JO1、ME:Iらグループ系の増加は必然 『ROCK IN JAPAN FESTIVAL』“アイドル出演”の歴史を振り返る

 日本最大級の動員を誇る夏フェス『ROCK IN JAPAN FESTIVAL』。25周年のアニバーサリーイヤーを迎える今年は、8月に千葉市蘇我スポーツ公園で5日間、9月に『ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2024 in HITACHINAKA』として国営ひたち海浜公園(茨城 ひたちなか)で5日間、計10日間にわたって開催される。なお、ひたちなかで同フェスが開催されるのは2019年以来5年ぶりだ。

 先日、『ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2024 in HITACHINAKA』の第1弾出演アーティストの追加発表として、サザンオールスターズの出演がアナウンスされ、今回が彼らにとって最後の夏フェス出演になることも含めて大きな話題を集めた。また、第1弾出演アーティストのラインナップの中には、THE YELLOW MONKEY、エレファントカシマシという同フェスの四半世紀にわたる歴史を語る上で絶対に欠かせないアーティストが含まれており、こうした周年だからこその特別なラインナップに胸が熱くなった人は多いと思う。(なお、7月6日時点では、残り7組のアーティストの発表が控えている。)

 Jフェス(ロッキング・オンが企画制作する3つのフェス『ROCK IN JAPAN FESTIVAL』『COUNTDOWN JAPAN』『JAPAN JAM』の総称)の出演アーティストが発表されるたびに、SNSなどで特に大きな話題となることが多いのが、アイドルの出演だ(近年では、ボーイズグループ/ガールズグループも同じように注目されることが多い)。筆者の個人的な感覚で言えば、この10年ほどで、アイドルやボーイズグループ/ガールズグループがJフェスに出演すること自体が話題になる回数は次第に減っていったように思う。だが、今回は『ROCK IN JAPAN FESTIVAL』が25周年を迎え、国営ひたち海浜公園に5年ぶりに帰ってくる、かつ1ステージのみという特別な機会なだけに、今回が初出演となるJO1(9月21日)、ME:I(9月22日)を含むアイドル、ボーイズグループ/ガールズグループが複数並ぶ第1弾のラインナップに様々な声が上がっていた。

 今回は、『ROCK IN JAPAN FESTIVAL』を含むJフェスにおけるアイドル、ボーイズグループ/ガールズグループの出演の歴史について、歴代のラインナップや過去のインタビューをもとに整理していきたい。

 本題に入る前に、まず大前提として押さえておきたいのが、Jフェスの企画制作を手掛けるロッキング・オンの歴史は、雑誌の出版から始まっている、ということだ。ロッキング・オンの原点である洋楽誌「rockin’on」に次ぐ形で、1986年、邦楽誌「ROCKIN'ON JAPAN」が創刊された。「ROCKIN'ON JAPAN」は現在に至るまで、日本の音楽シーンで活動するアーティストから表現の本質に迫る言葉を引き出し、その活動を活字として誌面に刻み続けている。ここでポイントとなるのが、雑誌名にロックという言葉を冠しつつも、対象としているのはロックアーティスト、ロックバンドだけではないということだ。

 同誌には、日本の音楽シーンに新しい才能が出現した時、その表現形態を問わず、いち早く誌面で取り上げ続けてきた歴史がある。今年5月に開催された『JAPAN JAM 2024』の「ROCKIN'ON JAPANブース」で展示されていたパネルでは、同誌についてこのような紹介がされていた。(以下、一部抜粋)

ROCKIN'ON JAPANの長い歴史の中で、音楽シーンも音楽環境も大きく変わりました。バンド、シンガーソングライター、ヒップホップ、ボーカロイド、アイドルなど、ありとあらゆるジャンルのアーティストが、ライブハウスやドーム、YouTubeやTikTokなど、ありとあらゆる場所/プラットフォームを自由に行き来しながら、それぞれのメッセージ性と音楽性を洗練させていく現代において。ROCKIN'ON JAPANは、「今」を生きるアーティストに時に寄り添い、時に真っ向から新たな視点をぶつける肉体的なメディアとして、その唯一無二の存在感を高めています。

ROCKIN'ON JAPANはいわば音楽シーンを広く見晴らす「目」であり、その「目」が、Jフェスのバラエティ豊かなアーティストラインナップに貢献していることは言うまでもありません。ROCKIN'ON JAPANは年12回刊行される雑誌を通して、ROCK IN JAPAN FESTIVAL、COUNTDOWNJAPAN、JAPAN JAMという3つのフェスと併走しながら、時代によって形を変える音楽シーンの「今」を、これからもビビッドに映し続けていきます。

 「ROCKIN'ON JAPAN」が創刊された14年後の2000年、第1回目の『ROCK IN JAPAN FESTIVAL』が開催された。ここで押さえておきたい2つ目のポイントが、雑誌がそうであるように、このフェスは初期から、ロックバンド以外のアーティストを積極的にブッキングし続けている、ということだ。例えば、2回目の開催となった2001年には、フォークデュオのゆずが、同じくポップスのシーンで活躍しているアーティストを挙げると、2016年にはいきものがかりが初出演を果たしている。ヒップホップシーンからの出演も多く、例えば、RIP SLYMEは、2002年の初日、2003年の3日目、2005年の初日のトリを務めており、また、KREVAは2012年の初日のトリ、2014年には、KICK THE CAN CREWとして初日のトリを務めている。他にも、平井堅、森山直太朗をはじめとしたシンガーソングライター、レゲエクルー・湘南乃風など、多種多様なアーティストがラインナップされてきた。

 このように振り返っていくと、ある年をきっかけとして急にラインナップの様相が変わったのではなく、むしろ、初期から既に浮き彫りになっていた“ロック”にとらわれないスタンスが現在に続く幅広いラインナップを形成したことがわかる。

 『ROCK IN JAPAN FESTIVAL』は、その時々の音楽シーンの様相の変化、また、その時々の参加者のリアルな(または、潜在的な)ニーズの変化を一つの指針としながら、常に絶え間なく変化を重ね続けてきた。前置きが長くなってしまったが、まずはこうした文脈を押さえることが、『ROCK IN JAPAN FESTIVAL』をはじめとしたJフェスにアイドル、ボーイズグループ/ガールズグループが出演することについての理解を深める一助になると思う。

 象徴的な年の一つが、2013年。BiS(第一期)やでんぱ組.inc、BABYMETALから、福岡を拠点としたLinQのようなロコドルに至るまで、当時アイドル戦国時代の群雄割拠のシーンの中で存在感を誇っていた複数のアイドルグループが『ROCK IN JAPAN FESTIVAL』に初出演し、大きな話題となった。続く2014年には、当時新設されたBUZZ STAGEに「BUZZ SPECIAL」として、たこやきレインボー、ベイビーレイズ、あゆみくりかまき、寺嶋由芙、PASSPO☆、アップアップガールズ(仮)、仮面女子、Cheeky Parade、lyrical school、武藤彩未、Negicco、ひめキュンフルーツ缶ら複数のアイドルグループが出演した。

 特筆すべきなのは、2013年の3日間の大トリを務めたPerfumeだろう。彼女たちが初出演したのが2008年のLAKE STAGE。2009年には同フェスのメインステージであるGRASS STAGEのトップバッターを務めている。そして、6度目の出演となった2013年に、ついに大トリという大役を担うに至った。ロッキング・オンの山崎洋一郎氏は、2019年に行われたインタビューの中でこのように語っている(※1)。

今は音楽シーンが完全にジャンルレスかつ、ボーダレスになっていますからね。たとえばロックバンドにラッパーがフィーチャリングされるなんて普通のことだし、ロックアーティストがアイドルに楽曲提供をしたり、ツアーやレコーディングのサポートで参加したりするのも当たり前です。 

でも、十数年前は、僕らがそういう捉え方でシーンに反映させようと思って、フェスにロック以外のジャンルの人たちをブッキングすると、かなり反発を食らいました。アイドルだけでなく、いわゆるポップス系のアーティストの場合でもそうでしたね。

とはいえ実際に演奏が始まると、みんな楽しんでくれていましたよ。事前はザワザワしましたが、演奏を聴けば多くの人がいいと思ってくれたんじゃないかなと思っています。特に、最初にPerfumeをブッキングした時は、「え、Perfume出すんだ」という感じでザワついていましたが、あっという間にうちのフェスでも超人気アクトになりましたよね。

 この証言から読み取れるのは、当時は、Perfumeが『ROCK IN JAPAN FESTIVAL』に出演することに対して賛否両論があったこと。また、彼女たちは、ステージ上のライブパフォーマンスを通してそうした状況を少しずつ覆しながら、一歩ずつ勝ち上がり大トリの舞台に辿り着いた、というということだ。

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