Machico、冨田明宏と振り返る10年の音楽活動 諦めずに努力し続けたからこそ掴んだもの
Machicoがアーティストデビュー10周年を記念したベストアルバム『10th Anniversary Album -Trajectory-』を7月20日にリリースした。本作にはデビュー曲「Magical Happy Show!」から、作詞・Machico、作曲・明希(シド)による10周年記念曲「Shall we…?」まで選りすぐりの18曲を収録。Machicoの10年の音楽活動が凝縮された一枚となっている。今回リアルサウンドでは、Machicoのデビュー前から活動を見てきた音楽評論家の冨田明宏との対談を企画。決して平坦な道ではなかった歩みを振り返った。(編集部)
グランプリになるかどうかという瀬戸際なのに楽しそうに歌っていた(冨田)
──Machicoさんは今年の5月23日でアーティストデビュー10周年。10周年を迎えた現在の心境はいかがですか?
Machico:そういう節目って今までお祝いする側だったので、まさか自分がお祝いされる側になる日が来るなんてびっくりです。もちろん10年続けたいという気持ちも強かったですし、ありがたいことにデビュー以降ちょっとずつお仕事も増えていって、すごく良い状態で10周年を迎えることができていて。私はデビューしてから本当に人に恵まれてきたんですけど、自分が大切にしているご縁というものがこの10年間続いたこともすごくうれしくて、感謝の気持ちがより強まっています。
──これまで、音楽以外で10年続いたものって何かありますか?
Machico:今までですか? まったくないです(笑)!
冨田明宏(以下、冨田):確かに、仕事以外に10年続けられるものってなかなかないですよね。
Machico:お仕事だから続けられたというのはもちろんあるんですけど、私はこのお仕事を嫌になった時期もまったくなくて。もちろん、デビュー当時はできないことばかりだったんですけど、できないんだったらできるようになりたいと常に向上心を持ち続けて取り組むことができたので、そういう気持ちで10年間走り続けられたんだと思います。
──ひとつのお仕事を10年続けること自体も大変だと思います。中には、10年の間に転職する人もいるでしょうし。
Machico:そうですよね。私はデビューして5年目ぐらいからちょっとずつアニメのタイアップをいただけるようになって、ひとつずつ新しいお仕事が決まるたびに直属の先輩のMay'nさんが自分のことのように喜んでくれて。そういう先輩からの優しさや言葉のおかげで、落ち込んでいた時期とかも腐らずに頑張ろうという気持ちになれました。
──冨田さんはMachicoさんのことを、デビュー前から見てきているわけですよね。
冨田:はい。そのオーディションのファイナルで、グランプリを決める場面にも関わらず、Machicoさんはそのときから天真爛漫な印象でした。
Machico:ふふふ。初めて大勢のお客さんの前で歌えたので。すごく盛り上がってくれたのが嬉しくて、楽しかった印象があります。
冨田:オーディションという場で、しかも自分がグランプリになるかどうかという瀬戸際なのに楽しそうに歌っていたことがすごく印象に残っていて、「この子はちょっと違うかもしれない」と当時思ったんです。最終的にはファイナリストとして残りましたが、Machicoさんはその中では歌のお仕事が一番早かったですよね。
Machico:そうですね、声優デビューより1年早くて。そこはホリプロの同期組(Machico、田所あずさ、大橋彩香、木戸衣吹、山崎エリイ)とは逆で、私以外は声優デビューが先で、その1年後ぐらいにアーティストデビューでしたから。
冨田:それで、<ジェネオン・ユニバーサル(現在のNBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン)>の担当の方から「彼女にとって最初のインタビューをお願いします」と頼まれて。天真爛漫さが目立つイメージ通りの子でしたが、話してみると実はすごく苦労していて。それこそオーディションを受けた数だったり、あとはホリプロのファイナリストになってからも専門学校に通っていたり。声優や歌手になりたくて、最終的にほかのオーディションは全部落ちちゃったけど、ホリプロのファイナリストにまで行けた。でも、そこでもグランプリが獲れなかったというところで挫折を経験していて、なおかつファイナリストの中でも最年長だったんですよね。屈託なくいい笑顔で笑う子だなと思った中でも、実はそういうお話が印象に残ったりもしていて。
Machico:確かにそう言われたら、自分の夢を最優先に生きていたわけではないですし。グランプリを獲れないのはもちろん悲しかったんですけど、オーディションって賞を獲れなくても声をかけてもらって事務所に所属するみたいなことがあると聞いていたので、もしかしたら……と狙っていたところもあったんです。でも、ある日ホリプロのホームページを見たら、自分以外の今の同期がもう所属していて。「結構手応えあったけどなぁ。やっぱりダメだったのか」と、そこは寂しかったですね。
冨田:就職活動もしていたと聞いて、そこまでしたんだと、当時驚きました。
自分を出すのはまだ早いなと思っていた(Machico)
冨田:実は、デビュー当時の資料が出てきたんですけど。
──(当時の資料を前に)うわーっ、これは貴重ですね!
Machico:キャッチコピーに時代を感じますよね(笑)。
冨田:すごいですよね、「究極の俺妹的シンガー」ですから(笑)。
Machico:このキャッチコピー、私が10代だったらまだやぶさかではございませんが(笑)、20歳でデビューして「究極の俺妹的シンガー」ってなんやねん! と。
冨田:だから、いろんな部分をまだ抑制、抑圧しているのがキャッチコピーやビジュアルからも伝わってきますよね。実は、最初に対面して話しているときから声優、シンガーとしても規格外ということはわかってはいたんですけど、本当の意味で規格外の存在になれたのはここ5、6年の話ですからね。
Machico:デビュー当時は自分を出すのはまだ早いなというのもありましたし、出したら出したできっと私はアニメを好きでいてくれるファンの方にとってそんなに好きになれないタイプだったと思うので。だったら自分が好きなものを封じないといけないと思っていたので、それももどかしかったです。特にお仕事もまだ少ない時期でしたし、「私、せっかくデビューしたのに何を発信していけばいいんだ?」と迷うこともありました。
冨田:そういう葛藤も、当時からなんとなく感じていました。歌も上手だったけど、当初はまだ歌い方とか自分の歌みたいなものを模索していた印象でした。
Machico:そうですね。シングル『Magical Happy Show!』でデビューしたあと、立て続けにアルバムを2枚も出させていただけたことはすごくありがたかったんですけど、どちらもアニソンカバー中心の内容で、アーティストとしてデビューしているのにオリジナル曲でアルバムを作れないことがすごく悲しくて。イベントでも自分の歌よりカバー曲のほうが盛り上がるし、アニソンの有名曲の力を借りないと私自身のことをみんなに見てもらえないんだ、っていう。