THE BOOM「島唄」はなぜ普遍的な楽曲に? 宮沢和史が本気で伝えたかったメッセージ
『みんなが聴いた平成ヒット曲』第10回
THE BOOM「島唄(オリジナル・ヴァージョン)」
「だんだんもう「ロックがいちばんカッコいい」とか、「欧米のポップスがいちばんカッコいいんだ」……そういう価値基準はなくなりましたね。だから、民謡の人でもカッコいい人はカッコいいでしょ。演歌の人だってすごい歌を歌われたら感動して鳥肌立つし。いいものはいい、悪いものは悪い。いいものもあれば、悪いものもある……っていうとらえ方ですね、最近は」
THE BOOM(当時)の宮沢和史は、1990年代の音楽トーク番組『TK MUSIC CLAMP』(フジテレビ系)に出演した際、司会の中居正広にこのように話した(同トークは書籍『SMAP MIND 中居正広音楽対談 Vol.1』(1997年/幻冬舎)にも収録)。
今も昔も、音楽チャートはひとつのジャンルが流行すればそれが上位を占める。ただ1990年代は、インターネットが情報発信の主流ではなく、テレビ、雑誌、新聞が中心で、情報を手に入れるための選択肢も少なかったこともあり、チャートインする音楽には偏りがあった。そうやって当時の音楽のブームは生まれていった。
そんななかTHE BOOMは、そのバンド名とは逆にブームに乗らないバンドだった。特に1993年にリリースした「島唄(オリジナル・ヴァージョン)」のヒットはある意味、異質かつ革命的だったといえる。三味線などを使い、歌い出しに〈でいごの花〉という沖縄の県花が登場する。音楽チャートを賑わせるほかのヒット曲とは明らかに異なる曲の音色、テンポ感、歌い方。沖縄民謡の要素を多分に感じさせながら、しかしJ-POP、J-ROCKのにおいも確かにあった。「沖縄」に属しているようで、そうではない。沖縄出身のバンド、BEGINとは気配がまったく違う。多彩であり、属性がないことから生まれる魅力がTHE BOOMと「島唄」には漂っていたのだ。
宮沢は、山崎まさよしによる対談集『対談上手』(2003年/ソニーマガジンズ)のなかでも「日本の音楽とか、ブラジルの音楽とか、アメリカ人だとかうんぬんじゃなくて、そういうスタイルのミュージシャンはどこの国にもいるし。垣根がないというかね。世界がリンクしてるというか」と、物事というのはいかにひとくくりにできないかを説明している。「島唄」はその意志が伝達されているような曲だった。
「島唄」はなぜラブソングとして歌われたのか
中学生だった筆者は当時、作詞作曲を担当したギター&ボーカルの宮沢のことを沖縄県出身だと思っていた(世代的にも1980年代のバンドブームには間に合っていなかったので、THE BOOMの知識もなかった)。彼が山梨県出身だと知るのは後のことである。宮沢はミュージシャンとして活動するなかで沖縄民謡に興味を持ち、沖縄へ何度も足を運ぶようになったのだという。そこで学んだのが第二次世界大戦末期の沖縄戦のこと。
雑誌『週刊金曜日』(株式会社金曜日)2022年11月4日号のインタビューで宮沢は「「島唄」はバブルが終わる頃に発表した歌です。大事なのは、この時期にぼくが沖縄戦(の実情)を知ったこと。つまり自分の無知を自覚したわけです」「でもバブルの時期に沖縄戦のことを歌っても伝わらない。だから表向きは出会いと別れのラブソングにして、その言葉の裏側には一つひとつ違う意味があるんだということを(密かに)込めて、歌っていこうと思いました」と、曲の意味合いが多重構造になっていると語っている。
そのとき10代前半で、知識、経験、読解力などすべてにおいて未熟だった筆者は、テレビで披露される「島唄」を聴いて「歌の内容はロマンチックなのに、どうして宮沢はこんなに鬼気迫る表情で、時には苦しそうに歌っているのか」と不思議に感じていた。これまた後になり、「なるほど、そういうことだったのか」と内面にあった曲のメッセージに膝を打った。
宮沢のそういった多様な考え方と方法論が「島唄」の大ヒットへと結びついた……と考えてしまいそうだが、実情はそうではない。彼は自分を「ルーツがない人間」だと称している。新しいもの、古いもの、国籍などいろんな物事にラインを引かず自分が奏でる音楽へと取り入れていくやり方は、自身の「多様性」からくるものではなく(いや、もちろんそれもあるが)、やはり「属性がない」ということが要因だったのだ。
書籍『ジャパニーズポップスの巨人たち 21世紀に語り始めた22人の音楽スピリット』(2002年/TOKYO FM出版)のなかでも宮沢は、「個人的な問題なんですけどね、帰る家がないという感じがあるんですよ」「全般的に音楽が好きで、ポップスが好きで、ロックが好きでという。強いて言えば、僕の中ではフォーク・ソングかもしれないですけども。最初にギターを買ったきっかけがフォークでしたから。帰る場所がないというルーツのなさが、異質なものを見ることによって、外へ外へと向かって行って、総体的に自分はこうだろうというものを見つけ出したいと思わせたんでしょうね」と明かしている。ちなみにTHE BOOMには「帰ろうかな」(1994年)という曲もある。同曲はまさに、宮沢のそんな心情をあらわしている内容である。