葛西純自伝連載『狂猿』第12回 アパッチプロレス軍入団と佐々木貴・マンモス佐々木との死闘
葛西純は、プロレスラーのなかでも、ごく一部の選手しか足を踏み入れないデスマッチの世界で「カリスマ」と呼ばれている選手だ。20年以上のキャリアのなかで、さまざまな形式のデスマッチを行い、数々の伝説を打ち立ててきた。その激闘の歴史は、観客の脳裏と「マット界で最も傷だらけ」といわれる背中に刻まれている。クレイジーモンキー【狂猿】の異名を持つ男はなぜ、自らの体に傷を刻み込みながら、闘い続けるのか。そのすべてが葛西純本人の口から語られる、衝撃的自伝ストーリー。
第1回:デスマッチファイター葛西純が明かす、少年時代に見たプロレスの衝撃
第2回:勉強も運動もできない、不良でさえもなかった”その他大勢”の少年時代
第3回:格闘家を目指して上京、ガードマンとして働き始めるが……
第4回:大日本プロレス入団、母と交わした「5年」の約束
第5回:九死に一生を得た交通事故、プロレス界の歴史は変わっていた
第6回:ボコボコにされて嬉し涙を流したデスマッチデビュー
第7回:葛西純自伝『狂猿』第7回 「クレイジーモンキー」の誕生と母の涙
第8回:葛西純が明かす、結婚秘話と大日本プロレスとのすれ違い
第9回:大日本プロレス退団と“新天地”ZERO-ONE加入の真実
第10回:橋本真也の”付き人時代”とZERO1退団を決意させた伊東竜二の言葉
第11回:ジャパニーズデスマッチの最先端、伊東竜二との対戦は……?
アパッチプロレス軍に加入
内蔵疾患で入院して、一時はもうダメかと思ったけど、順調に回復して復帰できることになった。約5カ月間も欠場してしまったから、試合をしたいというよりも、はやく働いてカネを稼がなきゃ、という気持ちが強かった。
立場としてはフリーだったから、自分から動かないと何も始まらない。当時、デスマッチを頻繁に行っていたのは、古巣の大日本プロレスと、金村キンタローが中心となって旗揚げしたアパッチプロレス軍だったから、この2つのリングを主戦場にしようと考えていた。俺っちが休んでる間に機運を失ってしまった伊東竜二戦に向けてもイチから流れを作り出さなきゃいけない。
この時の大日本プロレスのチャンピオンは佐々木貴。俺っちはベルトを持ってる伊東に挑戦したかったから、まずは伊東に大日本のトップに立ってもらわなきゃならない。それで伊東とタッグを組んで、まずは貴を倒してこいと、送り出すことにした。この時に限らず、葛西VS伊東という流れになると、なぜか佐々木貴が絡んでくるから、邪魔で仕方がなかった。貴とはアパッチで一緒になることも多かったけど、あいつはあいつで「たかし軍団」とかいうヒールユニットを組んでたから、俺っちとはあまり接点がなかった。
そんな頃、アパッチの興行の後に打ち上げがあって、歌舞伎町の飲み屋に出場選手が集まってみんなで飲む機会があった。夜も深まって、みんな酔っ払ってきたあたりで、金村キンタローが「葛西、お前フリーでやっててもしゃーないやろ。うちの所属になれや」と言ってきた。反射的に「イヤです」と返した。俺っち的には、フリーで身も心も自由にやっていこうと思っていたから、このタイミングでどこかの団体に所属するということはまったく考えてなかった。でも、金村さんは「お前、所属っちゅうてもな、ウチは自由やぞ」としつこく誘ってきて、俺っちも「いや、フリーの方が自由だと思いますよ」みたいな不毛なやりとりを繰り返していた。
さらに夜が更け、かなり泥酔してきたころに、金村さんが「よし! 今日から葛西は所属にする!」と言い出して、「じゃあ契約書を書くぞ」と、店にあった何かのチラシの裏に「契約書 死ぬまで奴隷」と書いて、差し出してきた。俺っちもベロベロだったので「わかりましたっ!」ってハンコを押した。すると金村さんが「これでお前は死ぬまで俺の奴隷や!」って得意げな顔で言ってきたから、俺っちはその契約書を奪い取って口にいれて飲み込んだ。
そういうくだらないやりとりがあったことは事実なんだけど、その翌日から俺っちはアパッチプロレス軍の所属選手になっていた。当時のアパッチには、金村キンタロー、黒田哲広さん、BADBOY非道さん、ジ・ウインガーあたりがトップで、それに佐々木貴、GENTAROがいて、マンモス佐々木がそのあとくらいに入ってきた。あと、新宿鮫さんもいた。金村さんの言った通り、所属選手たちは自由で、みんな好き勝手やっていたから、それなりに居心地は良かった。