浜野はるき、“クズな恋愛”を昇華した赤裸々なラブソング 中洲のキャバクラから無一文で上京、音楽にかける想い

「心が死んでました」その日暮らしの東京生活

浜野はるき『Tokyo』 (Official Music Video)

ーーnoteに「貯金0円で上京した」と綴ってました。

浜野:そうなんです。結局、一円も持っていかず、しかも成田空港は東京だと勘違いしていて。お金がないから、とりあえず手をあげて、ヒッチハイクでなんとか千葉から東京までたどり着いて。割と楽観的に、行けばどうにかなるみたいな感じで上京しました。

ーーどうやって生活していたんですか?

浜野:路上ライブです。投げ銭のお金で1日900円のゲストハウスに泊まってました。だから、お金が貯まるまでは家に帰れないんですよ。

ーー21歳の女子がよくその環境で暮らせましたね。

浜野:いや、今はもうできないですね(笑)。

ーーそのくらいデビューへの思いが強かったということ?

浜野:お母さんを見返したいという思いの方が大きかったです。家族も友達も「歌で生きていけるわけないじゃん」って言うし、みんな反対してきて。それを絶対見返してやるみたいな気持ちでした。今はお母さんとも仲直りして、応援してくれてるんですけど。

ーー上京後の音楽活動はどのようなものでしたか。

浜野:路上ライブの日々ですね。路上に住んでるのかなと思うぐらい、新宿の南口にずっといました。朝11時ぐらいから夜11時ぐらいまでずっと歌い続けて。その日の投げ銭がその日の生きるお金になる。今は笑って話せますけど、その頃は「お母さんに頭下げてでも帰ろうかな」と思うこともあって。東京に友達もいなかったし、泊りに行くところもないし、どうしようかなって考える日々でしたね。カップラーメンを食べられたら、今日はいい日みたいな感じでした。その頃は心が死んでましたね、心が。

ーー繰り返しになりますが、それでも続けることが出来たのはどうしてだと思いますか。

浜野:今更、帰れないなって思っていたから。一度福岡に帰ったら、もう一生家を出れないだろうなと思って。23歳になっても音楽で生活できなかったらやめようと思っていたんですけど、2021年6月に「中洲ロンリーナイト」がSNSでバズってくれて。そこからやっと生活が音楽だけでできるようになりました。

浜野はるき『中洲ロンリーナイト 』(Official Music Video)

ーー中洲で働いた2年間の経験をもとに書かれた曲ですよね。

浜野:男性のちょっと汚い部分を書きました。だいたい、奥さんがいるのに、キャバ嬢に対して普通に「かわいい」とか言ってくるわけじゃないですか。それって、だいぶ、ゲスいですよね。本当に心が荒んでいたので、男の人ってやっぱこうなんだな、みたいな。イケメンとか関係なく、おっさんでも浮気するのに、この世の中にまともな人間なんているわけないと思ってました、そのときは。

ーーそんな曲がバズったことはどう感じましたか?

浜野:共感する女性がこんなにいるってことは、世の中ってやっぱこうなんだなって、さらに絶望しました。ある意味、皮肉なことに絶望で私は生活できるようになった。

ーー(笑)。「中洲ロンリーナイト」がバイラルヒットしたことで、ご自身がやっていきたい音楽は見えましたか。

浜野:最初に路上ライブの動画としてアップした、嘘のないリアルな上京ソング「Tokyo」がプチバズして、その後に「中洲ロンリーナイト」がバズったんですけど、そこからちょっと伸び悩みました。そこから当時付き合っていた彼と超マンネリして、もう終わりみたいな感じの時に書いた「セックスレス」と、(自身の中で恋愛の)乗り換えキャンペーンをしてた時に浮気相手と彼氏との三角関係を描いた「朝帰り」をいい感じに聴いてもらえるようになって。段々と、都合のいい人が本命になるまでのストーリーをファンに求められるようになってきたときに、プロデューサーのCHIHIROさんと出会いました。

ーーはるきさんにとって、CHIHIROさんはどんな存在ですか?

浜野:CHIHIROさんの曲はお母さんの車でも流れていたし、私も「RESET」っていう曲をアカデミーでずっと練習していたぐらい大好きなアーティストだったんです。CHIHIROさんも福岡出身だし、すごい巡り合わせだなと思って、速攻で一緒に作りましょうってお願いして。

 CHIHIROさんとは恋愛観も似ていて。仕事の関係なんですけど、年齢も関係なく、お友達みたいに話してくださるので、夜中の4時ぐらいまでずっとLINEで恋バナしたりするんですよ。その恋バナをもとに、じゃあ明日これで曲作ろうよって書いてるんで、めっちゃリアルだし。話が合うっていうのは、曲を作る上でめっちゃ大事だなって思うんです。CHIHIROさんから出てくるメロディも好きだし、この人と作ったら私の良さをもっと広げてくれると思って。去年の11月にリリースした「ギジコイ」から私の音楽の方向性がまとまったなって感じてます。

浜野はるき - ギジコイ (Official Music Video)

ーー「ギジコイ」もバズってますが、どんなところから生まれた曲でしたか?

浜野:元々は、「こんなクズは捨てる。さよなら」っていう方向性の曲だったんです。ただCHIHIROさんに「世の中の女子が全員そんなに強いわけではなくて。駄目とわかってても沼っていく人も割と多いし、8割がそっちだと思う」と言われて。私とCHIHIROさんの色が調和して、「この人がクズなことは知ってるけど、やめれない。本命に昇格したい」っていう初めてのスタンスの曲になりました。「全ての女性の味方でいる」という私のテーマにも通じる曲になってますね。

浜野はるき - 最低な君 (Official Music Video)

ーーそこから6カ月連続のリリースをしてきました。第2弾「最低な君」は4年前の「I miss you」の彼がモチーフになってます。

浜野:振り返って聴いてみて、「何でこんなに一途に1人のしょうもない人を追ってるんだろう、気持ちわるっ!」と思って書いた曲です(笑)。こんなに沼っちゃったんだ、今の私ならこうするなって。私、察知能力が強くて、相手の浮気に気づかないタイプだったらよかったんですけど、全部気づいちゃうんです。それで、曲ができます。なので、今はその彼にも感謝してますね。浮気してくれてありがたいです。

浜野はるき - 女でいたい (Official Music Video)

ーー(笑)。第3弾「女でいたい」では〈自分のために生きる〉と宣言してます。

浜野:もともと個人で活動していて、マネジメントを自分でやっていきたいなって決心したタイミングだったんです。個人事務所を立ち上げて、法人化して、社長になったタイミングで、どう生きていこうと考えた時に書きました。誰かのせいにしないようにしたいし、愛に左右されるのも嫌だったし。もう1人で生きていく、1人で戦うみたいな意味の曲ですね。

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