神はサイコロを振らない、日曜劇場『ラストマン』挿入歌に込めた真摯なメッセージ 「みんな過去を背負って生きていくしかない」
若者が一度や二度の失敗で生きづらくなっていくのもどうなのかな
ーー亀田さんとのやりとりは、具体的にどのように行われたのでしょうか。
柳田:年中ご多忙な方ですから、メールを打つのも厳しいタイミングには、ボイスメモを送ってきてくれるんですよ。「こういうメロディはどう?」みたいな感じで(笑)。気がついたらミニアルバム1枚分くらいの楽曲はフルコーラスでできていました。しかも、いい曲ばかりたくさん。とにかくずっとチャレンジをしていましたね。
ーー歌詞はどのように作っていきましたか?
柳田:最初は福山さんと大泉さんが演じる二人の主人公の関係を、「龍と虎」に例えて歌詞を書いていたんです。でも、作っていく中で新しいメロディが思いつき、サビを丸ごと替えたくなった時に、歌の譜割も歌詞も変わってきて。気がついたら虎も龍もいなくなってました(笑)。
ドラマの挿入歌って、その世界観にめちゃくちゃ寄り添うケースもあれば、あえて全く違う内容の歌詞を当てることで化学反応を起こさせるケースもあって、今回は後者に近いやり方というか。神サイとしての世界観や、自分自身のことも歌詞に入れたいと思い、今回の制作での試行錯誤の連続を自分自身との「戦い」に例えて歌詞に入れていきました。
ーー最終的に完成した歌詞は、全盲で壮絶な過去を持つ主人公・皆実広見の生き方に、柳田さん自身が感じたバンドの下積み時代の気持ちを投影させつつ、マイノリティや社会的弱者へ「心だけは搾取されてはいけない」というメッセージを込めたのかなと思いました。
柳田:ありがとうございます。辛すぎる過去を「なかったこと」にするのではなく、それを背負って生きていくというか。その対峙している姿を「戦い」に例えたところもあって。その一方で、誰にでも当てはまるような表現を目指しました。ドラマに登場する犯人たちにも様々な人生があり、それを「正義」や「悪」という価値基準で判断することもできますが、みんな同じ人間だし、人に言いづらい過去を背負って生きていくしかないじゃないですか。
ーー確かにそうですね。
柳田:僕も「社会的弱者」とまでは言わないですが、生きていて何をやってもうまくいかなかったし、続かなかったんですよね。勉強もできなければ運動もできない、バイトも続かなければ朝も起きられなくて。側から見ればただの怠け者ですが、「どうにかしなければ」と思ってみたところで、どうにもならなかった時期がずっとあったんです。そんな人間でもたった一つ、「音楽」というものを見つけてしがみついて生きていたら、こうやって道が開けていった。振り返ってみれば、どんな状況にあっても希望を見出す気持ちは大事だと思うんです。この曲は、誰かのそういう気持ちに寄り添うものになってほしいなと。
ーーその思いが〈無様にいこうぜ 愚か者と嘲笑われたって〉というサビの歌詞に集約されている気がしました。
柳田:どれだけ真面目に、洗練潔白に生きようと思っても、ふとしたタイミングで道を踏み外してしまう人も中にはいて。特に若い子たちがSNSなどで、吊し上げられていることもあるじゃないですか。まだ10代の若者が、一度や二度の失敗で今後の人生を生きづらくなっていくのも、どうなのかなって。もちろん、度を越したいたずらに対しては厳しく罰せられて当然ですが、善悪の判断を見誤ることって大人でもあるわけじゃないですか。なのに、社会的に抹殺するまでその人物を叩きまくったり、それが当然のことのようになったりしているのはちょっと怖くて。そこまでする必要があるのかどうか、一度は冷静に考えてみて欲しいです。ちょっと話が逸れてしまいましたけど(笑)。
ーーちなみにタイトルの「修羅の巷」とは?
柳田:今、自分たちが生きている場所のこと。例えば僕らミュージシャンは、来年もこうやって存在していられるか分からない職業じゃないかなと。すごく求められる瞬間もあれば、あっという間に去って行かれてしまうこともあって。その不安定さ、常に激戦区の中にいる感じ……来年にはまたきっと、すごい才能を持った若いアーティストがたくさん登場するだろうし、そんな中で自分はいつまで続けていられるだろう? みたいな。そういう状況を「修羅の巷」と名付けてみました。