河村隆一「この経験はある種の“ギフト”だと思っている」 肺腺がん手術を経て考える自らの使命
取り戻した命をしっかり使って、多くの方に感動を与えられたら
――河村さんは、ご自身の経験を通して肺腺がんや早期発見の大切さを知ってもらう、こういった啓発活動自体に興味があったのですか?
河村:まずがんになって、公表するか悩みました。結果的に「これから検査入院をするのでしばらくSNSはお休みします」という報告をして、一週間後には「がんでしたが、無事に手術が終わりました」とみなさんにお伝えしました。手術に成功して発表するのが、唯一のベストなタイミングだと思ったんです。外部から発覚するよりも、こうやってインタビューを受けさせていただいたり、自分の言葉で語るほうが変な誤解を生まないと思って。「あの人、なんかヤバイらしいよ」という噂や憶測が広まるよりも、自分で事実を伝えていったほうがいいと思ったんです。加えて、早期発見の啓蒙活動に参加することで、「僕はがんだったけど元気になった」ということや、発見が遅れたことで命が失われるよりも、僕のようにステージ1や2の初期段階で見つかれば小さな負担で済むということを知ってほしかった。体の負担もお金の負担も少ないし、仕事にも戻れる。僕は呼吸器外科の先生と、「3週間経ったらこうしましょう」「1カ月経ったらレコーディングしましょう」「ライブをしましょう」など、細かく相談をして『No Mic, No Speakers Concert』という、マイクとスピーカーを使わないスタイルのライブを開催しようと計画しました。つまり、逆算して「この時には治っていなければいけないんだ」とライブを目標点に置きました。そういう目標を持つことも大事で、それも早期発見だったからできたことです。
――今回、肺腺がん患者の声も聞いたうえで、応援ソング「何気ないその笑顔が...」という楽曲を制作されましたが、こうした啓蒙活動の一環で、やはり歌としてもメッセージを伝えたいという思いがあったのですか?
河村:がんになった時に、「自分は何者なのか」ということをすごく考えて。やっぱり僕は、何を置いても歌を歌う人間なのだと思いました。歌だけでなく舞台やラジオ、SNSなどいろいろなお仕事をさせていただいていますけど、じゃあどれが自分のメインなのかと言ったら、やっぱり歌うことなんですね。それはとても強く実感しました。“死”というものと向き合ったことで、限られた時間をどう使うか。どんなに元気な人でも寿命が尽きる時は必ず来ます。それが70歳であろうと80歳であろうと90歳であろうと、自分の寿命が尽きるまでに、何本のライブができるかを考えたし、できるだけ音楽と向き合う時間を持ちたいと思いました。若い頃は「ドラマもやってみたい」「ラジオのパーソナリティーもやってみたい」とチャレンジ精神もありましたが、一通りやったうえで、今はそれ以上にやっぱり音楽だと気づいたんですよね。それでアストラゼネカさんからお話をいただいてCMに出演させていただいて、自分がいちばん注目されるのは音楽だろうし、自分がいちばん伝えられるやり方は、言葉をメロディに乗せて歌うこと。俳句には俳句のよさがあるし、小説には小説の強さがあって、僕は3〜5分という時間の楽曲のなかで思いを伝えることが、いちばん説得力があることじゃないか――そういうお話をアストラゼネカの担当者としていくなかで、今回の楽曲制作につながりました。
――「何気ないその笑顔が...」という楽曲は、とても温かい歌だなと思いました。制作するうえで、シンプルさや伝わりやすさなど、何か意識されましたか?
河村:まず、がんだからと言って、悲壮感や苦しみみたいなものが充満している曲はないだろうと思いました。もちろん今もベッドで苦しまれている方は世界中にいるけれど、患者の方々ともお話をさせていただいて、みなさんのお話を聞くと悲壮感どころか、自分の人生を立て直すため、家族を守るために戦っていらして、とても前向きな力強さを感じました。「手術をする前とほぼ同じことができているけど、マラソンは厳しいですね」ということを笑顔でお話をされていたり。残された人生が20年か30年かはわからないけれど、その時間を暗い顔をして暮らすのは違うなと思ったんです。自分自身も笑顔で、周りも笑顔になれることを考えたら、会話、音楽、仕事、旅行……仲間もファンもスタッフも、まだまだ幸せにできる余地がたくさんあるなと思いました。がんになったことは、たしかに人生においてビハインドな状況だけど、手術を受けてもう一度健常者になって、また人のために人生を費やせるわけです。家族にさらなる笑顔をもたらせることができるかもしれないし。そういうこと考えたら、弱者が強者になるまではいかないまでも、まだまだ自分が“支えられる存在”だということに気づかされました。そんな思いから、温かく希望に満ちた楽曲にしたいという思いになりました。
――やはり、支えてもらうからこそ、支えてあげたいとも思うわけで。周りの支えというのも大きかったでしょうね。
河村:僕の場合は、家族が「大丈夫だよ」と、どっしり受け止めてくれたのもよかったかもしれません。もちろん心配はあったと思いますけど、「小さながんだから取っちゃえば大丈夫だよ」と、前向きな気持ちに転換させてくれる笑顔が周りにあったことは、とても大きな力になりました。ファンの方々も「隆一さんなら大丈夫だよ」「絶対戻って来られる」と言ってくれたし、「僕がいい曲を作っていい歌を歌ったら、もう一度みんなのことを笑顔にできるよね」、そう思わせてもらえたことが自分のなかではいちばん大きかったので、そのことを書こうと思いました。
――アストラゼネカの肺がん啓発プロジェクト「知ってもらいたい、肺がんのこと。」公式サイトにあがっているドキュメンタリーのなかで、「この曲を通して、世界中の人と共有できるメッセージが伝わったらいい」とおっしゃっていましたが、そのメッセージとは、やはり“希望”ですか?
河村:そうです。その希望を持つためには、やはり早期発見が必要です。できるだけ体の負担を少なく、体から切り取る部分をできるだけ少なくすることで、お金も体も負担が軽くなるし、仕事に戻れる期間もできるだけ短くできる。ただ、発見が遅れたり見落とされることもゼロではないですから、そうなると復活まで時間がかかります。
――LUNA SEAは現在アリーナツアー『LUNA SEA DUAL ARENA TOUR 2023』を開催中で、29日にはセルフカバーアルバム『MOTHER』と『STYLE』のリリースも控えています。術後から約4年経っていますが、これだけお忙しくできているのも早期発見だったからこそですね。
河村:はい。僕自身、取り戻した命をしっかり使って、多くの方に感動を与えられるように、これからも頑張りたいというのが本音です。
――がんを克服するという経験をしたことは、こうした今の音楽活動に影響を与えていますか?
河村:そうですね。アーティストには「あと何年できるか」と考える瞬間が必ず訪れます。それは、体力の衰えを感じた時かもしれないし、がんのような病気を発見した時かもしれない。僕は、早くしてそれを実感することができました。この経験は、格好つけた言い方をすると、ある種の“ギフト”だと思っています。あと15年できるか、20年できるか、年間50本ライブをやったらなどを考えていたら、「がんが治ったばかりだから3年くらい休もう」なんて思っている場合じゃないなって。そういうことをすごく考えるようになりました。僕は一昨年、声帯にできた静脈瘤の手術もやっているので、今もまだ戦っている部分があるのですが、「休みたい」なんて贅沢を言っている場合じゃないというか。無理をして病状を悪化させることをやっては元も子もありませんけど、そうならないための体力作りや免疫力を強くさせて、「まだたくさんライブができる」という思いと体があるから、1公演でも多くライブをやり、1曲でも多く歌いたいと思っています。
――がんになったことを前向きに捉えて、逆にその経験を活力にしている。でも、いくら気をつけているとは言え、ファンの方々も心配な部分がきっとありますよね。
河村:「大丈夫だよ」と言ってくれる方が多くて、それは僕の支えとして大きいです。これは獣医の先生から聞いた話ですけど……。
――獣医ですか?
河村:急に人間の話じゃなくなるんだけど(笑)。友人の紹介で獣医の方と食事をする機会があって、そこで事故で足を一本失った犬の話を聞いたんです。「犬は足を一本失っても、人間みたいにクヨクヨしたりしないんだよ」と。たとえば足を失ったことで40%がなくなったとして、人間は失った40%のことを引きずって悔やんだり悲しんだりするけど、犬は残りの60%が100%だとして生きるのだそうです。その獣医の方は親族に足を失った方がいて、それを見て、その大変さを理解したうえでおっしゃっていたんですが、義足を付けて走り回っている犬を見て「今を楽しんでいるな」って思うのだそうです。
――考え方次第といいますか。
河村:考え方だと思います。がんにせよ何にせよ、まずは早期発見であったこと、いいドクターに出会い、オペが成功したこと。気持ちを変換することはとても難しいことですけど、僕がそのすべてに喜びを感じるように、僕の歌やインタビューで話したことが、少しでもお役に立てたらいいなと思っています。
■プロジェクト概要
アストラゼネカ、肺がん啓発プロジェクト「知ってもらいたい、肺がんのこと。」
(河村隆一 肺がん応援ソング楽曲「何気ないその笑顔が...」)
プロジェクト オフィシャルサイト:https://www.haigan-tomoni.jp/haigan_kenshin/project_k/
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