢れ出すのを抑えきれないに違いない。たまにはそれを思い切ってカミングアウトして解き放ってみた方が清々しい気持ちになるのではなかろうか。今回はそういった「初期衝動」漫画のひとつを紹介してみたい。

『ZINGY(1)』

 さて、これはパンクロックやそれをとりまくアンダーグラウンドな音楽に夢中だった田舎の中学生の私の昔話。当時、あまりの情報の少なさに飢えながら雑誌やテレビにもそういったパンク的刺激を求め続け、まぁ多少は違っていても目をつぶりちょっとでもパンク臭がするものならば即喰らいついたもんです。そんな時、あるバンド漫画が少年誌で連載開始となった。しかも主人公はパンクバンドのヴォーカルである。私はその絵を見てすぐにこれは『ZINGY』を描いていた作者による新連載だとわかったし、『ZINGY』には“町蔵”という名のキャラやパンクファッションも登場していたので、「今度は更にパンク全開でいってくれるだろう」という期待で胸がふくらんだのを覚えている。

 そう、その新たに始まった漫画こそが『TO-Y』であった。

『TO-Y』連載時の音楽シーン

 今となっては『BECK』や『NANA-ナナ-』に影響を受けてロックを聴き始めたりバンドを組んだキッズも多数いそうだが、そういった作品がメジャー誌で安心して物語を展開できるようになったのも、この『TO-Y』が築いた土台があったからこそではなかろうか。

 『TO-Y』は1985年から1987年まで『週刊少年サンデー』にて連載された上條淳士の代表作。泥臭さ皆無のソリッドでシャープな画風で音楽界のみならず世の中を自由気ままに跳ね回る登場人物たちの姿は都会的でスタイリッシュでもあり、私のような田舎の十代の子供には実に刺激的なのであった。久しぶりに読みかえしてみるとパンクロックの描写は思ったより少なく、どちらかというと努力不必要の天才少年のサクセスストーリーであるのだが、それもまた努力と友情にまみれまくった他の漫画キャラとは一線を画した魅力を放っていた。

 本作はざっくりいうと、“バンドもの”である。いや、もちろん『TO-Y』以前にも『気分はグルービー』という青春バンド漫画は存在したし、『火の玉ボーイ』や『コータローまかりとおる!』でも“バンド編”的なストーリーはあった。また『マカロニほうれん荘』や江口寿史作品のようにロックそのものを題材にせずとも、ロック的スピード感やポップさを感じさせてくれる作品はそれ以前にも存在している。だがしかし、当然ながら漫画という“音が出ない媒体”でロックやライブを表現するという課題をクリアするのはなかなか難しく、「バンド漫画」というジャンルをしっかりと形成させるのは困難だったはずである。ところがそんな状況に風穴をあけたのがこの『TO-Y』なのだ。

 演奏シーンでは楽器の擬音や歌詞などを文字で表すことに頼らず、キャラクターの表情や動きで表現し、主人公のトーイが歌う場面もすべてサイレント。こうした読み手の想像力に委ねるその手法は当時としては斬新で、本作を読みながらラジカセのスイッチを押し、自分の思い描く『TO-Y』の世界観に近い曲をBGMにしてみた読者も多かったのではなかろうか。因みに、後にOVA化された際のイメージアルバムはこちらが思い描いていた世界とはあまりにかけ離れた選曲で愕然としたもんだが、OVA化されてもトーイが歌うことはなく、ライヴシーンではインストゥルメンタルが流れるといったこだわりっぷりは正解だったと思う。

 さて、そんな『TO-Y』が生きた時代はどんな時代だったのかを改めて振り返ってみよう。時はバンドブームの真っただ中の連載だったかと思いきや、実は猫も杓子もバンドやろうぜ状態なブームのちょっと前に連載開始。89年放送スタートの「イカ天」より早い85年から87年の物語である。この時代はBOØWYでいえば、3rdアルバムの『BOØWY』~『JUST A HERO』~『BEAT EMORTION』という人気絶頂期から解散宣言が出されるまでの期間にあたり、ザ・ブルーハーツでいうと結成から1stアルバムリリースまでの時期である。そしてバンドブーム夜明け前のインディーズブームを発火させた張本人、ラフィンノーズでいうならば、新宿スタジオアルタ前にて1300人を集めた“ソノシートバラまき”を経てのメジャーデビューから日比谷野外音楽堂でのあの事故があった期間と一致する。

 また芸能界に目をむけてみると、中森明菜や近藤真彦がレコード大賞を獲得したことからわかるように、80年代初頭に軒並みデビューしたアイドルたちの天下であり、ロックバンドがメジャー音楽シーンでトップに立つには程遠い状況であった。そんな中、トーイのライバル哀川陽二のモデルである吉川晃司はどうだったかというと、デビュー1年目にして日本武道館公演を行い(85年)、シングルヒットを次々と飛ばしてはいたが、88年には元BOØWYの布袋寅泰とユニット「COMPLEX」を結成したことからもわかるようにアイドルを脱皮しアーティストへの転向をはかろうともがいていた時期だと思われる。

 つまりは、今よりもインディーズとメジャーの壁は大きく、インディーズからメジャーに進出するということは即ち「魂を売る」ということを意味していたような時代背景の中での作品なのだ。本作を現代の若者が読んでみてもそんな時代感覚はわかりづらいので初期衝動になりうるのは難しいかもしれない。

 トーイのファッションにしても、今では絶滅しつつあるタンクトップを衣装として平気で着てたりするもんだから違和感もあるだあろう。更に言うならば、連載当時は刺激的なシーンであった「ギグの乗っ取り」も80年代の伝説のハードコアパンクバンドが実際にやってきたことを体験した人々の生の声を数多く訊ける環境の今の自分にとっては荒唐無稽すぎるし(おそらく映画『爆裂都市』の影響)、“プレイヤー同士のせめぎあい”“駆け引き”の描写にしてもジャズと違って曲の構成やリズムが決まったロック/ポップスではちょっと無理がある。だが今思えば、逆を言うとこれはマンガという“音が出ない媒体”だからこそなしえる表現であり、バンド幻想をもたせてくれる素晴らしい表現方法だったのかもしれない。近年話題のジャズ漫画『BLUE GIANT』『BLUE GIANT SUPREME』でもこうした“プレイヤー同士のせめぎあい”は違和感なく描かれていると思うのだが、その手法をずいぶん前にロックや歌謡曲を奏でる登場人物を使ってスリリングに見せつけた『TO-Y』という作品は革命的だったともいえるだろう。前述の「ギグ乗っ取り」にしたって、リアリティはないもののこちらのパンク幻想を高めてくれたことに感謝している。

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