コーチェラの変革が決定的となった2023年 全ステージ配信が“アーティストの今後”に与えた大きな影響とは?

 今年のコーチェラ(『Coachella Valley Music and Arts Festival』)を振り返ろうとした時にまず頭の中に浮かんだのは、「一体、いつ頃からコーチェラを“ロックフェスティバル”と呼ばなくなったのだろうか?」ということだった。

 今から10年ほど前に、今よりずっと画質の粗い映像で、それほど豪華というわけでもないステージに立って砂と暑さに耐えながら演奏するインディーロックバンドの演奏を眺めていた頃は、少なくともコーチェラをロックフェスとして認知していたように思う。イギリスにはグラストンベリー(『Glastonbury Festival』)があって、アメリカにはコーチェラがあるといった感じだ。その印象はジェイ・Zのようなヒップホップアーティストがヘッドライナーを務めるようになってもそれほど大きく変わることはなかった。

 あれから年月を経て、ストリーミングサービスが完全に定着し、ソーシャルメディアの浸透によってそれまであまり存在感を発揮することができなかった様々なコミュニティの声が可視化されるようになり、音楽に触れる上での選択肢と視点が以前までと比較にならないほどに拡大した。どの時代にも、どのジャンルにも、膨大なラインナップからアクセスすることが可能になり、あらゆる音楽がフラットに扱われるようになった。前述したように、かなり早い段階からストリーミング中継を行なってきたコーチェラは、その影響を最も大きく受けたフェスティバルの一つだろう。そういった状況に対して誰よりも自覚的なのはステージに立つアーティスト本人であり、2018年のビヨンセが披露した、単なるフェスティバルの1アクトとしてではなく、世界中の人々に見られることを前提とした破格のライブパフォーマンスはまさに明確な分岐点であったように思う。

 その点において、今年のコーチェラにおける最大のポイントは、何よりも遂に全ステージの配信を実現したことにあるのではないだろうか。ビョークやフランク・オーシャンなど一部のアーティストについては配信が実現しなかったものの、これで名実ともにコーチェラは世界中の人々がただダイジェストを視聴するのではなく、膨大なラインナップからフラットに観たいアーティストを選択して楽しむという、「音楽フェスティバル」になったのである。例えば、メインステージを一切見ずにYUMAステージ(2週目のみ配信)のDJアクトに一日中浸っても良いし、ヘッドライナーと見事に被った好きなアーティストのパフォーマンスを優先することもあるだろう。重要なのは、それを視聴者が選ぶことができるという点であり、さらに言えば、コーチェラの役割が完全に「膨大な視聴者に対するキュレーション」になったことにある。

 バッド・バニーとBLACKPINKとフランク・オーシャンという、「英語圏の白人」が一人も存在しない今年のコーチェラのヘッドライナーの顔ぶれは、ここまで書いてきたような流れを分かりやすい形で象徴している。特に注目が集まったのは、やはり史上初の非英語圏アーティストとしてのヘッドライナー出演を実現したバッド・バニーとBLACKPINKの二組で、近年のポップミュージックのトレンドを追っていればラテンミュージックとK-POPの影響力の拡大を反映しているという見方もできるが、そもそもラテン圏とアジア圏のコミュニティ自体がずっと以前から存在しているわけであり、それぞれに強固なファンベースを抱えていることを踏まえれば、むしろ「やっと実現した」と捉える方が正しいのかもしれない。全体のラインナップに目を向けてみても、ロザリアやバーナ・ボーイ、イェジにディルジット・ドサンジ、ジャクソン・ワン(GOT7)など様々なルーツを持つアーティストがしっかりと存在感を示しており、それはまさにコーチェラが自らの「役割」を果たした結果なのではないだろうか(だからこそ、日本人アーティスト不在という状況にはどこか寂しさを感じてしまうのだが)。

 しかし、やはり誰よりもこの状況に自覚的なのはアーティスト本人である。レゲトン界のベテランであり盟友でもあるニェンゴ・フロウらを招いた「Safaera」など様々なヒット曲で会場を盛大に沸かせる一方で、映像を通して、脈々と受け継がれてきたラテンミュージックの歴史、レゲトンの歴史をしっかりと観客に伝えたバッド・バニーのパフォーマンスは、(長らく軽視されてきた)自らのルーツをしっかりと世界中の人々に伝えようとする意思に満ちたものだった。これまでにデュア・リパやセレーナ・ゴメスなど様々な英語圏の著名アーティストとコラボレーションを実現させていながらも、一切の客演に頼ることなくグループとしての力量のみを全力で叩きつけたBLACKPINKのパフォーマンスもまた、ポップグループ/ガールズグループ/K-POPといったこれまで軽視されてきた様々な偏見を破壊するような力強さに満ち溢れていた。

Bad Bunny - Safaera - Live at Coachella 2023

 こういったメッセージを感じる場面は、もちろんヘッドライナーだけに限らない。2019年のチャイルディッシュ・ガンビーノのパフォーマンスをも想起させるような、まるでひとつのMVを観ている/撮影しているかのような構図が印象的だったロザリアのパフォーマンスは、まさに配信を通して多くのファンが観ることを前提とした構造となっており、「La Noche de Anoche」におけるファン一人ひとりにボーカルを委ねるという大胆かつ感動的なパフォーマンスも相まって、ファンの存在があってこそ自らの表現が成立するという姿勢を明確に示していた。また、「What I Want」で盛大なクィアパーティの幕を開けたMUNA(客席には多くのレインボーフラッグが掲げられていた)のステージでは、ラストを飾る「Silk Chiffon」で共演しているフィービー・ブリジャーズに加えてジュリアン・ベイカー、ルーシー・ダカスというboygeniusの面々も駆けつけ、インディーロック好きにとっては夢のような空間の中でクィアな恋愛の喜びを炸裂させていた。そして、そんなboygeniusのステージでは、フロリダ州知事のロン・デサンティスに対してFワードが放たれ、トランスジェンダーの人権と中絶の権利を訴える場面があったのである。このような光景は他にも数多く見られ、多くのアーティストがコーチェラというステージを、単なるフェスティバルの一つではなく、世界中の人々にメッセージを伝える機会と捉えていたのだ。

MUNA - ft. boygenius - Silk Chiffon - Live at Coachella 2023

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