さらさ、なぜ“ブルージーに生きろ”を掲げるに至ったのか 「直感に嘘をつかない」人生観のルーツ、感情表現の広がり

2021年に活動スタートし、1st EP『ネイルの島』、1st アルバム『Inner Ocean』など初期の作品から早々に、「Live Bluesy=ブルージーに生きろ」というマインドやR&Bを軸とした歌で高い評価を集めてきたシンガーソングライター・さらさ。私自身も彼女の音楽に魅了され、その魅力を多くの人に届けたい想いから、Real Soundでのライブレポート、コラムのほか、ラジオなどでもたびたび紹介してきた。そして今回、メジャーデビュー作となるミックステープEP『Live Bluesy』のリリース(8月5日)にあたって、彼女へのインタビューが実現した。これまで彼女と会って言葉を交わす機会は何度かあったものの、こうして膝を突き合わせてインタビューさせてもらうのは今回が初めて。“メジャーデビュー”という新たなフィールドを選んだ今、彼女が表現しているメッセージと、その源泉と原点を聞き、さらさという人間と音楽の輪郭を浮かび上がらせたいと思った。(矢島由佳子)
「ここに仲間がいる!」 生き方に根差したブルースの衝撃
ーーついにメジャーデビューで、さらささんがより多くの人と出会っていくタイミングでもあると思うので、さらささんはどういう人なのか、どういうことを考えていて、どういうことに喜怒哀楽を感じるのかといったことを、今日はしっかり聞けたらなと思っています。
さらさ:嬉しいです、よろしくお願いします。
ーーメジャーデビューEPのタイトルは『Live Bluesy』で、これはさらささんが活動初期から掲げているテーマですが、そもそもいつから言い始めた言葉なんですか?
さらさ:(さらさとして)まだ活動も何もしていない、高校生のときです。インテグレートのCMの「ラブリーに生きろ」というキャッチコピーに対して、自分が好きだったゆっきゅんさんが「自分だったら『ギルティに生きろ』だな」みたいなことを発信していたんですよ。それを見て、「自分だったら何かな」とか言って、「ブルージーに生きろ」とInstagramのバイオに書いたんです。それが、ずっとそのまま残っていて。そこから活動を始めて環境や考え方などの変化はたくさんあったんですけど、“三つ子の魂百まで”的な感じで、変わらない部分というのは本当に変わらないんだなと実感します。

ーーまず、高校生の頃に、「ラブリーに生きろ」に対して「ブルージーに生きろ」というマインドが出てきたというのがユニークだなと思います。きっと高校生のさらささんは「ラブリーに生きろ」に何かしら違和感みたいなものを感じたのだろうなと思うし、その上でなぜ“ブルージー”という言葉が出てきたのかも気になります。
さらさ:当時、学校という制度の中で、同世代と生活するのが得意なタイプではなくて。小学校も行かなかった時期があったり、中学1年のあいだも行かなくなっちゃって転校したりして……居場所を探していたのかな。ずっと、違和感があったんですね。話が合う人もわかり合える人もいないのが、すごく生きづらいと感じていて。それで中1で『ウッドストック・フェスティバル』、“フラワームーブメント”とか、そういうことを知ったときに「ここに仲間がいる!」と衝撃を受けたんです。そこから自分で調べたりしていく中でブルースに出会って、直感的に「すごく好きなものだ」みたいに思って。ファンク、ソウルとか、そういうものもすごく好きでした。
ーー当時のさらささんは、なぜブルースにそこまで惹かれたのだと思いますか?
さらさ:ブルースというジャンルの成り立ちであったり、音楽自体に対して、自分の中で救われるようなものがあったんだろうなって思います。まだ中学生だったので自分自身のこともあまりわからない中、ブルースとかそういったカルチャーが自分のことをわかっていく手がかりのひとつになるんじゃないかと思っていたんだと思うんですよ。だから自分の中ですごく大切にしていたし、もっと知りたいと思う好奇心の対象でした。
ーー『ウッドストック』やフラワームーブメントのことを知って「仲間がいる」とまで思ったのは、どういうところに共鳴や救いを感じたからなのだと思いますか? 逆に言えば、学校という環境に、どういった違和感を抱いていたのでしょう。
さらさ:うち、お母さんがフラダンスの先生で、お父さんがサーフィンのウェットスーツを作る会社をやっていて、2人ともそういったカルチャーが根づいている人たちで。そんな家庭で育ったので、学校という集団の中にいると「さらさちゃんのお父さんは変わってる」みたいに思われる対象ではあったんですよ。そういうときに、それが当たり前の文化を知って「似ている人たちがいる!」みたいな喜びがあったんだと思います。あと、昔から考えすぎちゃう子どもで、内省的でもあったし、自分自身の気持ちと向き合うのが癖なタイプだったから、自分の正義を主張したり行動したりすることをいとわないフラワームーブメントの生き方に親近感を覚えて、ちょっと救われるような気持ちになったんじゃないかなって思います。

ーー中1の頃に学校へ行かなくなったのも、そういうところへの違和感とかが要因だったんですか?
さらさ:ひとりっ子で、従兄弟とかもいなくて、お父さんやお母さんの会社の人に遊んでもらったりしていたから、大人の中で育っちゃったんですよ。だから同世代との関わり方をあんまりわかっていなかったんだろうなと思います。私は覚えてないんですけど、母曰く、小学校から帰ってきて「誰も話が通じねえ」ってキレたりしていたらしいんですよ(笑)。自分が大人という意味ではなく、単純に同世代との付き合い方がよくわかっていなかったんですよね。同じ年に生まれた人たちを集められる空間というものに、居心地の悪さを覚えていたんだと思います。小学生の頃から、自分で調べて「海外には年齢関係なく学べる学校やフリースクールがあるのに、日本でもそういうものはないのか」って、親に言ったりしていました。今も、年上の友達ばっかりですね。
ーーたとえばルッキズムやジェンダー観について、大人になるといろんな考え方があると知って少しは楽になれるけれど、小中高の頃は学校の中で狭い価値観に縛られて、大人以上に苦しい場面に直面することがあると思うんです。そういうものにも違和感があったりしました?
さらさ:あった気がします。やっぱり考えちゃうタイプだったから、いろんなことに疑問を持ったりして、難しかったなあと思いますね。それこそルッキズムとか、子どもならではの価値観に、違和感を持っていたのかな。今もあまり人のガワみたいなところに興味が湧かないのは、幼少期のそういう感覚からなのかなと思います。



















