河村隆一「この経験はある種の“ギフト”だと思っている」 肺腺がん手術を経て考える自らの使命

 2019年に肺腺がんの手術を受け、わずか1カ月で音楽シーンに復帰した経験を持つLUNA SEAの河村隆一が、自身の肺がん治療の経験をもとにオリジナル応援ソング「何気ないその笑顔が...」を制作。アストラゼネカの肺がん啓発プロジェクト「知ってもらいたい、肺がんのこと。」公式サイトでは、同曲と制作の過程を追ったドキュメンタリー動画などを公開。河村が肺腺がんの手術を受けた経緯、早期発見の重要性、そして「何気ないその笑顔が...」にどんな思いを込めたのか。(榑林 史章)

がんの発覚から戸惑い「初めて“死”を意識した」――そして手術の決断

――河村さんは2019年に肺腺がんが発覚して手術を行っていますが、どういった経緯でがんが発覚したのでしょうか。

河村隆一(以下、河村):順を追ってお話をすると、最初は呼吸器内科でCTスキャンを撮ってもらったのですが、その画像から「これは肺腺がんの可能性があります」と。肺の一部が磨りガラス状の病変が写っていて、でもその時点では「経過を見て3カ月に1回程度、人間ドックでモニターしていきましょう」という話だったんです。磨りガラス状の白い部分が濃くなると、悪い部分の勢いが増している状態を示すそうで、何か変化があった場合は外科に相談するということでした。ただ僕は、胃腸をはじめ体の部位ごとにいろいろな先生にお世話になっているので、その流れで別の先生に相談したところ、「呼吸器外科でも看てもらって、外科の先生の意見も聞いたほうがいい」ということでしたので、看てもらったら「すぐ手術をしたほうがいい」と言われて。

――即手術というのは、そんなに悪かったということですか?

河村:いえ、そうではなく、逆に「まだ軽く済むうちに取ってしまったほうがいい」と。というのも、病変が胸壁に近く、2ミクロンくらいのすごく薄い壁から――先生は「こぼれる」とか「芽吹く」という言い方をされていましたけど――胸壁を破ってがんが外に広がってしまった場合、別の臓器に転移して瞬く間に全身に広がって、仮に今がステージ1だったとしても一気にステージ4になってしまう可能性があるそうなんです。肺腺がんというのは、肺の最も外側にできる、毛細血管のとても細いところにできやすいがんなのですが、手術のリスクで言うと「今なら手術で切り取る部分が少なくて済む」ということだったんですよね。その時に初めて僕は、「これは“がん”で、取らないと大変なことになるんだ」と気づきました。最初の呼吸器内科の時は、「3カ月に1度か〜」「面倒くさいな〜」くらいの甘い認識でしたけど、呼吸器外科の先生はドイツや欧米など多くの症例をご存じで、「96〜97%の確立で悪性だろう」「外に広がってしまう前に早く手術をしたほうがいい」と。

――セカンドオピニオンの大切さを感じるお話ですね。肺がんと言っても、河村さんは非喫煙者です。肺腺がんは非喫煙者でもなる肺がんなのだそうですね。

河村:はい。とても驚きました。僕は喫煙もしませんし、排気ガスがいっぱいあるような、大気が汚れたところに住んだこともありません。でも呼吸器外科の先生の話によると、喫煙者がなる肺がんは「扁平上皮がん」と呼ばれるものが多く、胸の中心部のほうにできるということでした。ニコチンの粒子はとても大きく、細い血管を通ることができず胸の中心に近いところに溜まってしまうと。僕がなった「肺腺がん」は非喫煙者の男女のあいだでも近年増えていて、患者のみなさんは僕と同じように肺の外側のほうにできるのだそうです。ただ、今のところ肺腺がん発症の明確な原因は特定されていないようです。

――それだけに、誰でもなる可能性がある。

河村:はい。だからこそ、定期的な検査と早期発見が必要です。外科手術ができるのはステージがまだ低い時だけで、ステージが上がると体のいろいろなところに転移してしまい、放射線治療や抗がん剤治療などで病変を小さくして、なるべく切り取る部分を減らしてから手術するわけですけど、がん治療で大変なのは放射線治療や抗がん剤治療ですからね。血液で全身に回ってしまったら、一カ所取っても次にまたどこで発症するかわからない。手術と聞いて最初はびっくりしましたけど、決して「手術=病状が進んでいる」ということではないんですよ。

――手術から4年ほど経っていますが、河村さんの場合は「完治した」ということなのでしょうか。

河村:先生が言うには、「経験上、再発の恐れはほぼない」とのことですが、やはり簡易的な検査、レントゲンや血液検査を定期的にしています。術後は3カ月に1度、以降は半年に1度、今は1年に1度やっています。

――がんが見つかる以前は、定期検診を行っていたのですか?

河村:いえ、若い頃は血液検査程度でした。初めて人間ドックにかかったり、MRIや内視鏡検査などを受けたのが44歳で、少し空いて47〜48歳から毎年受けるようになって肺腺がんが見つかり、手術を受けたのが50歳の時です。今は、僕はがんができやすい状態だということがわかっているので、体の部位によって専門のクリニックで検査を受けています。

――肺がんの一種である肺腺がん。肺は、河村さんのような歌手にとっては重要な臓器ですから、いろいろ思うところもあったと思いますが。

河村:まず自分ががんだと気づいた時、初めて“死”というものを意識しました。たしかに日本人の2~3人ががんになり、亡くなられる方が多いことは事実ですが、一回目のがんを克服されている方が多いですし、ステージ1と言われてもどのくらいの深刻度なのかわからなかったし、当時は50歳でしたから、あまり死を覚悟するような経験もありませんでした。それが、がん発覚をきっかけに、死について強く意識することになりました。

――死を意識するということは、死ぬということの怖さだけでなく、自分が死んだあとのこと、つまり仕事や家族のことなど、いろいろなことと向き合うことになりますよね。

河村:はい。最初は仕事にどれだけ影響があるかということを考え、肺の一部を切り取ることで、どのくらい肺活量が落ちるのかがとても心配でした。たとえば、健常者と同じようにスキューバダイビングができるのかなど、担当医に質問しました。僕の場合は早期発見だったこともあり、切り取る部分がそこまで大きくなく、術後は肺活量が十数%落ちたとしてもリハビリをすれば肺活量もほぼ元に戻れる。その話を聞いて、とても安心したことを覚えています。先生といろいろなお話をして、多くの安心を与えていただきました。ただ、それも早期発見だからで、患者さんによってステージ3だったり4だったりすると、放射線治療の細かい話など治療のスケジュールを立てて、話をはじめなければならないということでした。

――河村さんは約1カ月で仕事に復帰されたということで、かなりのスピード復帰だったと思いますが、それも早期発見でステージ1だったということが大きかったということですよね。復帰までの期間で考えたことや新たな気づきはありましたか?

河村:僕がいちばん大事だと気づかされたのは、「何のために生きるのか」ということです。いくらステージ1だとは言え、がんという日本人の死亡率が1位の病気だと考えた時に、“死”というものにリアリティを持って向き合ったわけですけど、でもその時に「ちょっと待てよ」と思ったんです。残りの寿命があと何年で、完治する人もいるわけで、じゃあ僕は「なぜ生きたいのか?」と。やはりファンの方たちやスタッフ、家族など、自分を取り巻く仲間たちのために、まだ何か果たせるものがあるのではないか、そういう気持ちが沸いてきました。もしもこれが周りに負担や心配をかけるだけのものだったとしたら、きっと感覚はだいぶ違っていたと思います。でも幸い、僕は早期発見でしたので「1カ月で復活するプラン」を主治医の先生と話し合って組み立てました。

――そういう計画もきっちりされていて、そのうえでの復活だったんですね。

河村:手術からだいたい1週間くらいで退院できるとお話を聞いていたのですが、そうしたら思ったより早くドレーンも取れて、予定より1〜2日早く退院できたんです。それで、そのまま焼き肉を食べて帰りました。とにかく肉を食べたら元気になるかと思って(笑)。

――ルフィみたいな(笑)。

河村:執刀してくださった先生が、野球選手やサッカー選手などアスリートの方も早いとおっしゃっていて。「僕も体を鍛えるのが好きでジムに通っているから早いかもしれないですよ」って言ったら、「どうかな〜」なんて言っていたのですが、僕の予想通りになりました(笑)。退院したその日に焼き肉を食べて、帰りにスーパーに寄ってステーキ肉をはじめ、3〜4日分のタンパク源になるものを買って帰って。先生からは、術後3週間くらいしたら運動を始めていいということだったのですが、僕は11日目からトレッドミルでゆっくり歩くことから始めて。

――術後の生活やトレーニングで、不自由だったことは何かありますか?

河村:痛みでくしゃみができなかったですね。くしゃみをする直前の、体をのけぞって「ハッハッ」って息を吸い込む動作で脇がズキンとして、くしゃみが途中で止まっちゃうんです。咳もできなくて。“痛む”という怖さが勝つのか、自然と出なくなって。で、術後2週間を越えたあたりから、小さくくしゃみができるようになって、「あっ!」って思って。そこからジムで歩く時に、心拍数が上がった時に自分がどうなるのかが気になりだして。変に痛んだらすぐやめようと思いながら、最初は10分間でやめて、少しずつ確認しながら(速度と心拍数を)上げていきました。先生は、気圧が変わることが心配だとおっしゃっていて。高地に行くとか飛行機、スキューバ、そういうことは3カ月くらいやめてほしいということだったので、先生の言うことをちゃんと守りました。

――脇の痛みというのは、手術の時に切った部分ですか?

河村:はい。肋骨のあいだに神経が集中していて、そこに3センチくらいの切り込みを3カ所入れ、そこにタピオカを飲むような太いストロー状のものを差し込み、器具を通して手術を行うので、つまり肋間神経がヒリヒリ痛むわけです。肺の痛みは最初のうちで、肋間の痛みは消えるまで1〜2年かかるということでした。でもこの痛みは、臓器ではなく感覚的なもので、だから、忘れることができるんじゃないかと思って、ジムで肋間が痛んでもさすりながら「これは感覚だ」と言い聞かせていたら、そのヒリヒリした痛みが日に日になくなったんです(笑)。

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