はっぴいえんどはなぜ特別な存在になったのか 曽我部恵一、オリジナルALから紐解く伝説的バンドの足跡 

あの3人が音を出すと、はっぴいえんどのサウンドになる

ーー曽我部さんが初めて聴いたのは『風街ろまん』ということですが、1stの『はっぴいえんど』(1970年)、通称『ゆでめん』は?

曽我部:オリジナルアルバムの3枚はすぐに中古盤で買いました。同時にシュガー・ベイブ、大瀧詠一さん、細野晴臣さんのソロなども買い集めていった。『ゆでめん』も大好きになって、『風街』より『ゆでめん』の方が好きだなと思った時代もあるし、今でも時々そう思うことがある。

ーー1枚目は4チャンネル・マルチ・トラックで録音され、レコーディングはわずか4日間だったそうです。

曽我部:リリースされたのは僕が生まれる前の1970年。『ゆでめん』は細野さんと松本さんが在籍していたエイプリル・フールにあったニューロックのドロッとしたグルーヴが生み出す独特の重さがあって、そこが僕はけっこう好きなんです。はっぴいえんどが影響を受けたアメリカのバンドが60年代の爆発を経て内省的になっていく時代ともリンクしていたのかもしれない。

ーー1曲目の「春よ来い」のインパクトは今、聴いても強烈です。

曽我部:「春よ来い」は、〈お正月〉、〈こたつ〉、〈お雑煮〉なんて言葉を歌詞に入れていて、松本隆さんの洒落た都会的なセンスからしたら少し不思議なこのタッチはどこから来たんだろうと思っていたんですよ。もしかしたら、これは大瀧詠一さんのイメージだったんじゃないかなって。先日、松本さんと対談したときに「東京出身の自分には、岩手出身の若者(大瀧)というのがよく分からなかった」というようなことをお話されていたんです。そこでお互いに好きだった永島慎二の漫画の世界観などを接点に「春よ来い」を書かれたそうです。だって、〈家さえ飛び出なければ〉といっても大瀧さん以外のメンバーは東京出身ですもんね(笑)。

ーー(笑)。

曽我部:松本さんが大瀧さんをイメージして書いたと思うと、アツいですよ。それにこの歌い方! こんな歌い方をしていた人はそれまでいなかったし、何を参考にしたか謎なんですよ。サニーデイ・サービスで一度『ゆでめん』の全曲カバーにチェレンジしたことがあるんです。『ARABAKI ROCK FEST.16』に出演する際にオファーされた企画で、サニーデイでやるなら『ゆでめん』だろうと。その話を松本さんにしたら、「『敵タナトスを想起せよ!』とかどういう風に演奏したの? 聴いてみたい」とおっしゃってました。

ーー実際にバンドでカバーしてみるといかがでしたか?

曽我部:プレイしてみると、やっぱりバンドサウンドなんですよ。4人がバンドとしてしっかり絡み合っている。4日間で録音したというから相当集中して挑んだんでしょうね。そのバンドとしての熱量がすごく伝わってくるアルバムだし、どこか反体制の匂いがするところも僕が『ゆでめん』に惹かれる理由なんです。大人はわかってくれないという若者らしさが充満している。

ーー松本隆さんの作詞活動50周年イベント『風街オデッセイ2021』では「12月の雨の日」を曽我部さんがはっぴいえんどに入ってボーカルを務める大役を果たしましたね。

曽我部:大瀧さんのパート役でボーカルなんて、緊張を通り越して「イェーイ!」みたいな感覚で(笑)。僕の隣で細野さんが、茂さんが弾いているわけですから、ヤバい! って感じで。松本隆、オン・ドラムスですよ? 指名していただいたのは光栄でしたが、(共に指名された鈴木)慶一さんも嬉しかったんじゃないかな。

ーー鈴木慶一さんはかつて、はっぴいえんどのステージに参加し、メンバーになっていたかもしれないという……。

曽我部:そうそう。その慶一さんが何十年か後に「はっぴいえんどです」とステージにいる奇跡! あの3人が音を出すと、本当にはっぴいえんどのサウンドになるんだとリハーサルのときから思ったし、バンドってそういうものだなと改めて感じましたね。

ーーはっぴいえんどが試みた日本語とロックの融合は論争を呼ぶほど革新的だったわけですが、曽我部さんがバンドを志した頃には当たり前になっていましたよね。

曽我部:僕らがバンドを始めた頃はネオアコやマンチェスターサウンドの影響もあって英語で歌うバンドも多かったんですけど、日本語ロックが普通になった耳ではっぴいえんどを聴くと、頑張って日本語を洋楽にのっけようという風には聴こえないんですよね。松本さんの言葉に3人の曲と歌唱があまりにもハマっているから。それがはっぴいえんどのすごさなんだろうけど、詞先というのも大きかったと思います。その完成型が『風街ろまん』だったということですね。

ーー2nd『風街ろまん』は1971年にリリースされ、今では不朽の名盤として語り継がれています。

曽我部:リアルタイムではっぴいえんどを聴いていた人は、1stから『風街』への飛躍に驚いたと思うんですよ。こういう洗練の仕方は想像だにしなかったんじゃないかな。「風街」というコンセプトの斬新さと音楽的な深化が見事すぎて。

ーーリリース当時は日本語のロックというジャンルが生まれたばかりの時代でした。

曽我部:まだロックバンド自体がそんなにいなかったし、フォークの方が人気が高かった時代ですよね。中津川の『第3回全日本フォークジャンボリー』のステージが客に占拠されたり、頭脳警察で興奮した客に石を投げられたりした……という話は後で知りましたが、そんな物騒な空気がある頃に『風街ろまん』が出た。そのリアリティは僕には分からないけど、はっぴいえんどは、フォーク/ロック=反体制みたいな単純なイメージとは違う表現を模索する方向へいったんでしょうね。

ーーそんな時代背景を超えて、発売から50年以上経過した今も『風街ろまん』が聴かれ続けているのはなぜだと思いますか?

曽我部:アルバムとしての完成度に尽きるでしょうね。当時、コンセプトアルバムと呼ばれたかどうかは知らないけど、「風街」という架空の街を舞台にした歌詞のオリジナリティと1曲1曲のクオリティの高さがヤバい。

ーー8チャンネル・マルチ録音となり、音も格段に進化しています。

曽我部:アコースティックギターやパーカッションや鍵盤も入り、音の世界観も一段と広がった。かつ音像はさらにタイトでデッドに乾いていて、究極的に音数が少ない。松本さんのドラム、細野さんのベースがめちゃくちゃ立って聴こえるし、レコードに刻まれるドラム・ベースの音としてこれは理想ですね。そして歌の存在感!

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