第163回芥川賞はどうなる? ノミネート5作品を徹底読解

 さきの6月16日、第163回芥川賞(2020年上半期)の候補作が発表された。区分上は2020年代最初の芥川賞であり、文学の将来をうらなう意味でも注目される選考である。今回ノミネートされた5作品と著者について簡単に紹介するのが、ここで求められていることだ。

高山羽根子「首里の馬」(『新潮』2020年3月号)

 高山氏は、今回唯一のノミネート経験者である。これまでの「居た場所」(2018年冬季号)、「カム・ギャザー・ラウンド・ピープル」(2019年5月号)に続く、3回目の候補作入り。いずれも受賞作として遜色ないクオリティの作品でありながら、惜しくも選考に漏れることが続いており、今回いよいよの受賞が期待されている。

 本作の舞台は、沖縄。主人公・未名子は「資料館」と「スタジオ」というふたつの空間に出入りしながら暮らしている。前者は「順さん」という年老いた女性民俗学者が収集した沖縄の歴史についての個別具体の膨大な情報のひっそりとした置き場所。そして、後者はおもに「日本語を母語としない者」たちに向けて、オンラインモニター越しにクイズを読み上げ、答えさせるという抽象的で奇妙な仕事場である。

 ある台風の夜、一頭の宮古馬が未名子の家の庭に迷い込む。その日をさかいに、未名子の人生は少しずつ景色を変える。なかでも作品後半、一見して無関係に思える「資料館」と「スタジオ」というふたつの空間が感動的なかたちで結びつく展開には唸らされた。どういうわけか、高山氏の小説では毎度、すこし不思議なことが、こともなげに気に起こる。この作者独自の魅力である。

岡本学「アウア・エイジ(Our Age)」(『群像』2020年2月号)

 2012年、群像新人文學賞を「架空列車」で受け、以降、おもに『群像』に良作を発表してきた岡本学氏の候補作。初ノミネートであるものの、今回の候補者の並びでは(このあとに紹介する作家らがデビュー作&第2作での候補作入りなので)どちらかといえばベテラン作家になるだろう。その年齢感は本作のテーマとも密接に関連している。

 あらすじはこう。40歳を過ぎ、生き飽きた気分だという大学教員の「私」は、学生時代にバイトしていた映画館に置かれていた「映写機の葬式」への招待をきっかけに、1枚の古い写真を盗み出す。写真には赤と白に配色された塔が写っており、余白に「our age」と読める文字が書かれている。写真のもとの持ち主は、いかにも「殺されそうな女」と周囲から評されたバイト先の同僚「ミスミ」。写真は彼女の母の遺品らしく、学生時代の「私」はその塔を探すのを手伝っていた。

 失意の中年が「塔」の発見をつうじて再起するという大筋には、(年齢的なものだろうか)正直あまり乗れない。随所に見られるペダンティックと取られかねないふるまいも、ややひっかかる。だが、作品後半のレトロな探偵小説的展開には、それでも引き込まれた。そして、明らかになった塔の正体について、作中の「私」さながら、わたしも画像検索して「おお!」となったことを白状する。

三木三奈「アキちゃん」(『文學界』2020年5月号)

 三木三奈氏の第125回文學界新人賞受賞作=デビュー作。さきに言うなら、本作はなるべく事前情報を入れずに読むほうがいい(なぜそのほうがいいのか、についても知らないうちに読むのがいい)タイプの小説である。ノミネート作のなかでは、もっとも広い読者にリーチする可能性がある小説だと思う。

 大人になった「わたし」は、小学5年生の頃の級友「アキちゃん」を回想する。そこでは、人前では「わたし」をあだ名で呼ぶのに、2人になると「オマエ」って呼ぶから嫌、といった具合に「アキちゃん」への憎しみが語られる。呪いで「アキちゃん」を痛い目にあわせたり、その兄に接近し弱みを握ろうとしたりする。

 小学生の人脈なので、基本的に限られた世界の話だが、ときおり垣間見える親たちの経済事情(彼/彼女らにとっては、これが大問題なのだ)による「階級」が、物語の背景にある社会構造をのぞかせる。そしてなにより、さきほどから伏せている作品後半の仕掛けにより、(場合によっては)読者の偏見が暴き立てられる。絶妙にコントロールされた語り口だ。が、通史的にみると、村田沙耶香『コンビニ人間』(2016年)や、今村夏子『むらさきのスカートの女』(2019年)といった近年の芥川賞受賞作の語り口を連想してしまう。この点が受賞にプラスに働くのか、あるいは逆か、が気になる。

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