【浜田麻里 40周年インタビュー】第5弾:メモリアルな武道館公演で実感した大きな節目 重厚なメタルで表現した確固たる意志や、『LOUD PARK』出演も振り返る

約20年ぶりの地上波テレビ番組&音楽フェス出演で得た手応え

―― 怒りと直接関係があるかどうかわかりませんが、ライブ活動を再開させた後も、しばらくテレビ番組に出演することはなかったですよね。そんな中、デビュー30周年のタイミングとなる2013年に、『FNSうたの夏まつり』(フジテレビ系)に出演して「Return to Myself」を歌われました。地上波への出演が約20年ぶりという話題性も含めて、当時の大きなトピックです。出演を説得したのが、後にマネージャーを務めることになるTさんでしたね。

浜田:そう。私は仕事に関してだけは、迷ったり悩んだりすることはほとんどなくて、すぐにパッと答えが出るんですけど、そのときばかりは悩みました。

――ずっと首を縦に振らなかったと、当時もTさんから聞きました。

浜田:そうなんです。ただ、メールのやり取りをさせていただく中で、なんとなく、やり方次第かもしれないと思い始めました。自分のアーティスト人生を考えたとき、ちょっとここでペースを上げないと、思い描いた未来に到達するのに時間がかかりそうだなと思って。

――あの番組の放映後は大反響でしたよね。

浜田:やらせていただく限りは、何か残さないといけないなと思ったんです。だから、前日にTさんたちスタッフに、「きっと批判もあると思うけど、やりますよ」と(笑)。ちょっとやらかすくらいのところまで行かないと、結局、「あぁ、懐かしい人が出てきた」みたいな感じで終わってしまうのはわかってたので。それでは意味がなかったんです。

――いつも通りに歌いながら、随所で麻里さんらしいハイトーンシャウトを轟かせるという圧巻の歌唱でしたからね。

浜田:会場では結構よかったみたいですね。ジャニーズファンの観客の人たちも盛り上がってくれたのはわかりました。その後に観たテレビのオンエアの音は厳しそうだったので、1回パッと観て、すぐに止めました(笑)。当日は身内のビクターのエンジニアにテレビ音声のチェックに来てもらっていましたが、直接音をいじれる環境ではないんですよね。

――それもわかりますが、テレビで観ているだけでも凄かったですよ。

浜田:番組をお受けした理由の一つは、番組プロデューサーの存在で、実はよく存じ上げている方でした。80年代半ばから出演させていただいていた『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)で、フロアのアシスタントディレクターをされていたKさんです。当時から私は歌番組が苦手だったんです。ああいう世界は独特の価値観で全てが動いているので、どうしても馴染めなくて。特に私は虐められやすかったので、(出番のとき)有名な演歌系の大御所のお二人が「耳を塞いでおこう」と目の前で会話していたり。キツかったです……五木ひろしさんじゃないですよ(笑)。そんな中、直接横についていてくれるKさんが癒しの存在で、なんとか心を安定させていました。その方が番組プロデューサーだということで最終的に出演を決めたんです。そのKさんが、20年ぶりの私の出番の直前に、「やっちゃってください。やっちゃっていいです!」と声かけしてくださったんです。見抜かれていたんですね(笑)。鬼に金棒でしたし、お笑い芸人の方に取り上げられるぐらいのやらかしができてよかったです(バナナマン 日村勇紀がTBSラジオ『バナナマンのバナナムーンGOLD』にて「浜田麻里が優勝!」と絶賛)。あれが自分でも可笑しくて、嫌なことがあるとしばらく日村さんのオンエア録音をネットで探して聴いてました(笑)。

――翌年にはNHK『SONGS』で浜田麻里特集が組まれました。

浜田:それもTさんたちが頑張ってセッティングしてくれたんですね。「誰も知らないシンガーでいるよりは(笑)、ファンの方にも喜んでいただけるし」と考えて進めていただいたんですけれど、NHKの担当プロデューサーがライブにも来てくださるような方でしたので安心でした。いつもそうなんですよ。苦手な場面で好きな人を探す作戦です(笑)。昔、TBSの歌番組のプロデューサーだったYさんもテレビ業界では珍しく繊細な感性の方で、リハで私が大御所MCの方に酷いことを言われた際も、わざわざ楽屋に来てくださったり……。賑やかな世界ですから、私のスタッフは高揚してて誰もリハなんて気に留めてないんです。日本テレビにはライブ収録時の音響モニター担当の方がいました。確かジョージ吾妻さんの弟さんだったかな。『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)にも、80年代のNHKの音楽番組にも、素晴らしい方が一人はいました。テレビ東京の音楽番組もそうです。どの番組でも、その人がいるからとりあえず頑張ろうと思って、当時は乗り切ってましたね。

――『SONGS』以降もどんどん外に向かっていくんですよね。テレビにしてもそうですが、2014年には『SUMMER SONIC』、2015年には『LOUD PARK』に出演しています。もちろん、ライブ活動休止前は様々なイベントに名を連ねることはありましたが、現在に至るフェス文化が浸透してきた中での出来事でしたし、単独公演以外はそれこそ約20年ぶりだったと思います。

浜田:そうですね。『SUMMER SONIC』と『LOUD PARK』は、本当にやらせていただいてよかったなと思いました。それに関しては、進めてくださいと私からもスタッフに話していたんです。

――特に世界のヘヴィメタル系アーティストが集結する『LOUD PARK』でのステージは、いまだに語り草になるぐらい衝撃的に受け止めた人が多かったようですね。

浜田:そうですか。まぁ、空気感でしょうし、元来の植えつけられたイメージが実際よりも低いからなんですよね。いつもと比べたら、自分のパフォーマンス自体は良くなくて……みなさん同じ条件だから仕方ないんですけど、ああいうフェスティバルは基本的にリハーサルがないんですよね。ぶっつけ本番のライブが始まってみたらイヤモニの調子が悪かったり。あの時は自分の声だけが爆音で、音も割れて聞こえていて。だから、とりあえず(イヤモニを)外してみたりして、いろいろ試行錯誤しながらのパフォーマンスでした。

――実はそれをライブ終了後に聞いて驚いたんです。それでもあのパフォーマンスですからね。実際に映像を観ても凄まじいですよ。

浜田:そうですかね。昔から性格的に、アウェーであればあるほどやる気が出るんですよね(笑)。要は、そのくらいの気概が持てる現場かどうか、それ次第なんだと思います。

――メタル系のフェスという意味では、完全にアウェーではなかったと思いますが、浜田麻里とはどんなシンガーなのかと、様子見をしていた観客もいたと思います。ところが、蓋を開けてみたら大盛り上がりで、あの日は他になかったと思うぐらい、後方の客席まで大喝采でしたからね。ライブに関して言えば、オーケストラと共演した『Mari Hamada Premium Symphonic Concert 2014 〜ROCK QUEEN×ORCHESTRA〜』もありましたが、こちらも素晴らしいものでした。2016年にも行われていますが、ぜひ再演をお願いしたいコンサートの一つです。

浜田:やっぱりシンガーとしては、オーケストラと一緒のステージを一度はやってみたい気持ちがありました。ただ、リハがほとんどできないことがネックで。それ以外は、シンガーにとっては夢のような世界ですよ。ネックというのは、ある一定レベル以上の環境で音楽的にピタッときたかどうかで、自分のパフォーマンスの良し悪しが決まってくるからなんです。このときも、無理を言って音合わせをやらせていただいたものの、まぁぶっつけ本番に近かったんですね。テンポ感が自分の理想と違っても、そのテンポでベストを尽くせばよかったんですけど。「歌についてきてくれるだろう」と思って、わざと前に前にテンポを引っ張って歌うようにしたんですね。そしたら、「合ってません」みたいな顔をされてしまい(笑)。合わせようとはしてくれないものなんですね。1回目の心残りはそこですね。テンポが遅かろうが何だろうが、1stバイオリンに合わせるのがベスト、という答えが後から出ました。

――なかなか高度な話ですよね。観ている側は気づかないレベルのことですよ。

浜田:そうであればよかったです。2回目はそれをわかった上での公演だったので、気持ちよかったです。元々、音楽的にああいうオーケストレーションは大好きなので、専門知識を学んでアレンジをやってみたいくらいです。そういえば、アレンジャーの方がすごく自分好みでした。あの方ともまたお仕事したいなぁと思いますね。楽器の中では特にバイオリン、チェロ、ハープが好きです。あれだけ大勢の上手い人たちと一緒にやれるというのは幸せなことだと思います。

 30周年企画にまつわるプロモーションはすごく刺激的で、勉強にもなる年でしたね。でも、あれからもう10年も経っているのは、早いなぁ。『Legenda』『Mission』『Gracia』辺りは、本当にまだ最近な気がします。

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