福嶋亮大が語る、パンデミック以降の倫理と表現 「隣人愛という概念は、改めて注目すべき」

オルタナティヴな関係概念

--福嶋さんが注目している、文化領域とは異なる部分の変化は?

福嶋:政治的に危惧すべきなのは、家畜化=国内化(domestication)が進むことです。韓国や台湾におけるコロナ対策で、行動履歴をデータ化したりしていますが、そうした技術がさらに浸透すれば、例えば店やイベントスペースやビルに入るときに一定以上の熱があると入場できないとか、行動を強く制限することが可能になる。これは家畜の管理と同じです。場合によっては、そこに外国人の締め出しが加わったりするでしょう。

 ここ数年EUでは、個人情報保護を規定する法としてGDPR(General Data Protection Regulation)が定められて、企業の大規模なデータ管理に抵抗してきましたが、実際にこのような状況になると、むしろ人権を気にしないアジアのやり方が効率的だということになって、超強力なバイオポリティクスと監視技術が合体したような制度が生まれる可能性があります。実際、ドイツはこの間プライバシー保全のために、分散型のコロナ追跡アプリを導入しようとした。ただ、それをやるとアメリカの巨大テック企業の支配力を強めることにもなりかねず、ジレンマを抱えているわけです(参照:Germany’s Angst Is Killing Its Coronavirus Tracing App)。

 さらに、アジア型の制度が浸透すれば、感染者を隔離するという名目の下、当局が政治犯を監視することもできる。中国はそれを堂々とやるでしょうから、表面的にはクリーンだけど中身は相当ダークな社会になっていく。

ーー新しい価値観を模索する上で、例えば文学ではどのような方向性が考えられますか。

福田和也『奇妙な廃墟―フランスにおける反近代主義の系譜とコラボラトゥール』(ちくま学芸文庫)

福嶋:昨今はアルベール・カミュの『ペスト』がよく読まれている。いいことですが、カミュはこの物語を留保つきの「勝利」で閉じたわけですね。しかし、彼自身、その地点には留まっていられず、やがて『転落』(1956年)のような「敗北」の文学を書くようになっていく。このあたりは福田和也氏のデビュー作『奇妙な廃墟』(2002年)でうまくまとめられています。読者が『ペスト』で自己完結してしまうと、カミュの屈折や陰影も見えなくなってしまう。

 あと「文学と疫病」よりも前に、まず「宗教と疫病」というテーマが重要なんですね。いまは「濃厚接触」が忌避されているけれども、宗教の起源はまさに病者との濃厚接触にあったとも言える。なんといっても、イエス・キリストは病人を手で触れて治療したわけですからね。山形孝夫氏の『治癒神イエスの誕生』(2010年)によれば、それは当時の合理的な医療技術とは別のタイプの医療を推し進めることだったらしい。だからこそ、イエスの治療行為は社会的な軋轢も生んだのです。

山形孝夫『治癒神イエスの誕生』(ちくま学芸文庫)

 イエスは重度な病人を治療しながら、旅を続け「隣人愛」を説いた。しかし、考えてみると、疫病がまん延している世界での隣人愛や旅行は非常にリスキーなものです。しかし、だからこそそこには旧来の医療技術とは違うやり方で、コミューンを作る力もあった。このことが示唆するのは、管理社会的な状況を突破するのに、新しい形の宗教やそれに準ずる思想が求められるということです。

 隣人愛という概念は、改めて注目すべきものだと思います。ユダヤ人哲学者・エマニュエル・レヴィナス(1906年~1995年)は「隣人」をモデルにして他者について考えた。レヴィナス的な隣人愛というのは、いわば自分の免疫力を下げてノーガードになるということです。自分のガードを下げて、存在への固執も手放して、あえてリスクを受け入れることで、初めて倫理が生まれるというのがレヴィナスの思想ですね。そのすべてを現実に落とし込むことは難しいとしても、レヴィナス的な思想がないと、管理社会の罠から逃れるのは難しいと思います。

ーー昨今では厚生労働省が「新しい生活様式」を提唱しています。これはいかにしてリスクを減らすかという発想のものだと思いますが、管理社会化から逃れるためには、あえてリスクを選択するような価値観も必要であると。

福嶋:たとえば、ソーシャルディスタンスは風通しのよい、明るい太陽の下で、他人とは適度な距離を保って接しなさいということですね。それはある意味ではとても「文明的」なんですよ。ハラスメントもおのずとなくなりますしね。しかし、文化というのは、そういう程よい距離を壊さないと成立しないところもある。特に、アングラ系の文化はそういうものですね。

 ただ、ソーシャルディスタンスへの反対を声高に訴えても、理論的にはたいして面白くない。どちらかと言えば、近さや遠さという関係概念を、哲学や宗教の文脈で考えるべきではないでしょうか。隣人をモデルにしたレヴィナスや、テレコミュニケーションについて考えたジャック・デリダは、改めて読み直す価値があると思います。

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