リアルピース ソロインタビュー Vol.2:かちょー「ずっと猫をかぶって生きてきた人生だった」 運と仲間を味方に進む道

 5人組YouTuberアイドルグループ・リアルピース。彼らが男性グループ初の“全Zepp制覇ツアー”を開催中だ。2026年11月3日に開催されるLaLa arena TOKYO-BAY公演に向かうための布石である。

 リアルサウンドでは、この全Zeppツアー開催を記念して、かずぅ、こーた、かちょー、なお、こぺ、5人それぞれの1万字インタビュー、計5万字にもおよぶ特集をここにお送りする。

 第2回目に登場するのは、かちょー。昨年末に放送された『SASUKE2025~第43回大会~』(TBS系)で1stステージの新プリズムシーソーの人類初攻略に成功。番組で大きなインパクトを残したが、今回のインタビューを読んでもらえれば、それが偶然ではなく、運を味方につけた男・かちょーだから成し得たことであると言うのがわかると思う。どのようにして池田絢亮はリアルピースのかちょーとなり、かちょーをまっとうしているのか――話を聞かせてもらった。(編集部)

今でも見える人のオーラ「何かに守られてるように感じることがありました」

――では、生年月日からお願いします。

かちょー:平成2年7月22日です。育ったのは鳥取県なんですが、生まれたのは島根県の出雲市です。昔から神話が好きで、特に出雲に縁のあるスサノオという神さまになぜか惹かれるので、「島根県生まれの鳥取育ち」と言うようにしています(笑)。

――土地柄的に、小さい頃から神話などに触れていたんですか?

かちょー:特に聞かされるわけではないですけど、初詣はいつも出雲大社だったり、自然と触れていて。自分で学ぶことができるようになってから、調べてより好きになっていきました。

――幼少期はどういう子どもでしたか?

かちょー:運がいいというんですかね……生まれた時から、全身に黄疸が出て「この子は絶対生きられない」と言われたところから生還したり、何かに守られてるように感じることがありました。おばあちゃんが死ぬ時に会いにきたり、箱を振って中身を当てられたり、人のまわりにオーラが見えたり、そういう力? みたいなものがあったんですよ。

――すごいですね! 人それぞれ違う色のオーラがあると言いますが、それが見えたんですか?

かちょー:そうそう。赤とか緑とか青とか、小さい頃見えていたのを今でも覚えています。でも、当時はそれが当たり前で、みんな見えているものだと思っていたので、特に誰にも言わず(笑)。大人になってから人に話したら驚かれました。オーラは今でも見えるんですけど、色は見えなくなっちゃいました。

――ご両親にもそういう力があったりするんですか?

かちょー:お母さんがちょっと見えるみたいですね。お葬式とかに行くと人魂が見えたりするらしいです。でも、母が懸賞系に応募する時は必ず僕の名前で応募していましたよ。当たりやすいのかな(笑)。あと、子どもの頃は本が好きで、ずっと本を読んでいました。ゲームの『三國無双』で「三國志」を好きになって読んだり。偉人の歴史を読むのも好きで、野口英世とかアンネ・フランクとかの伝記もたくさん読みました。

――アウトドアというよりインドア派だったんですか?

かちょー:運動も好きだったので、誘われればみんなと外に出て運動したりもしていました。ひとりで教室の隅で本を読むのも楽しいし、みんなとワーッと遊ぶのも好きだし、両方でしたね。性格的には内気だったので、自分から積極的に関わっていくタイプではなかったです。

空手少年、バスケ少年を経て『ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト』へ

――ご兄弟はいるんですか?

かちょー:ひとつ下に弟がいます。でも、まったく似てないですね。タイプも見た目も性格も真逆くらい違う。内面的に言えば弟のほうがちょっとしっかりしているんですけど、1歳差なので、小さい頃からほぼ友達みたいな感じでした。一緒にゲームしたり、寝る時もずっと隣だったり。

――男兄弟の兄であることは、リアルピースというグループで活動するなかにも影響があったりします?

かちょー:僕が高校卒業と同時に東京に出て以降、あんまり地元に帰っていないのもあって、大人になってからの人との付き合い方にはあんまり影響していないですね。それより、東京に出てきたあとに務めていたバイト先に年上の人が多かったので、そこでいちばん年下だったことのほうが影響している気がします。

――子どもの時の記憶で、いちばん印象的なものは?

かちょー:いちばん覚えているのは、小学校低学年くらいの頃に、階段から落ちて前歯を折ったこと。絶対忘れられないですね。画も覚えてるんですけど――赤い絨毯の螺旋階段で、志村けんさんが出ている番組を観たあとだったのか、志村けんさんの真似をしながら降りていたら、つまずいて顔面から落ちました(笑)。前歯が折れて、口を閉じても歯が飛び出てくるんですよ。旅行先だったのに、おかゆとチーズしか食べられなかったのを覚えています。コケて泣いたあとに治療を受けている記憶とかはないんですけど、落ちる瞬間とチーズを食べているイメージははっきり記憶にある(笑)。強烈な印象だったんでしょうね。

――何か習い事はしていました?

かちょー:小学校の時に空手とバスケを始めました。空手は小学校2年生の時に始めたんですけど、お父さんが単身赴任で家にいなかったので、「自分が家をしっかり守らなくちゃいけないから空手をやる」と言っていたらしいです。僕は覚えていなくて、あとで聞いた話なんですけど。空手は中学校2年までやっていて、型のほうで県大会2位になって全国大会に行ったり、流派の全国大会で3位になったり、結構先生にも期待されていました。ただ、中学に入るくらいのタイミングで空手の先生に「もっとちゃんとやりたかったら空手かバスケか一本にしたほうがいいよ」と言われて、バスケにしたんです。バスケのほうが楽しかったので、得意だった空手をやめました(笑)。バスケは小学生の時は地域のクラブ、中学校から部活動でやっていて。強い学校ではなかったから成績的には空手のほうが圧倒的だったんですけどね。

――そこは未練なくやめられたんですか?

かちょー:当時はそうでしたね。でも、今となっては空手を続けておけばよかったかなと少し思います。刀や闘うジャンルが好きだし、アクションや殺陣にも生かせるじゃないですか。子どもの時はその価値に気づけなかったので。

――『ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト』に参加するのもその頃ですか?

かちょー:中学3年生でした。いきなり親に「写真を撮るからそこ立って」と言われて、撮ったら送られていたんです(笑)。そのあと、「大阪に行く」と言われて、「なんで?」と聞いたら「オーディションがあるから」って。

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