絢香、Superfly、新垣結衣……“タカシイズム”を継承したレーベルスタッフたちの奮闘【評伝:伝説のA&Rマン 吉田敬 第9回】

 コブクロから始まり、BONNIE PINKのブレイクでいよいよ軌道に乗った、敬さん主導によるヒットの連鎖は、ワーナーミュージック社員のモチベーションを向上させ、“吉田チルドレン”と呼ばれる数々のスタープレイヤーを輩出させていった。そしていよいよ2024年2月2日に発売される、この連載の書籍版『「桜」の追憶 伝説のA&R吉田敬』では多くの“吉田チルドレン”達を描いているが、今回はその中から3人をピックアップ、ダイジェストでその活躍をお伝えしていきたい。

 絢香を担当し、Superfly、YA-KYMなどが所属するレーベル“Realnote”を立ち上げ、レーベルヘッドとして活躍することになる四角大輔氏は、デフスターレコーズでCHEMISTRYのA&Rをつとめた後、僕らから1年遅れでワーナーミュージックに入社した。デフスター時代の彼は、非常識と思える大胆な施策やアーティストのブランドを守るがために妥協を許さない姿勢が多く、宣伝の現場やマネージメント、場合によっては制作チームとも摩擦が多かったが、敬さんはその軋轢をむしろ好んでいたような節があった。いま思うと、“タカシイズムの究極形”を彼が体現していたともいえるような気がする。僕よりも、さらに若い年齢で制作部長として入社することになった四角氏には僕以上に苦労やストレスが多かったと思う。 ある日、彼は敬さんにこんな直訴をする。

「部長職を辞し、一現場A&Rに戻って、自らアーティストを担当したいと言いました。降格してもらっていいし、給料も下げてもらってかまわない。結果が出なければ辞めます」

 その直訴が認められた後、ほどなくして彼は絢香に出会う。彼は絢香の音源を聴き、その歌声に、平井 堅、CHEMISTRY以来となる強烈な魅力を感じたという。

 各社との争奪戦を制して絢香との契約を獲得していた敬さんは、四角氏を絢香の現場担当にすることを即決。そこからの四角氏の動きは、水を得た魚のように早かった。

 そんな彼はとても潔く見えたし、僕も現場に復帰した彼とは、CHEMISTRY以来の久々のタッグとなるので、心躍る気分だった。ワーナーミュージックでのキャリアが少し長い僕としては、誤解を受けやすく、常に敵を作りがちな彼の言動をマイルドに翻訳することをまずは心がけた。

 四角氏が絢香のプロモーションでまず力を入れたのが、新鮮かつアーティスティックな登場シーンを演出すること。そこで彼が実践したのは、デビュー前にMVを制作し、日本より先行する形でアジア10カ国のMTVでのパワープレイを獲得し、それを日本人アーティスト初の快挙として、“逆輸入”させる形で日本のメディアを賑やかす手法だった。そして、そんな彼女のデビュー曲「I believe」は日本と韓国のトップ俳優が出演するTBS日曜劇場『輪舞曲-ロンド-』(主演:竹野内豊、チェ・ジウ)の主題歌に抜擢される。これで彼女の登場はより鮮烈なものとなった。

絢香 - I believe

 一方、敬さんは、そんな絢香の歌の魅力をデビュー前にメディアにしっかりと伝えたいと考えた。その舞台設定をどうするか悩んだという。単なる新人のショーケースライブにとどまらない仕掛けとして注目したのは、ワーナーミュージックの“洋楽が強い”というブランドイメージだった。邦楽だけにとどまらず、洋楽のプライオリティアーティストをメディアやディーラーにプレゼンテーションする場を作りたい。ワーナーミュージックのカタログの豊富さをアピールし、ビッグアーティストの今後の活動方針に加え、新人のショーケースとして場を活用する。『WARNER MUSIC INTERNATIONAL Convention~HEAT SEEKERS~』と名付けられたそのイベントは都内の大会場、東京国際フォーラムをおさえて華々しく開催することとなった。前代未聞の規模のコンベンションだった。スタッフとしては、とにかく会場のキャパを埋める媒体を呼び込まなければいけない。

 宣伝本部のメディアチームは、もちろん主要媒体を取りこぼしなく呼ばなければいけなかったし、敬さんからは、『めざましテレビ』の軽部真一氏や『とくダネ!』の小倉智昭氏などのアナウンサーやMCも呼ぶようにプレッシャーがかかったという。

 われわれ宣伝企画部も会場のキャパを考えて青天井で呼び込みをした。CMでは、代理店のクリエイティブディレクター、プランナー、コピーライター、クライアント担当営業にもくまなく声をかけたし、敬さんからは企業の宣伝部にも直接アプローチするように指示された。それに加え、映画会社やドラマの制作会社のプロデューサー、キャスティング担当にも徹底的に声をかけた。東京の媒体はもちろん、地方の媒体には交通費、宿泊費を負担してでも呼び込む。営業部は同じように各地CDショップの主要ディーラーにも声をかけた。そんなことから、会場には邦楽・洋楽の制作・宣伝・営業のほぼ全スタッフに加え、地方営業所のスタッフ、そして管理部門のスタッフまで集結して事にあたった。

 このために来日した洋楽アーティストのパフォーマンスが終わった後、敬さん自らマイクを握り、絢香のプレゼンテーションを行った。ヒットメーカーとして業界内で認知されていた敬さんの言葉には熱があり、説得力に満ちていた。ここで話された宣伝計画も具体的で緻密だった。そして絢香を呼び込んだところで、会場が暗転した。

 当日会場に来ていた、当時絢香の所属事務所だった研音のオーナーである“BOSS”こと野崎俊夫氏はその時の様子を後にこう語ってくれたことがある。

「(絢香のパフォーマンスが終わったあと)会場がシーンと静まりかえったんだよ。一瞬“あれ?”って思ったんだけど、その直後、地響きのような歓声と拍手が起こった。あんな経験初めてだった。拍手を忘れるぐらいすごいパフォーマンスだったってことなんじゃないかな」

 その会場に、当時のKDDI宣伝部長だった村山直樹氏の姿もあった。着うたⓇ効果でキャリアの売り上げも順調な中、着うたⓇの新サービスLISMOの宣伝を仕切っていた村山氏は、このコンベンションで絢香がパフォーマンスした「三日月」を、後のLISMOのキャンペーンソングに起用することになる。

 ドラマ主題歌のデビューシングル『I believe』は10万枚を超えるスマッシュヒットを飾り、CMソングとなった4枚目のシングル『三日月』が大ヒット。こうして、絢香の1stアルバム『First Message』はミリオンを達成。第48回日本レコード大賞最優秀新人賞を獲得した。

絢香 - 三日月

 コンベンションでは、自らの発信で絢香を売り込み、その後ミリオンヒットを達成。それまで冷ややかな対応を取っていた一部メディアも認めざるを得ない圧倒的な結果となった。

 まさに、敬さんは有言実行の人。稀代のヒットメーカーとしての存在感を一気に内外に示すようになった。

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