a flood of circleは成長を拒否して破壊を叫ぶ 佐々木亮介、“半端者のロックンロール”で突っ走る理由

「破壊を求めるのは初期衝動じゃなくて、今リアルに思っていること」

ーーそういう決心がついたところで、バンドとしてはどんな音を鳴らしていこうとなったんですか。

佐々木:それが合意が全然できていなくて……というか、本当に俺に合わせてもらってるんですよね。山で録ると言った時も、みんな「え!?」って感じで(笑)、「亮介が言うならやってみようか」みたいな。最近もメンバーはいろんな洋楽のライブとか観に行ってるけど、俺は真逆で、音楽的にはどんどんつまらない方向に行ってるなと思うんです。でも、そのつまらなさのもう1つ奥に面白さがあると思ってやろうとしているから、そこは無理矢理付き合ってもらっていて。

 山を下りた後、「ベイビーブルーの星を探して」のレコーディングではミステイクを採用していて、終わり方とかグダグダなんですよ。みんな嫌がってたけど、「絶対これが一番面白いから」と言ってそれにさせてもらったりとか。俺は別に合わせる必要がないと思ってるというか、ロックンロールの演奏が合ってるから何なの? としか思わない。キース・リチャーズだって絶対わざとそうやって「Jumpin Jack Flash」を弾いてるじゃないですか。なのに、なんで上手く弾こうとするのかなって……そこが周りとずれているというか、俺がずらしているのかもしれないですね(笑)。ロック的な面と演奏のプロ的な面は真逆な気がしているので。

ーー先ほどの“成長したくない”という話にも通ずる気がするんですが、ティーンの頃に芽生えた初期衝動って、バンドを続けて20代、30代になっていくとどうしても薄まってしまうじゃないですか。でも、佐々木さんはロックの初期衝動を燃やしたままどこまで駆け抜けられるのかっていうことに挑戦しているのかなと思ったんですけどーー。

佐々木:いや、実はそこは違っていて。最初に思った気持ちというより、今思ってること、「本当に今、それでいいのかよ!?」っていうことがすごく大事なんですよね。「バンドの集まりでフェスに出ていて、面白いと思ってるの?」「もっとヤバい瞬間欲しくないわけ?」みたいに思っている嫌なヤツなんですけど、当然、それは自分に対しても言い聞かせていることなんです。だから何かを破壊することが必要だと思っていて。社会に不足しているものがあって「このままじゃダメでしょ」と思っているはずなのに、どこかでみんな規定路線に走って、同じ政治家を選び続けるようなことになっている気がするから。こういうこと言うと「頭がお花畑すぎる」とかよく言われるんですけど、俺は本当に思っているんですよ。それは初期衝動じゃなくて、今思っていることだし、むしろティーンの頃には考えてもいなかったことなんですよね。

ーー確かに。今生きている社会に向けて、現状打破を投げかけていると。

佐々木:しかも、それが成長とは違うっていう難しいことをやろうとしてるんですよね。そこで成長を取るのは楽な道っていう気がするんです。そうじゃない、もっと変で面白いことがこの世にないものかと考えているので。

ーーそれは「自分みたいな人がいてもいいじゃん」っていう肯定の意味合いなんでしょうか?

佐々木:それもあると思います。おっさんになってから自分を否定してるのは見苦しいみたいだし(笑)、否定していることを肯定したいという気持ちもある。逆に、半端者だと思っている人には「それでいい。半端な状態であることがすでにチャンスだよ」と思うので。成長せずに半端者であることを前に出した時、本当に強いんじゃないかなという気がします。

ーー佐々木さんは読書がお好きだと思うし、いろんな音楽も吸収されているから、絶対にどこかで成長しそうになるじゃないですか。そこで成長しない方向に舵を切るというのは、どういう感覚なんでしょうか。

佐々木:語彙とかコードって、もう世の中に全部出切っていると思うんですよね。でも組み合わせの仕方とか、自分の人生と結びついた時とかに、そこにしかないものが生まれてほしい。J-ROCKの中に新しさはもうないけど、「J-ROCK」という曲はまだないでしょ? みたいな。そういうことの繰り返しをしてるんですよね。あと「虫けらの詩」とか「ファスター」では、3分間ぐらいギターの1カ所しか弾かないようにしているんです。それを誰かにやられたくない、やられたら負けだと思ったからやったというのもあって。

ーーそれってOasisを最初に聴いた時の衝撃みたいだなと思いました。あんなに簡単なコードなのに、なんでこんなにいい曲なんだろうって。1コードで駆け抜けるというのも、昨今のポップスの流れの中では発明みたいに聴こえるでしょうし。

佐々木:「俺でもできそう!」みたいな感じね。ピカソでも、さくらももこでも、自分にもできそうって思わせる人はすごいですよ。俺のは地味すぎてみんな気づいてないけど、結構やってやったと思ってるんだけどな(笑)。(高野)勲さんは褒めてくれましたけどね。「この曲はコードしか聴いてない。これがもうサビだよね」って。そもそも一発OKの曲をわざわざ山に行って録ってくることに意味を感じているんですよ。あまり褒められないけど(苦笑)。

「“振り切れる”って限界があるから憧れてはいない」

ーー(笑)。その「虫けらの詩」ですけど、実は15年前、「ノック」(デビューアルバム『BUFFALO SOUL』収録)でも佐々木さんは〈虫けら〉と歌っていたんですよね。

佐々木:おぉ……それは忘れてた。語彙を減らすとか言ったけど、マジで増えてなかったんだ(笑)。

ーーなので一貫しているなと思って感動したんですけど、明/暗で言うと、佐々木さんは常に暗い方にいるし、曲の入り口はネガティブなテーマであることがずっと多いですよね。

佐々木:意識的に暗いテーマを選ぼうとは思ってないんです。暗さをテーマにしてたら、THE KEBABSは絶対にやらないし、ソロの雰囲気もああいう感じにはならないと思うんですよね。かと言って頑張って明るくしようと思っているわけでもなくて。自然にやっていることなのかな。明るい/暗いとかもあまり考えていないかもしれない。

ーー「武道館に行くぞ」って決められているところとか、ある意味シンプルですよね。

佐々木:たぶん、すごい俄かなところがあるんですよ。

ーーでも、だとすれば『ROAD TO BUDOKAN』くらいの思い切ったアルバムを作ってもいいんじゃないかなと思うんですけど、やっぱりa flood of circleは『野うさぎのブルース』を歌うわけですよね。チャンピオンロードではなく、道を逸れた人のブルースを歌う。それはどうしてなんでしょう?

佐々木:中途半端なんだと思いますよ。もっと明るい人、暗い人はいっぱいいるだろうし、もっとロックンロールな音楽をやっている人もたくさんいるだろうから、俺は尖り具合もいい人具合も、本当に半端者で。それこそSHELTERに出始めた頃、バラードっぽい曲とブルースっぽい曲を両方やっていたら、「どっちかにした方が絶対いいよ」みたいなことを人伝てに言われたりもして。もちろんカチンときたんですけど、やっぱりそれが自分なんだなって。そういう中途半端さと決別せず、自分らしさとして武道館でねじ伏せられるかどうかなのかなと。

 何らかの仮面を被ってる人、キャラを背負える人はかっこいいと思うんですけど、どうしても俺はズルズルとリアルな自分を出そうとしちゃうんですよね。振り切ることにもあまり憧れてはいないですし、正直“振り切れる”って既視感があるなとも思うんです。大麻やって捕まりましたとか、最後は死んじゃうっていうカート・コバーンみたいな人とか。それよりも強いロック大喜利のカードは誰も出せないじゃないですか。だからそういう振り切れ方には限界があるから憧れてはいなくて、逆張りしたくなっちゃう。1つになりそうな時間とか大団円が嫌だったり、卒業式も嫌だから行かないタイプだったので。マスタリングも仮病使っちゃいました。

ーーマスタリングに仮病ですか(笑)。

佐々木:そう(笑)。漫画で言うと『ドラゴンボール』とか『SLAM DUNK』みたいにグダグダで終わるものの方が好きなんですよね。映画も1シーン最高だと思えればそれでよくて、最高だと思えるシーンがないのに綺麗にまとめられていると冷めるから、それは俺の性格だなって思います。まとめるんじゃなくて、続いてほしいと思ってるんでしょうね。グズグズしている方が、また楽しいものが待ってる気がする。

ーー中途半端さというのは日常においても感じているんでしょうか。

佐々木:いや、音楽をやる時かな。本当はもっと割り切って、「これは出さなくてもいいや」っていう自分は押し殺した方がかっこよくなる時があると思うんですけど、音数は減らせても、生きて経験してきたことって減らせないんですよ。例えば、本をいっぱい読んでると、本棚にかっこいい本をたくさん飾って見せたくなるじゃないですか。でも俺は「ちょっと恥ずかしいヤツも読んでたんだよな」って見せちゃっているような感じで。かっこ悪いとわかっていても、それを隠すと自分じゃないし、少なくとも俺としてはその本棚に存在価値がなくなってしまうから。

ーーハイコンテクストな本ばかり並んでいる棚は雑誌の特集でやればいいよね、みたいな?

佐々木:そう。しかも、そういう棚って並んでるものをパッと見たらハイコンテクストだってわかると思うんですけど、そこに“わざと置いてある『ドラゴンボール』”みたいに見えるのも嫌だなと。俺は本当に好きで『ドラゴンボール』を読んでいるのに。なので、こういう文脈で見ればわかりますという棚ではないし、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTのファンが見ればわかるとか、スピッツのファンが見ればわかるということでもない。学校の隅っこの人の味方とか、ファンのためにやっているとかでもない。ただ俺から出しているっていう、それだけなんですよ。その甘えをやり切ろうとしているだけなんだなって思う。

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