鹿野淳、10回目の『VIVA LA ROCK』で届ける集大成 コロナ禍でも途切れなかった“エンターテインメントの架け橋”としての自負
ビバラの歴史の中でも「二度とない開催」となる
――鹿野さんなりにじっくりブランディングされてきた10回のビバラだったのかなと思うんですけど、オーガナイザーと観客の距離感が近くて、かつオーガナイザーとアーティストのやり取りも見られるっていうところを貫いてきたし、『MUSICA』とアーティストとの関係性も含めてすごくハンドメイド感がある。だけど規模はデカいっていう、特殊な立ち位置のフェスになっていったなと。
鹿野:そう、その規模感がずっと恐怖なんですよ。明らかに大きすぎるんです、ビバラって。おっしゃる通り、このフェスって本質や構造がミニマムなんですよ。やってることもそうだし、関わっているスタッフの中枢はすごくミニマムなわけ。実は今回に向けて、さらにミニマムになったというか、そうしたんです。そのミニマムさがひとつのエネルギーになってるという話を今してくれたと思うし、実際に個性になっているとも思います。でもそのミニマムさから考えると、明らかにフェス自体が大きくなりすぎてるんですよ。
――キャパオーバー的なことをしてるんですよね。
鹿野:残念ながら。でもそれは自分が知らない間に勝手に大きくなっちゃったのではなくて、慎重に大きくしていったんですよね。要はちゃんとプランニングをしてるんですよ。だから、大きくなりすぎちゃって「あわわ」って言ってる自分も本当の自分なんだけど、ここまで策を打ってきたっていう自分も本当にいるというか。例えば最近、サブスクでもそうなんだけど、フェスでもみんな限られたアーティストしかライブを観ようとしないなと。その現実に対して「もっといろんな音楽を聴こうよ」って闇雲に言っても無力だと思ったんですね。好きな音楽が「A」だった場合、Aに近い「A’」や「A+」みたいな音楽性を持ってる人たちの存在すら気づいていないかもしれない。けど、そういう近いところまではビバラで網羅するから、もうちょっといろんな音楽を体験して、その後でワンマンにも行きませんか? っていうことをやろうと思って。なので4年目ぐらいから比較的、日ごとにジャンルが見えてくるような並びにしていています。あと、毎年このフェスをすごく愛してくれているパンクやラウドロック勢とのコミュニケーションもフェスとして生まれてきたので、その人たちが“宴会”をやるような日も作りたいなと思って。そうやっていくと、またちょっとずつパイが広くなっていった。
――なるほど。
鹿野:あとは「コロナ禍に来てくれる人にどうにかサービスしたい」「でも今までやってきたことも裏切りたくない」と思ったときに、嘘をつかずに裾野を広げていくためにどうすればいいかはずっと考え続けていて。例として、去年からはBE:FIRSTに出演してもらっている。これは「今までのビバラだったらやらないだろう」ってことだったんだけど、僕はSKY-HIというアーティストがずっと不遇だと実感してきたんです。彼が“ロックミュージック村に入っていくべきポップアイコンでありラッパーでもある”っていうことを、それこそビバラが始まった頃からずっと証明したかった。だからビバラではお客さんがまだ少なくて寂しいフロアのときから、SKY-HIにはずっと出演してもらっていて、彼もその中でいろいろストーリーを作って大きくなってきた中で、「SKY-HIが自分の産んだ卵をこのフェスで育てたいって言ってきたのを断ったら、一生そういう才能を持ったグループが出演するようなフェスにはならないんだろうな」と思ったんですよね。自分たちとアーティストがお互いに認め合った方には、ぜひ出てもらいたいなと思って出演してもらうようになった。
といった感じで、大きくなるプロセスは踏んできてるんですよね。でも大きくなるとやっぱり大変なんですよ。本当に今回は大変でした。関わってくれる人も業種も多くなって、大きくなればなるほどリスクとしてのお金もかかる。空前の5日間開催、出演者116組、参加者は12万人行くか行かないか。実は今年はついに10億円以上かかってしまったんですよ。もう、訳がわからないほどすごいよね(笑)。なんなんだろうね、このスケールは。ビバラがこけちゃったら困る企業ってうちだけじゃなくて、他にもある気がするんです。それこそ、コロナ禍でも開催し続けたことによって、いろんなイベントがなかった時期にビバラで働けたことが人生の指針になったっていう音楽関係者がいっぱいいたんです。特に2021年。だからそういう人たちの食い扶持でもあり続けたいなって思うんですよね。
――現場が失われたわけですもんね。
鹿野:そう思うと、10億円の興行を成立させるってめちゃくちゃハード。だって10億1円以上の儲けがないと利益が生まれないんですよ? 完全に馬鹿げたことをしています。ただ、今この取材が行われてる(4月17日の)時点で、11万枚以上のチケットが売れてるんですよ。ビバラ開催史上、初めて10万枚以上売れてるんです。まあコロナ禍前までは4日間開催が最大で、今年は5日間だから当たり前といえば当たり前かもしれないんだけど、でもきっとこれは当たり前じゃないんですよ。フルマラソンの3時間59分と4時間1分ってたった2分の違いなんだけど、全然違っていて。4時間1分はわりと出せるんです。でも3時間59分って本当にいろんなものが揃わないと出せないタイムで。今回の10万枚を超えたことにはそれに近いものを感じています。ビバラがこれからさらに大きなフェスになる可能性を否定するつもりは全然ないんだけど、僕の中では二度とない開催を迎えているんだなという気持ちではいます。
――「二度とない開催」というのは?
鹿野:10万人以上の人が来るなんてもう二度とないと思う。10年後があるかわからないけど、5日間開催することも、それまではないだろうし。
――ああ。
鹿野:だって10万人を動員できるフェスって、たぶん日本に2桁もないですよ。さっき言った通り、ミニマムな発想でやってることも含めて、そんな規模感のフェスじゃないのよ。全然そういうフェスじゃないの。あのね、以前から1日当たり1万枚の券売を超えたとき、主要スタッフに必ず手紙を出すようにしてるんです。4日間だったら4万枚、5日間だったら5万を超えたときに、「これがどれだけすごいことか」っていうことをいつも伝えていて。ここからもっと攻めていけるね、頑張りましょうねといつも思うんだけど、やっぱりそれ自体はすごいことだなと。それを含めて、今回の開催は綺麗に言えばミラクルです。
――フェスに対する渇望みたいなものの表れでもあるんですかね。最近、国内のライブハウスのツアー動員も全体的に減ってる印象があって、2マン、3マンの対バンイベントとかどんどん人が入らなくなってきてるじゃないですか。ただ、そういう人もフェスにだけは行ってる。別に問題提起したいわけじゃないんだけど、もう自分の現場での音楽体験は、年に1回か2回のフェスに行けばいいって思ってる子が増えた気がするんです。
鹿野:そうなんだ。いい話じゃないけどね。三宅が今言ったことって、ちょうど10年前くらいにも起きたことだよね。要するに2005年ぐらいからフェスブームが始まって、急角度で伸びていったことで、2010年代に入ったところから「フェスブーム、もういい加減よくない?」みたいな話がお客さん側から出てきて。それで2010年代中盤頃には、今度はアーティストの方が「フェスに依存するのをやめよう」ってイメージを持ち始めた。フェスでステップアップしていくストーリーはもはやダサいから、世の中的にもサブスクが本格化し始めたし、フェスじゃないところでいろんなことを見つけようと。その感触は2019年から2020年にかけて、このフェスを作る上でも実感していました。
でも実は、コロナ禍でフェスがなくなったことで、そんなフェスに対する風向きが、それなりに変わった気がするんですよね。いざフェスがなくなってみたら楽曲をプレゼンテーションする明確な場所がなくなったし、フェスって新しいユーザーとの出会いの場であり、音楽関係者がみんなで交流する場でもあったんだよね。だからコロナ禍で、改めてフェスのありがたさを感じたっていう空気はあったし、今は再びアーティストがフェスを求めてくれている。そこに対して、ビバラがコロナ禍で開催し続けてきたことがものすごく上手く機能していて。でもね、10年前みたいに「やっぱりもうフェスは、自分らには必要ないんじゃないか」ってなる動きが、遅くとも2年後には来る気もしていますよ。
――たぶん揺り戻しは来るでしょうね。
鹿野:そういうものでしょ、世の中も人の気分も。それでも存在価値があるフェスになりたいと思って、こっちもやっているわけだからね。それでいいと思うんです。だからそうなったときに、10回目で5日間開催できて、116組も出演していただけて、10万枚以上のチケットが売れているフェスに今回なれたことは、この先の荒波の中で支えになるんじゃないかなと思ってる。ということを踏まえて、今回出てくれるアーティスト、来てくれる音楽ファン、こういう開催に結びついた9回の開催には頭が上がらないほどありがたいと心から思っています。でも結局のところ、チケットが売れればいいわけじゃないし、アーティストもたくさん来ればいいわけじゃないし、そこでどんな雰囲気を作り出して、アーティストがどういうライブをやったのかが重要だから、数字に見合う時間をちゃんと過ごしてもらえたらいいなと思っています。