PUFFY、「愛のしるし」や「アジアの純真」がなぜリバイバル? 世の中に求められる“ちょうど良さ”と“親近感”

The Beatlesなどの楽曲を大胆にオマージュ/サンプリング

 音楽面についても、デビュー時から非常に興味深いものがあった。今でこそその楽曲は長く愛され、親しまれている。しかし1990年代、奥田民生ら制作陣が発表したPUFFYの楽曲群は、それほど大きく表立っていないが「賛否両論」の対象にあったのではないか(少なくとも筆者のまわりにいた「コアな音楽好き」はそうだった)。その理由は大胆すぎるオマージュ/サンプリングにある。

 世界中のポップソングの多くは、大なり小なり過去の名曲のエッセンスを感じさせるものである。ただPUFFYはその度合いがかなり色濃く出ていた。なかでもよく知られるのが「これが私の生きる道」(1996年)だ。同曲は一聴して、The Beatles「Day Tripper」(1965年)、「A Hard Day’s Night」(1964年)、「Please Please Me」(1963年)などをなぞっていることが分かった。奥田民生はあきらかにThe Beatlesの曲を確信犯的にコラージュして曲をつくりあげ、そして亜美、由美に〈これが私の生きる道〉と歌わせたのだ。ちなみに曲タイトルもハナ肇とクレイジーキャッツの「これが男の生きる道」(1986年)が元ネタであることは間違いない。

 ほかにも「ジェット警察」(1998年)は、The Whoを聴いていた人であれば「Won't Get Fooled Again」(1971年)だと、すぐにピンときたはず。「渚にまつわるエトセトラ」(1997年)はVillage Peopleの「Y.M.C.A」(1978年)だし、「サーキットの娘」(1997年)はこれまたThe Beatlesの「I Saw Her Standing There」(1963年)。現在、リバイバルヒットしている「愛のしるし」もFour Topsの「I Can't Help Myself」(1965年)を彷彿とさせる。由美のソロ曲「V・A・C・A・T・I・O・N」(1997年)も、コニー・フランシスの「VACATION」(1962年)が元にあった。そもそもPUFFYは2006年、The Beatlesの「Lucy In The Sky With Diamond」(1967年)をカバーしていることから、音楽的なルーツとして1960年代、1970年代のロック、ファンク、ソウルなどがあると言えるだろう。

25年以上、失われてこなかったPUFFYの「ちょうど良さ」

 2004年にはPUFFYをモデルにしたアメリカのアニメ『ハイ!ハイ!パフィー・アミユミ』が幅広い層から支持を集め、世界的な人気となった。アニメのおもしろさ、PUFFYのキャラクター性もさることながら、2000年代はたとえば、The Strokes「Last Nite」(2001年)、 Franz Ferdinand「Do You Want To」(2005年)、The Ting Tings「Great DJ」(2008年)など「ロックンロールリバイバル」が起きたタイミングである。これはあくまで結果論だが、そういった風潮にPUFFYの音楽スタイルもぴったりとハマって、国内外で脚光を浴びたのではないか。ただそういった過去の名曲のオマージュ/サンプリングが、PUFFYの楽曲の普遍性に一役買っていると言える。

 ただもっとも重要なのは、PUFFYのふたりの、懐古的な音楽をうまく吸収して自分たち流にアレンジできる能力の高さ。声の質感、シンクロの仕方、歌詞の言葉の伸ばし方などは彼女たち特有のもの。それゆえ、どんな楽曲もちゃんとPUFFYらしく聴こえる。また歌い上げるような熱唱型ではなく、かといってローテンションでもない「ちょうど良さ」もある。デビューから25年以上経ってもその「ちょうど良さ」は失われず、それがPUFFYの持ち味としてよく語られている「親近感」へと結びついているのではないか。

 前述したようにふたりは、世間の「ユルい」というイメージに対するアンサーはしっかりと持っている。しかし、それを強く主張するわけではない。「どんな風にでも受け取れる」という隙間をあえて作りながら、これからもきっと自分たちのテンションで長く活動していくことだろう。

※1:https://withnews.jp/article/f0160407002qq000000000000000G00110501qq000013235A

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