鹿野淳、10回目の『VIVA LA ROCK』で届ける集大成 コロナ禍でも途切れなかった“エンターテインメントの架け橋”としての自負
2023年はマスク着用を完全任意とする意図
――話は戻るけど、『MUSICA』という音楽誌を月1回刊行してる会社が主催の大きな部分を担っているということもビバラの特殊さで。そもそも『MUSICA』って、ページ数の問題もあるかもしれないけど、掲載アーティストをある程度絞ってるわけじゃないですか。『MUSICA』を発行しているFACTの代表である鹿野さんがやってる『VIVA LA ROCK』という連動性を考えると、本来は『MUSICA』ももっとアーティスト性を絞らずにやる方がフェスのブッキングが楽になる部分も往々にしてあると思うんですよ。ビバラの規模が大きくなることによって『MUSICA』の性格が変わっていく可能性もあったと思うけど、結局そうならずに続いてきたのは面白いことだなと。そのあたりって鹿野さんとしてはどう考えているんですか?
鹿野:まず、『MUSICA』が想像より上手く行ってるというのがあるんですよ。印刷会社や製紙会社がどんどん厳しい時代になっていって、印刷の値上げも続いていて紙媒体だけの出版社もなくなってきている。書店も然りだよね。そのわりに『MUSICA』の状況はあまり変わらないんです。極端に上がるわけでもないんだけど、下がらないんだよね。むしろ少しだけ上がってるんです。Amazonなどのネット販売の中で強いのも武器ですよね。そもそも書店音楽専門誌としては新参者だったけど、ネット販売としては同じスタート地点から勝負したようなもんだし、編集長をはじめとして、みんな本当に頑張ってくれてます。要は、狙いや気持ちや愛やシーンへの願いが、ちゃんと見える雑誌を作れているということだと思うんだけど。
フェスと連動していく雑誌を作るという安易なコンセプトだと、たぶんダメなんですよ。少なくとも雑誌にとっては絶対にいいことがない。例えば『MUSICA』に載ってるアーティストで『VIVA LA ROCK』に出ないアーティストがいっぱいいる。言い換えると、音楽フェスを必要としてないけど『MUSICA』の言葉を必要としているアーティストがいっぱいいるから。それはどうなのかと思っていた時期が4〜5年前まであったんだけど、この2〜3年はそれがいいんだなとわかりました。『VIVA LA ROCK』ってすごく上手く行ってるフェスなんだけど、『MUSICA』はそれに媒体として依存してる風には見えてないと思うんだよね。それがいいなと思っていて。シナジーが足りないと言われても、あんまり響かないな、その意見は。あとは、一般的なフェスを必要としていないニッチなアーティスト、あるいは大きなマーケットを持ってるアーティストが載っている“我が道を行ってる雑誌”と連動してるフェスがあるということは、「その雑誌に出たいしフェスにも出たい」っていう気持ちになっていただくひとつのきっかけにもなってる気がするんです。つまりは、この『MUSICA』のスタンスは、ビバラにも役立っていると思うんだけどね。
――『MUSICA』が『VIVA LA ROCK』に依存してたら「年間ベストアルバム TOP50」企画とかやらないわけじゃないですか。あんな角が立つような企画は無駄なんだから。あと『MUSICA』って『VIVA LA ROCK』が終わった直後の号で、『VIVA LA ROCK』自体を表紙にはしないわけでしょ。あくまでリリースタイミングに則った形で、そのとき特集したいアーティストに表紙を飾ってもらうわけで。
鹿野:そうだね。とにかく『VIVA LA ROCK』の宣伝ページを雑誌の表紙どころか巻頭に持っていかないのは意地でもそうしようと会社として思っていて。ビバラは『MUSICA』で最大限プレゼンテーションをしていきたいんだけど、そのためにも、巻頭特集を作って「このフェスが雑誌の生命線」みたいな見え方にするのは絶対やめようと。実際そうじゃないのに、今の時代ってみんなそういう見方をするじゃない。そんなイメージが雑誌を一瞬で腐らせるんです。それほど繊細なものなんだよね、音楽媒体なんて。そういう風にフェスと媒体で頼り合いすぎるのは避けて、完全にはドッキングさせない方がいいんだろうなと思ってます。
――では、今年のブッキングについても聞きたいんですけど、鹿野さんは昨年、「10回目はこの10年間の総集編にしたい」っていうお話をされていたじゃないですか。でも蓋を開けてみると、わりと今に寄り添ったラインナップなのかなと思ったんですけど、そんなことない?
鹿野:そうなの? 意外だな。でもそう言ってもらえるならラッキーです。明らかに去年や一昨年と比べてアップデート性は薄くなってると思います。やっぱり9回開催してきた中で、お世話になった人や、ビバラを信頼してくれた人、もしくはビバラに勇気をもらったと言ってくれるアーティストやバンドとはすごく丁寧に付き合ってきたし。
実は今回、タイムテーブルを作るときに申し訳ないなと思ったアーティストがいるんだよね。例えばねぐせ。やヤングスキニーなどは、今年のビバラではアリーナエリア(STAR STAGEまたはVIVA! STAGE)でライブをやるべきだと思っている。今までのビバラは今の彼らくらいの勢いと熱量と可能性があったら、アリーナでライブをやってもらったんです。水曜日のカンパネラとかMy Hair is Bad、SuchmosとかKing Gnuの最初のアリーナエリアでの出演を思い返すと、やっぱり抜擢感をストーリーに変えてアリーナで良いライブをやっていただいたし。でも、今年のねぐせ。とヤングスキニーにそこを渡せなかったのは、僕が集大成っていうコンセプトを優先したから。そういったいろいろな想いはあります。そんな初出演のアーティストも去年と比べて少ない中で、これ以上のブッキングがどこにあるんだっていう気持ちも今年は示せたんじゃないかと思いますけどね。
――なるほど。あとはマスク着用に関しても聞きたいです。国のルールとしては着用義務が撤廃されて、フェスでも興行主の考え方に寄り添っていくものだと思います。ライブでの声出しも解禁されてきている中、今回のビバラのマスク着用に対する在り方を教えていただければと思います。
鹿野:冒頭で話した通り、自分たちで決められる範囲で、自分たちで決めました。その話をする前に、今年の初日のトリを飾ってくれるUVERworldのTAKUYA∞がインタビューのときに言ってて、面白い正論だなと思ったことがあるんだけど、「モッシュとかダイブは自分の好きなアーティスト/バンドのためにお客さんがやっているんだなってことにコロナ禍で気づいた。自分もモッシュとかダイブがないとお客さんが楽しんでいないんじゃないかと不安になった時期もあったけど、コロナ禍で、そういうものがなくても十分に音楽を聴いてくれている瞬間を感じたから、これからはあってもなくても、どっちでもいい」っていう話をしていて。それは一つ面白い意見だなと思った。ただ、マスク着用が自由になったり、声出しが解禁されて選択肢が多くなったことで、逆に思ってたことがあるんだけど。「マスクを取るかつけるかは自由にしてください」って言ってる側の人たちが、今はみんなびっちりマスクをしてるんですよね。つまり関係者がみんなマスクをしているライブの現場がほとんどなんですよ。
――わかる。日本っぽいね。
鹿野:僕はその雰囲気自体が、お客さんがライブを楽しんで温まるまでの時間を長くしているんだろうなと思って。個人的にあの雰囲気、あの迎え方にものすごく違和感がある。要は、参加者に向けて「導いてあげられていないな」ということなんですけどね。だから今年、関係者が何らかのルールに沿うという理由でマスクをする必要はないと思ってるし、僕も今年のビバラではマスクはしません。ただし、マスクを外せと強制する状況でもないし、いろいろな人たちがいろいろなことを思いながら、人や社会と接している。マスクをして過ごしたい参加者やスタッフの意思もまた、尊重すべき愛しいものだと思うんです。それを想うと「完全任意」、これが一番いい。
――印象的だったのが、ビバラのプロダクションミーティングに参加させてもらったとき、鹿野さんはマスクをしてなくて。でも、してる人もたくさんいたでしょ。だから、これは鹿野さんがビバラのスタンスを示すためのパフォーマンスなんだなと思って。
鹿野:完全にそうですね。これだけの数のスタッフが一緒にフェスを頑張ろうとしている状況で、「みんな、一斉にマスク取ろうぜ」と言うのはそれはそれでちょっと違うんです。困る人が確実にたくさんいる。でも僕は今言った理由が明確にあるし、いろんな状況の中で僕は取ってもいいと思ってるので取るんだっていう。だから、マスクの着用は完全に任意にしようと。この“任意”っていうのは、関わっている会社ごとの任意じゃなくて、個人個人での任意。したい人はすればいいし、取る人はここは取れる場所だから取ってくれと思っていて。もし、そうすることで何かこのフェスに迷惑がかかることになった場合は、主催として少なくとも自分のできる範囲で責任を取りたいと思ってます。(東京)ディズニーランドがそうなんです。現場でマスクをしてるスタッフとマスクをしていないスタッフが両方いるんですよ。それを知って、ある日アトラクションに乗らないで5時間くらいずっとディズニーランドにいて、マスクを外しているスタッフと、その周りのお客さんの様子とかをずっと観察してたんです。
――危ないな。通報されるんじゃないの?(笑)
鹿野:まさにそんな感じで見てたね。何を見てるかというと、マスクをしていないスタッフがいるときに、遊びに来た人たちが警戒するのかどうか。もしくはマスクをしていないスタッフの前を通り過ぎたあとで、そのスタッフを見て「あの人マスクしてないよ、ヤバくない?」という雰囲気がどれくらいあるのかなと思って。そうしたら、僕が見た時間の中ではなかったんです。それで「これで行けるな」と思って。だから今年のビバラはお客さんもスタッフも、マスクする/しないは完全任意でやらせていただきます。――今年のマスクする/しないの判断は、昨年のアルコールを販売する/しないの問題と近い感じがしますよね。
鹿野:そうだね。ただ、実際どれだけの方がマスクをしたり、外すかはわからないですけど。それはもう、お客さん次第だしスタッフ次第だし、それで今はいいと思う。こっちが示すのはルールではなく、想いだと今は思ってる。