連載『lit!』第52回:Billy Woods & Kenny Segal、Kaytranada & Aminé、IDK……“移動”や“旅”をモチーフにしたヒップホップ5作
8月に開催を控える『SUMMER SONIC 2023』に出演するケンドリック・ラマーをはじめ、海外アーティストの来日公演が続々と決まっていく夏。周囲でも海外アーティストの来日が話題になり、いよいよ人々が“旅”、もしくは“移動”を取り戻し始めた印象がある。一方、世界的に資本格差が広がる中で、以前のように海外旅行や旅を庶民的なものとして認識しづらくなっているのも現状ではあるのだが……。
いずれにしても、ポストコロナにおいて、移動や実存の価値や問いを携えることは重要だろう。今回はサウンドやリリックにおいて、様々な移動や旅をパッケージするヒップホップアルバムを5枚紹介する。
Billy Woods & Kenny Segal『Maps』
笑えてきてしまうくらいに、どこにいても不安が拭えない。そんな感覚を描くニューヨークのラッパー Billy Woodsとロサンゼルスのプロデューサー Kenny Segalによる新作。2人が組んだ前作『Hiding Places』(2019年)における相性の良さはそのままに、ビートスイッチや違和感を与える曲の繋ぎなどの編集において、緻密さとラフさが混ざった不思議な感触を獲得している。Billy Woodsのラップは硬派かつ緩やか、リリックは複雑さとユーモアに富んでいるが、何よりも本作においては“旅”をモチーフとするストーリーテリングのユニークさが特出している。
12曲目「FaceTime (feat. Samuel T. Herring)」は、旅先の自然や様々な場所の光景を描写しながら、スマホ一台でどこにでも行けるポストコロナ以降の移動不要の旅の空虚さを写し、16曲目「NYC Tapwater」はニューヨークのストリートの現状と生活を思いの外ストレートに描写する。自らのルーツ、現代まで蔓延る人種問題にもアクセスするスケール感はいかにもWoodsらしいが、同時に、よりアイロニカルかつ俗っぽくあけすけな現代生活の描写も特徴と言えるだろう。複雑ながら鮮やかに時間と場所を移動する、唯一無二の傑作。
IDK『F65』
ポップさと繊細さを湛えるIDKの新作は、1曲目「Cape Coast」においてF1解説者 デビッド・クロフトの実況音声が聞こえる通り、レースのモチーフを通して、自らの感情的な旅を描く。メロディアスなフロウで全体を滑らかに繋ぎながらも、数多くの音の展開に満ち、カラフルな印象がある。それはまるで、緩やかに見えて、F1レースのようなハードでアグレッシブな走行を見せてくれるようでもある。
そんなわけで、53分22曲のボリューミーな内容をハイスピードで駆け抜ける本作は、IDKが抱える弱さと、社会生活をする中で黒人として感じる違和感(特に7曲目「Mr. Police」はアイロニーに満ちた強烈な曲である)をパッケージする。たまにつく悪態や執着は恋人などの他者や外的なものに向けられるが、この走行の中でIDKは内面に向き合いながら、ありのままの自分を受け入れる方向に移動している印象がある。もっとも障害物としてではなく、展開のスピードを高めるために、つまりはアクセルを踏ませるために、多様なビートや楽器のサウンドが挿しこまれ、自由かつ垢抜けた空気感によって作品全体が覆われており、少なからず重みのある主題に反して、身軽さを付与していると言えるだろう。
Deante’ Hitchcock『Once Upon A Time』
アトランタのラッパー Deante' Hitchcockによる新作。高らかに歌い上げる1曲目からしてメロディアスな作風の本作は、マーヴィン・ゲイやルーサー・ヴァンドロスの名前が登場するように、クラシックなR&Bへの憧憬が目立つ作品である。多様かつ美しいコーラスに溢れ、ハイトーンでメロディアスなHitchcockのフロウも相まって、ひたすら風通しのいいサウンドに仕上がっている。ある種の清涼感がある雰囲気の中で、リリックはR&Bらしい色恋に溢れ、生々しく感傷的な歌が大半を占める。それは最終曲「May 26th (feat. Samoht)」のタイトルが日付であることが意味するように、まるでパートナーとの日々を回想するように。まさしく記憶の旅であり、彼自身も家族を持ったことによって、世界やリレーションシップの視点が変わる場面も映す。Big K.R.I.T.やWestside Boogie、DRAMなど客演陣にも一貫性があり、全体のムードを統一しつつも、ラップと歌唱のシンプルかつ巧妙なバランスによって展開を作り出している。