ぼっちぼろまる×小西貴雄、平成/令和“すべてのJ-POP”を語り合う「わかりやすくて何が悪い!」 ヒット曲とは一体何なのか?

日向坂46メンバーへの熱烈オファー「Skrillexを観た時と同じくらい衝撃」

――今回、歌唱を担当されたのは日向坂46の小坂菜緒さん、正源司陽子さん、藤嶌果歩さんのお三方でした。最初からこの3人が歌うことは決まっていたんですか。
ぼっちぼろまる:いえ、決まってはいませんでした。僕からの熱烈オファーです(笑)。今回の曲は、「今を生きている子たちに歌ってほしい」という気持ちがすごく強くあって。この平成リスペクトのアレンジだからこそ、令和のアイドルに歌ってもらいたいと思ったんです。前作では鎌倉時代から令和へと続く時間の流れみたいなものを描いていたんですが、今回は「鎌倉時代も平成も令和も恋心は変わらない!」というような、そんな文脈も表現できたらいいなと思っていました。
――実際に完成した歌を聴いて、どう感じられましたか。
ぼっちぼろまる:めちゃくちゃよかったですね。小坂さんは繊細で可憐。正源司さんは少し少年っぽいロック感がある。藤嶌さんは北海道出身らしい大らかさがあって。本当に三者三様なんですよ。
小西:3人とも本当に上手かったよね。それぞれちゃんとキャラクターが立ってる。“アイドル”っていう文化自体、昭和からずっと続いてきたものだけど、その歴史が今につながっている感じがして、すごくエモかったですね。僕が昔作っていたような音楽を、令和のアイドルが躍動しながら歌っている。そのこと自体に感動していました。
――それぞれの歌の表現もとても印象的でした。3人それぞれの個性が出ている一方で、楽曲全体としては非常に統一感があります。
小西:僕は現場には少ししか立ち会っていないんですが、完成したものを聴いて、持ち味を最大限に活かしているなと思いました。
ぼっちぼろまる:今回は音楽として本当にピュアな曲なので、とにかく3人にはまっすぐ歌ってもらいたかったんです。もちろん歌詞には少し小悪魔っぽいニュアンスもあります。でも、それを“あざとく”表現してほしいわけではなくて。あくまでも、ピュアで、清純で、キラキラしたアイドルとして歌ってほしかった。そういうテイクが録れたことが、本当に嬉しかったですね。
――たしかに最近のアイドルソングは、あえて少し闇や毒を滲ませる表現も増えていますよね。でも今回は、それとは少し違う。
ぼっちぼろまる:そうなんです。歌詞には少し危うさもあるんですけど、歌そのものは最後まで真っすぐでいてほしかった。そこはすごく意識しました。
小西:だからこそ歌の居場所がはっきりしているんだよね。「爪痕を残してやろう」という感じが少ない。すごく曲と調和している。だけどね、これはちゃんと“上手い”んです。こういう表現のよさが伝わってほしいんだよね。
ぼっちぼろまる:たしかにそうですね。それぞれが“自分らしさ”をしっかり理解して歌ってくれたからこそ、このバランスになったんだと思います。
――オファーの経緯もぜひ伺いたいです。ぼろまるさんがライブをご覧になったことがきっかけだったそうですね。
ぼっちぼろまる:そうです。ちょうど小西さんとデモを作っている頃に日向坂46さんのライブを観に行く機会があって、本当に感動したんですよ。正直、僕は普段あまりアイドルのライブを観る機会がないんですが、最初から最後までエネルギーがすごかった。昔『フジロック』(『FUJI ROCK FESTIVAL』)でSkrillexを観た時と同じくらい衝撃で。
――Skrillexと同じ衝撃を日向坂46で!?
ぼっちぼろまる:なんというか、視覚的にも体験的にも“超エンタメ”しているライブだったのが、個人的に『フジロック』のSkrillex以来だったというか(笑)。そのなかで、特に「この3人に歌ってもらいたい」と思ったんです。小西さんにオファーした時もそうでしたけど、「受けてもらえないかもしれない」と思いながらオファーしていました。でも、ありがたいことに皆さんが引き受けてくださって。振り返ると、本当に奇跡みたいな制作だったなと思います。
J-POPが時代にあわせて変化した歴史、失われた豊かさ

――小西さんは80年代後半から90年代前半にかけて、ボビー・ブラウンらが切り開いたニュージャックスウィングのエッセンスを、中西圭三さんらとともに日本のポップミュージックへ持ち込んだ中心人物のおひとりだと思っています。あの頃、さまざまな洋楽の影響を咀嚼した日本製のポップスがいつしかJ-POPと言われるようになっていった。そんな感覚があるのですが、あらためて小西さんにとって「平成J-POPらしさ」とは何だったのでしょうか。
小西:アーティストによって違うと思うけど、僕の場合は、「ダンスミュージックをアウトドアへ持っていったこと」だったと思うんです。もともとニュージャックスウィングだけではなく、ダンスミュージックってクラブ、つまり屋内で踊るものだった。でも僕たちが作っていた音楽、たとえば、ZOOだったらスキー場だったり、小室哲哉さんのTRF「EZ DO DANCE」だったら太陽の下だったり。外で鳴るイメージを持つ音楽にしていった。それって、海外とはちょっと違う感覚なんですよね。洋楽の影響を受けたダンスミュージックが根本にあることは間違いないんだけど、J-POPになる過程で解放感を手に入れ始めた。
――なるほど。それはやはり、当時のバブル景気なども影響して?
小西:そうです。やっぱり時代ですよ。お金のことだけではなくて、精神性とかあらゆる意味で景気がよかった。日本全体に「楽しんだほうがいいじゃん!」という明るい空気があった。社会に驚くほど幸福感があったんですよ。だから、海外のフォーマットを取り入れても、日本では“解放感”とか“楽しい”が正義になった。僕はそう解釈しているんです。
令和の今って、SNSとかで「今が楽しい!」って言うだけでも、「世間には生活が苦しい人がたくさんいて今を楽しめない人もいるんですよ」とか「誰かに配慮してない!」って言われそうじゃないですか。もちろん、配慮することが悪いわけじゃない。正しく配慮はするべきです。ただ、時代全体を取り巻くムードとしては、揚げ足を取ること、取られることを意識するよりも、「絶対に今を楽しんだほうがいいよ!」という空気があの頃はたしかにあった。悲しみや苦しみの同調圧力に押しつぶされない、そんなポジティブな時代の空気があの頃間違いなくあって、それがそのまま音にも出ていたんだと思います。
――一方で、ぼっちぼろまるさんから見た小西さんが生み出す音楽の魅力は?
ぼっちぼろまる:本当に全部においてプロフェッショナルなんですよ。さらっと鳴っている音にも計算された足し算と引き算、そして掛け算があって。シンプルに言うと「とにかく音楽で楽しんでほしい!」という思いが、小西さんの作られる楽曲の隅々に活きていますよね。僕はギターを弾いて、バンドをやって、パッションでここまできた生物なので、すべてにおいて尊敬しかありません。
――ぼっちぼろまるさんはひとりで作詞作曲編曲までやられますが、ベテランアレンジャーと向き合うことで、新しい成長もあったんじゃないでしょうか。
ぼっちぼろまる:それはもう! めちゃくちゃ成長させてもらいました。本当に勉強になりました。
小西:でも、あんまり成長するとつまんなくなるかもしれないよ? その“青さ”も魅力だからね。曲にワクワクできるうちは、どんどんアイデアは出てくる。今回もブラッシュアップしながら、ぼろまるくんから「もっとこうしたい!」が止まらなかった。それが一緒にやっていていちばん楽しかったですね。
――ぼっちぼろまるさんは、ネットカルチャーやSNSから支持を広げてきたアーティストです。今やTikTokなどのショート動画は、音楽のヒットと切っても切り離せない存在になりました。音楽を聴くプラットフォームが変わることで、楽曲そのものも変わってきたと思うのですが、おふたりはその変化をどう捉えていますか。
ぼっちぼろまる:僕は、むしろ昔のテレビ全盛期に近いのかなと思っています。サビがよければ広がる。そういう意味では、ショート動画以前よりも「強いサビ」が重要になっている気がします。やっぱり勝負はサビなのかな、と。
小西:それって、さっき話した“粘着力”なんですよね。ただ、時代とともに曲はどんどん短くなっている。イントロも短い。間奏もない。エンディングというか、アウトロすらもない曲もある。僕が作っていた頃は5分くらいが普通でしたからね。
もちろん、それは今の時代には必要な変化なんだと思います。でも、そのぶん、失われていく豊かさもある。音符は少なくすればするほど、必然的に似たものになってしまう。だから、短くなることにはいい面もあるけれど、失われるものもたしかにあると思っています。
ぼっちぼろまる:僕自身も、もう長い曲はなかなか作らないようになっています。特に、2番を書くときなんか、「同じことを繰り返したくない」という気持ちが先に立ってしまう。
小西:でも、それも正しいんだよ。昔は40分の交響曲だってみんなじっと聴いていた。それが10分になり、5分になり、今は3分を切る。それだけ人の生きるスピードが速くなったということだから。だからこそ、そのなかでも、“音楽の豊かさ”をどう残していくかなんだよ。
あとね。最近あらためて思うのは、歌詞なんですよ。40歳くらいになってから、アレンジをする時は必ず歌詞を読むようになりました。言葉って、本当に大事なんですよ。たとえば、「津軽海峡・冬景色」。〈ああ津軽海峡〉、この「あ~~あ~~♪」の部分あるじゃない? あそこって、「あなたと~~♪」でもメロディには乗るんですよ。でも、何かが違う。「ああ」が入ることで、あの情景になる。あえて言わないことで想像させるし、感情を爆発させられる。言葉って、それくらい力があるから。



















