BRAHMAN TOSHI-LOWはなぜ死生観と向き合い続けるのか “終わり”を受け入れ力強く前進する結成30周年

幼少期から囚われてきた死生観「歌にしていかないと、自分の中で昇華できない」

BRAHMAN TOSHI-LOWインタビュー写真(撮影=加古伸弥)

──あの時のライブでもう一つ印象的だったのは、遠藤ミチロウとかそういう人たちの写真を掲げて、亡くなった人たちへの追悼をやっていたことです。今回のアルバムにも、そういう亡くなった人たちとか、志半ばでリタイアした人たちの思いを背負ってやっているところもあると感じます。

TOSHI-LOW:まぁ、そういう人たちの無念さを俺たちが晴らせるわけではないから。そういうつもりもないんだけど。でも、出会った人との別れは寂しいし。それはいつも実は自分の中にあるお題なの。「旅路の果て」って曲で形にしたんだけど。死んだ友達への思いはずっとある。人が亡くなったら、SNSなんかで「寂しいです」って言って、次の瞬間別の楽しげな投稿してるような人達になれないんで。ずっと引きずってる。こうやって歌にしていかないと、自分の中で昇華できない。悲しいのは当たり前なんだけど、そこからどうしていくのかっていう問いかけと答えが出てくる必要があった。

──悲しみは消えることはないけど乗り越えることはできる。

TOSHI-LOW:乗り越えようともしていないと思うんだけどね。でも力強く寄り添いたいというか。メソメソ写真を眺めて浸るような悲しみではなくて。メソメソしてても結局、次の日はメシを食わなきゃいけない。生きていかなきゃいけない。だとしたらそれをどう捉えていくか。それはもう自分たちの身にも、明日にでもありうることだとリアルに思っている。当たり前じゃん死ぬのなんて、っていう認識でドン! とやっていかないと。

──TOSHI-LOWさんってまだ50歳ですよね。普通に言えば死を自分のリアルとして意識するような年齢では全然ないと思うけど、何かきっかけはあったんでしょうか。

TOSHI-LOW:俺がBRAHMANを始める直前に一番の友達だと思ってた奴が死んでいったから。たぶんそいつが死んだことが、このバンドをやっているうえですごく大きくて。曲を書くときにそういう命題が自分の中にずっとあった。もちろん少しずつ変わってはいくんだけども。でも、50歳くらいになるとやっぱり多いよね。上の人、先輩たちは亡くなっていくし、先輩と俺たちの間にいるような人も亡くなっていくし。自分たちの下の奴も、余命が判断されるような病気になっていく。どう考えても人生半分切ったら死が近いと思う。それを理解できない歳ではないし、十分理解できるし。自分も秋から冬の章に入っていると思っているよ、人生の。

――うーん、そうなんですか。

TOSHI-LOW:そもそも生きる・死ぬの観念って、気にならない人って一生気にならないじゃん。でも俺は子供の時から「死ぬってどういうことなの?」って疑問があった。じいちゃんに聞いても親に聞いてもわからない。いずれ死ぬってどういうことなのか、眠っているのと一緒なのか、どこかに行くんだろうかとか、そういうので怖くて眠れなくなったりとか。子供の頃からそうだったの。じゃあ死ぬっていうけど、生まれる前はどこにいたのとか。そもそも俺たちは何だったの、空気だったの? 土だったの? それとも天国? 本当に子供のころからなんで? なんで? なんで? って思っていた子供だから。

――なるほど……。

TOSHI-LOW:いずれ大人になったらその理由がわかったり、自分が生きてる意味がわかったり、死ぬってどういうことかわかるのかもしれないって思ってたら、どんどんわからなくなってきた。BRAHMANで歌詞を書いて、死生観を持った歌詞を書いていけばいずれもっと違う言葉を掴んで、それを墓に持っていける、安心して「やったぜ」って言えるかもしれないっていう、どこかにそういう考えがあったの。だけどここまで来て、30年もやって、「こんなにわからないんだ」ってことしかわかっていなくて。

──あぁ、なるほど。

TOSHI-LOW:だから今でも子供みたいなんだよね。どうなの? どうなの? って。こういう話になると、よくわからないんで教えてくださいって他の人に聞くし。生まれる前ってどこにいたと思います? って。

──それは哲学者とか宗教家が考えることですね。

TOSHI-LOW:そうなの。だから、たぶん俺は宗教的な言葉も今まで使ってきたと思うし。そういうものに深く傾倒していった時期もあるし。もちろんそこに答えはあるんだけど、じゃあ100%全部あるかというと、なんかピンとこない部分もいっぱいあって。そうするとやっぱりもっと、自分なりに思っていることを素直に表現していきたい。やっぱり隣にいた人がいなくなったら寂しいよね。なぜだと思う? っていう問いかけになっていく。

──そういう内省的な部分は常に自分の中にある。

TOSHI-LOW:常にあるというか、消えたことがない。何かが起きたり、何か自分の中で達観することがあれば消えると思っていたの。大人になったり、名が売れたり。でも、何がどうなっても子供の時の疑問も、不安も、何も消えなかった。ただ、今は死が不安ではなくて、当たり前のものとしてちゃんと見られるようになった。それで考え込んで眠れなくなるようなことはないけど。ただ、わかったのかと言われたら何もわかってない。どちらかと言ったら、わかろうとして書いているというよりは、わからない部分も含めて素直に良しとしているということに近いのかなと。

──なるほどね。それは必然的に今みたいなBRAHMANの音楽表現につながってくるということでしょうか。

TOSHI-LOW:どうなんだろう。でも一番始めにこの名前になったのも、民族的な音楽、宗教儀式的な音楽であることも、自分の思っている死生観を出してもいいような器だったから、という気はするよね。

──ああ、バンド名を付けた時点で。

TOSHI-LOW:うん。名前がね、ハイスタンダードってつけてたら今の自分たちのような曲は書かないでしょ(笑)。

──はははははっ!(笑)

TOSHI-LOW:だから名は体を表すってそういうことなんじゃないかなって思うんだけどね。その人たちはそういう名前でそういうキラキラしたものを表現している。だからその逆のネチネチした感じがあってもいいと思うし(笑)。人生は最悪も来るよ、ずっと大変の繰り返しだよ、って言ってるやつがいてもいいじゃん。ピカピカのままでいこうよ、いや、ドロドロのままでもいいじゃんって言ってるやつ、どっちも真理だと思うし。

──共通しているのは、表面だけ取り繕ってやっているわけではないということですね。

TOSHI-LOW:本質のほうが好きなんだよね。「そうキツいことは言わんでよ」みたいな、見たくないようなことの中に本質があるとすれば、どうせまた失敗するよ、どうせまたつらいことが起きるよ、どうせまた別れだって起きるよ、だけどそれが人生じゃん、っていうことを踏みしめていくしかないよっていう自分なりの鼓舞の仕方なんだよね。

“弱い自分”と向き合い奮闘する音楽人生

BRAHMAN TOSHI-LOWインタビュー写真(撮影=加古伸弥)

──ご自分は悲観的な方ですか?

TOSHI-LOW:死のことを考えないで生きていて、いきなり愛する人がいなくなっても次の日も普通に生きていられるってものすごく強い人だと思う。俺はずっと、どうなんだ、こうなったらつらいなってイメトレをしてる。こうじゃないか、ああじゃないかって理論も、わからないなりに考えて考えて、そういう人がいなくなった時にギリギリ持ちこたえて生きてるのに。俺は弱いから常にそういうことを考えていないとやられちゃう。そういう意味じゃ悲観的かもしれない。運転したら事故をするかもしれない、何かあるかもしれないって考えておけば、いざそういうことがあった時も対応できると思っていて。人生の起きうることすべてに関して同じ姿勢でいるよ、俺は。それは自分が弱いからだと思ってる。

──これまでの30年間で一番最悪だったことって何ですか? 最悪の困難。

TOSHI-LOW:最悪の困難……音楽を続けられちゃったことじゃないかな。

──それが困難?

TOSHI-LOW:だって長くやろうなんて思ってなかったから。

──それは望んだことじゃないの?

TOSHI-LOW:望んだことの中で一番つらいことかな。

──望んだのにつらいんですか?

TOSHI-LOW:今はつらくないよ。ここに来るまではつらかった。

──何がつらかったんですか?

TOSHI-LOW:自分の才能のなさを他と見比べたり。自分の実力を知ったから。俺はなんでもいけるぜってところで終わってたら、そんなことはなかったのになって。いかに自分を知るか。本当の鏡でダメな自分を見ちゃうことがつらいんだよね、俺みたいにアホで生きてるタイプは。

──それはどうやって乗り越えたんですか?

TOSHI-LOW:乗り越えていないよ(笑)。奮闘するしかないじゃん。

──自信喪失はしなかったんですか?

TOSHI-LOW:喪失したよ。でももともと自信を裏付けしているものなんか持っていないっていうことに、ある日気づくの。自信を持つほどの何かをお前は成し遂げたのかと。何の根拠もないくせに、自分が一番だと思って生きている。そういう妄想の自分が刈り取られて。その中でいつの間にか生きてしまっていて。

──若い頃はみんなそうでしょう。

TOSHI-LOW:そうかねぇ。でもそこで潰れなかった。音楽を続けられてしまった。その間の頃はすごくつらかったね。

──自分を知って、そういうものだと受け入れて、つらくなくなってきたのはいつ頃なんでしょうか?

TOSHI-LOW:三十後半…40代……中盤くらいまで…かな。

──つい最近じゃないですか。

TOSHI-LOW:できないことはやらないんだって嘘ぶいてたから。でも自分でちゃんと……できないけどやりたいことだったら努力しなきゃいけないし。でもやりたくないことならやらなくていいし。一つひとつこう、拾ったり捨てたりしなきゃいけなくなってきたというのが嫌で。その前が一番嫌だったかな。

──ふむ。今自分がやれることって何だと思います?

TOSHI-LOW:根本的には一生懸命歌うことだと思っているよ。一生懸命歌うためには、思いが伝わる歌詞を書かなきゃいけない。いわゆる良い曲を書きたいというのではなくて。ちゃんと自分の思いが乗るというか、そこまで考えたり、かといってさっき言ったような宗教、学術用語とかそういうことじゃなくて。一言ですべてを表してしまえるとか、そういうことでもなくて。もっと、子供にわかるような簡単な言葉なんだけど……肌触りや言い方やそういうもので、もっと怖くも優しくもできるような歌詞にしていきたいと思っているよ。

──それは自分でどれくらい達成できていると思いますか?

TOSHI-LOW:どうだろう、今回のアルバムは比較的できているところの方が多いんじゃないかと。

──その通りですね。30年やってきて、これから20年、30年、何をやっていきたいのか、その決意表明みたいなものがちゃんと伝わってくるアルバムになっている。曲調もそうだし、歌詞も。

TOSHI-LOW:うん、間違ってないと思う。でも、なんだろう。決意表明なのかと言われると……。

──まぁ、決意表明という言葉が適切かどうかはわからないですけど。

TOSHI-LOW:そうなんだよね。俺もわからない。でもいちいち決意は固めているんだと思う。自分なりの矜持みたいなことは言ってると思うし。やっぱり、良いっていうものと好きじゃないものとはもう、分けていると思うし。

──そういう意味では、語弊のある言い方をすると、TOSHI-LOWさんはいつも同じことを言っている気もしました。

TOSHI-LOW:うん。そうだね。

BRAHMAN TOSHI-LOWインタビュー写真(撮影=加古伸弥)

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