『呪術廻戦』の隠れた魅力は“バトル漫画への批評性” 『幽遊白書』仙水編をどう更新する?
例えば、悠仁が同級生の小沢優子と再会するシーンで「佐藤黒呼かよ」と野薔薇が言うシーンがあるのだが、佐藤黒仔とは『幽白』の終盤に登場したキャラクターの名前(旧姓は真田)で、太っていた小沢の身長が15cm伸びた結果、スレンダーな美人になったというエピソードは佐藤黒呼からの引用だ。
これを持ってくるとは、よっぽど、好きなんだな、と驚いたのだが、その後、第65~79話にかけて描かれる五条悟と夏油傑の物語を読んだ時、これは『幽白』の仙水編をやるつもりだと確信した。
夏油傑は、かつて五条の親友で同じ呪術師だったが、ある事件をきっかけに人間不信に陥り、人間を皆殺しにして呪術師だけの世界を作るため、邪霊たちを操り、両面宿儺を復活させようと目論むようになる。
正義の味方が人類に絶望した結果、悪の道を選ぶ姿を見せることで「人間の生きる価値」を問うという「善悪の反転」は、永井豪の『デビルマン』から続く少年漫画の重要なモチーフだ。
『幽白』もまた、仙水忍という敵役を通して同じモチーフに挑んだのだが、夏油傑の在り方は仙水を思わせる。
仙水編以降、『幽白』は、いびつな問題作へと変貌していくのだが、当時の『幽白』と同じヤバさを『呪術廻戦』に感じるのは、ストーリーだけでなく絵柄に寄る所も大きいだろう。芥見下々の絵は巻数が進むごとに、白黒のコントラストがはっきりとした色彩構成と、線の強弱が強調された乱暴なタッチへと変化しており、インクの線が血溜まりにみえる瞬間があるのだが、これも『幽白』後半以降の富樫の絵柄を思わせる。
主人公の悠仁は、祖父の遺言に従い人々を守るために戦おうとする。人が死ぬのは仕方がないが、せめて正しく死んでほしい。そう願い、呪霊を倒してきたが、戦いの中で呪霊と化した人間を殺してしまい、敵の呪霊に対し殺意を抱いたことで「正しい死って何?」と疑問を抱くようになる。この問いかけに、本作は答えを出すことができるのだろうか?
『呪術廻戦』は「呪い」というモチーフを通して「暴力と死」という、バトル漫画を描く上で避けては通れないテーマを正面から描こうとしている。
■成馬零一
76年生まれ。ライター、ドラマ評論家。ドラマ評を中心に雑誌、ウェブ等で幅広く執筆。単著に『TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!』(宝島社新書)、『キャラクタードラマの誕生:テレビドラマを更新する6人の脚本家』(河出書房新社)がある。