奥田民生がリスナーの心を掴んで離さない理由は? 楽曲に仕掛けられた“つかみ所のなさ”を分析
ソロ名義やユニコーンでの活動はもちろん、他アーティストへの楽曲提供やプロデュース、最近では岸田繁(くるり)、伊藤大地(ex.SAKEROCK)との変名ユニットであるサンフジンズでの活動など、マイペースながらも多岐にわたる活動を続ける奥田民生。彼の類まれなるソングライティング能力は、矢野顕子やアンディ・スターマー(ジェリーフィッシュ)など、国内外の名だたるアーティストからも熱いラブコールを贈られ続けている。一度聞いたら忘れられない魅力を持つ、そんな彼の楽曲には、一体どのような特徴があるのだろうか。
奥田民生の音楽性を表す言葉は、彼が楽曲提供したPUFFYの大ヒット曲「これが私の生きる道」の歌詞が、的確に表していると言っていい(かもしれない)。「もぎたて果実のいいところ」取りで、「いい感じ」にユルい。つまり、ビートルズやELO、ニール・ヤングなどのエッセンスを(オマージュ的に)引用し、シンプルだが浮遊感たっぷりのメロディと、人を食ったような歌詞によって、つかみ所がないのに強烈な印象を聴き手に与えるのである。
この“つかみ所のなさ”はどこから来るのか。もちろん、彼のキャラクターによるところも大きいが、楽曲面で言えば、調性のハッキリしないコード進行や、テンションノートを多用したメロディ、変則的な小説数などにあると筆者は考える。つまり、一つの目的に向かって真っ直ぐ進むのではなく、あっちへフラリ、こっちへフラリと寄り道をしながら、さすらうように旅をする。そんな楽曲が奥田民生には多いのだ。
では、実際に楽曲を聴いてみよう。今回は、彼の特徴がより端的に表れている初期の曲「息子」と「コーヒー」、それからPUFFYに提供した「サーキットの娘」を検証してみたい。
まず「息子」だが、これはキーがDで、Aメロの歌い出しはトニックコード(D)から始まる。ところが、次のコードでいきなりAm、つまりVm(ドミナント・マイナー)になる(<ずっと見てやがる>という歌詞の部分)。これはニール・ヤングがよく使う手法で(「シナモン・ガール」ほか)、なんともいえない哀愁を感じさせる。しかも、このコードがGをキーとした「ツーファイブ(IIm-V7)」のようにも感じられ、曲全体の調性が曖昧になって不安感をも誘うのだ。この「調性の曖昧さ」はBメロ部分、Em-G-Am-F-Gという進行にも訪れる。再びAmが登場し、そこからFという、Dに対するIII♭にも、GをキーとしたDの代理コードにも感じられるコードへと移動していく。さらに、Cメロのコード展開はD-Dm-E7-Fとなり、Dm以降はCのキーへと転調している(E7は、セカンダリードミナント・コード)。しかし、メロディがシンプルなため、さほど複雑な展開とは感じさせないのである。トドメはエンディング。D-G-C-E7-Fを繰り返す中、一度だけD-G-C-G#-Cとなり(歌詞では<翼などないけれど進め>の箇所)、G#の部分でハッとさせられる。この、予想を裏切る展開にも中毒性の秘密が隠されているのだ。
次に「コーヒー」。この曲はキーがAで、イントロはG-Gdimという進行にスライドギターのメインフレーズが乗る。この、ディミニッシュコードにスライドギターという組み合わせは、ジョージ・ハリスンのソロ代表曲「マイ・スウィート・ロード」を彷彿させずにはいられない。AメロはA-Dm-Bm-E-Dm-G-A。2小節目でいきなりサブドミナントマイナー・コードを持ってきて意表を突く。「息子」もそうだったが、いかに早い段階でダイアトニック・コードを逸脱する展開を持ってきて、聴き手をハッとさせるかを考えているようだ。途中のDm-Gも、キーをCとしたツーファイヴのようにも感じられる。そして2AではA-Dm-Bm-E-Dm-G-Dm-Aと、途中にDmを1小節分足していて、9小節になっている。この、のらりくらりとした展開こそが奥田民生らしさである。