浅井健一、前だけ見て進むポップな境地へ BLANKEY JET CITY再結成はあるのか、赤裸々に語る
デビュー時は「ものすごいものを作らなくちゃ」ということに追われとった
ーー今作の「Fantasy」は、その「Mrs. Robinson」みたいに彼女に呼びかけるような歌ですけど、こちらは〈AI〉だったり〈メガソーラー〉だったり、今の時代のリアルが反映されていて。そこは浅井さんの作風だなと思います。浅井さんはAIに関してはどんなふうに思ってますか?
浅井:まあ〈そのうちわかるわ〉って感じだよね……だからそう言ってるじゃん(笑)。歌の中でね。AIは、心がないでしょ? ものすごいデータを瞬時に計算して最良のものを出す、みたいな感じなんじゃないの? だったら、ある方面では利用価値があると思うけど、心がないんであれば、結局はそんなに恐れなくてもいいのかなと思うね。
ーーそうですね、わかる気がします。このファンタジーという表現は「猿がリンゴを投げた」でも〈この世界はファンタジー〉につながっていて。その後に〈最高になるんなら 考えても無駄さ/感覚を研ぎ澄ませ〉というフレーズがありますね。
浅井:まさに今だね。考えても無駄かもしれないよね。
ーーはい。浅井さんが考えてることって、こんなふうに自然に歌に出てきますよね?
浅井:もちろん。自分が本当に思っとることを書かないと……ヘンなことになる。
ーーヘンなことになるとは、どういうことなんですか?
浅井:だって自分が思ってないことを歌にしたら、みんなに嘘ついてるような形になっちゃうじゃん。そんな、嘘つくようなミュージシャンなんて、嫌じゃん? そんなミュージシャン、誰も聴きに行かんと思うもん(笑)。俺、やっぱりみんなに来てほしいし。だから自分で曲を作って、それをバンドで練習して、爆音でやってさ。それをみんなが観に来てくれるっていうのは、一番いい仕事だなと思ってたね。さっき。
ーーさっき? 何でさっきなんですか?
浅井:いや、今日インタビューあるから、何言ったろうかなと思って(笑)。何でも、みんな、その仕事が本気で好きだったら、その人にとって一番最高の仕事になるからね。一生懸命勉強して、国会議員になって、「やっと銀座で遊べるわ」みたいになって(笑)。ほんで小学校でも高校の頃もずっと全然モテんかったけど、「俺は国会議員だ」とか言って銀座でモテることにすべてをかけるのもいいと思うよ。その人が本当にやりたいことなんであれば。だからみんなそれぞれ、自分の信じる一番ということをやればいいと思うけどね。まあ中にはなかなか、「本当はあれやりたいんだけど」っていう人もいっぱいおると思うけど。
ーーそうですね。あと、仕事にしちゃったがゆえに大変だっていうことも、きっとあるじゃないですか。
浅井:ああ、「こんなはずじゃなかった」っていう?
ーーそうそう。「こんなに大変だったのか」とか、「こんなに苦しいものだとは」とか。
浅井:本当にそうだよね。でも、大体それはあるよね。俺だってミュージシャン始めたての頃、「えっ、この間アルバム作ったのに、また作るの?」みたいな(笑)。
ーーあ、先日その話を思い出してたんですよ。浅井さん、ブランキーでデビューした後、最初の3枚のアルバムはどんどん出したじゃないですか。その後に「レコード会社がすぐに次を出せと言うんだわ」みたいな話をしていた記憶があって、次の『METAL MOON』ぐらいから曲の書き方が変わってきましたよね。
浅井:うん。そうだね。
ーーあのあたりから次の段階に入ったんだと感じたんですよ。その時期、「ミュージシャンを続けていくことは大変なんだな」と思いませんでした?
浅井:いや、思ったよ。だからその頃、飲んだくれたことがあったもん(笑)。苦しんでたんかな、俺? その時。ストレスがあったのかな……苦しんでたんだと思うよ。
ーー当時は曲作りで、特に歌詞を書くのが大変だったと聞きました。
浅井:そうなんだよね。「ものすごいものを作らなくちゃいけない」ということに、いつも追われとってさ。それまでは10代の時から作ってた曲のストックがあったから、それプラス新しい曲でやれたんだけど、昔の曲がもう全部なくなって、もうゼロから作る感じになった時期なんだよね。で、「ポップな感じのやつを作ろう」とかさ(笑)、「こういう一般ウケするような言葉がいいのかな」とか、考えたよ。俺、一般ウケするような言葉を歌っていなかったからね。
ーーそれでその後にポップな歌を作ろうという努力はしましたよね。
浅井:そうだよ。「赤いタンバリン」とか、「SWEET DAYS」とかね。
ーーそういう曲は、今もライブでやっているほどじゃないですか。
浅井:そうだね。だから……歌詞の内容も大事なんだけど、パッと聴いた時の音の感触? 聴き心地のいい言葉が大事なのか、逆に言ったら、そういう単純明快なのでいいのか……みたいなさ。「SWEET DAYS」なんて、ちょっとおもろい、可愛らしい言葉がバーッて続くじゃん? そういうことを、その時のエンジニアの南石(聡巳)くんにポロッと言われたりして。そういう瞬間に、ハッと気づいたのかな。
ーー90年代の話ですね。その頃、ずっと音楽をやっていくだろうと思いながらバンドやってました?
浅井:それはわからないって。「いつまでもやれたらいいけどな」とか思いながら、一生懸命作ってたって感じ。いつまでやれるかは、みんなわかんないじゃん。
ーーじゃあ質問の仕方を変えますけど、違う仕事をやろうと思ったことはなかったですか? ミュージシャンになった後に。
浅井:まあ、一時、誰に会っても「カレー屋やってるの?」って言われたな。それがいつまで経ってもカレー屋カレー屋って言われるのが本当に嫌だったな(笑)。「ベンジーもとうとう行き詰まってカレー屋始めたんだ」みたいなふうに思われるのが本当に嫌だった。
ーー何年か前にカレーをプロデュースされていたことがありましたね(笑)。これはまた話が違うと思いますけど。でもカレー屋はやりたくてやったことでしたよね。
浅井:うん。やりたくてやったんだよ。あれは(笑)。