坂本龍一が携わった後世にも伝えたい音楽作品 日本のポップミュージックを豊かにした偉大なる功績

■プロデューサーとしての坂本龍一

・矢野顕子『ごはんができたよ』(アルバム/1980年)

 矢野顕子・坂本龍一の共同プロデュースによる最初のアルバム。離れた場所にいる大切な人に向けた奥深い愛情を軽やかに描き出した代表曲「ひとつだけ」、坂本の作曲によるYMOの楽曲「TONG POO」のカバー、坂本とのピアノ連弾でレコーディングされた「ごきげんわにさん」などを収録。録音には高橋幸宏、細野晴臣、大村憲司、松武秀樹などYMOのメンバーが勢ぞろい。矢野の普遍的にして奔放なソングライティング、卓越した演奏技術、高度な音楽理論と(当時の)最先端のテクノロジーを駆使したサウンドメイクを含め、80年代初頭の日本の音楽シーンのレベルの高さを証明する名盤だ。この後も二人は、『ただいま。』(1981年)『愛がなくちゃね。』(1982年)『オーエス オーエス』(1984年)『峠のわが家』(1986年)『GRANOLA』(1987年)などを共同プロデュースで発表した。

・飯島真理『Rosé』(アルバム/1983年)

 テレビアニメの劇場版『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』主題歌「愛・おぼえていますか」(作詞:安井かずみ、作曲:加藤和彦)のヒットでブレイクした飯島真理の1stアルバム。厚みのあるシンセサウンドと軽快なバンドグルーヴを融合させた「Blueberry Jam」、クラシカルな弦の演奏ではじまる「Love Sick」、ファンクの要素を取り入れた「ひみつの扉」など、多彩なサウンドで彼女のボーカルの魅力を引き出している。

・中谷美紀『食物連鎖』(アルバム/1996年)

 シングル「MIND CIRCUS」「STRANGE PARADISE」を含む中谷美紀の1stアルバム。プロデュース、作曲、編曲を手がけた坂本のほか、売野雅勇、アート・リンゼイ、大貫妙子、小西康陽、高野寛などの作家陣が参加。エレクトロポップ的な「my best of love」、90年代R&Bの潮流を感じさせる「TATTOO」、ボサノヴァのフレイバーを色濃く反映した「色彩の中へ」など、抑制と洗練を共存させたシックなポップアルバムだ。

・元ちとせ「死んだ女の子」(アルバム『ハナダイロ』収録/2006年)

 「死んだ女の子」の原曲は、トルコの詩人ナジム・ヒクメットが広島の原爆で犠牲になった7歳の少女をテーマに書いた即興詩に、日本人の音楽家・外山雄三が曲をつけたもの。2005年8月に原爆ドームの前で行われた元ちとせと坂本龍一によるこの曲のパフォーマンスが話題を集め、音源化された。90年代以降、社会的なメッセージを発信、具体的なアクションを続けてきた坂本。戦争の恐ろしさ、平和への願いを込めたこの曲には、彼の真摯な姿勢が刻まれている。

 このほか、友部正人『誰もぼくの絵を描けないだろう』(アルバム/1975年 ※演奏参加)、中島みゆき『愛していると云ってくれ』(アルバム/1978年 ※演奏参加)、フリクション『軋轢』(アルバム/1980年 ※共同プロデュース)、加藤登紀子『愛はすべてを赦す』(アルバム/1982年 ※プロデュース)、今井美樹『A PLACE IN THE SUN』(アルバム/1994年 ※編曲参加)、さらにJAPAN『孤独な影』(アルバム/1980年 ※共作曲)、ヴァージニア・アストレイ『Hope In A Darkened Heart』(アルバム/1986年 ※プロデュース)、Public Image Ltd『ALBUM』(アルバム/1986年 ※演奏参加)、Aztec Camera『DREAMLAND』(アルバム/1993年 ※共同プロデュース)など、ジャンル・国籍を超えた膨大の数の作品に関わってきた坂本龍一。ここに挙げた楽曲に触れるだけでも、彼がどれだけこの国の音楽を豊かにしてきたか実感してもらえるはずだ。

※1:https://music.fanplus.co.jp/special/20130202078f41058

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