野宮真貴が振り返る、ピチカート解散以降に訪れた転機の出会い 川勝正幸、フェルナンダ・タカイらとの意欲的な音楽制作

2000年代は、私が雲の上から下界へと階段を降りてくる時代

ーー2004年リリースの『DRESS CODE』でもまた、川勝さんがプロデュースの一翼を担っています。ここで音楽担当のプロデューサーに選ばれたのは、DJの須永辰緒さん。

野宮:前作ではいろいろな相手と組んだので、次は、一転して一人のクリエイターとじっくり一枚を作り上げてみようということになりました。

ーーディナーショーを模したこのアルバムは、須永さんならではの、ボッサとジャズが薫る洒落た仕上がりとなっています。その中核を占めると考えられるのが、菊地成孔さんが作詞した「Elegance Under War」と川勝さんが作詞した「歌う「おしゃれ手帖」」。いずれも作曲は須永辰緒さんです。

野宮:「歌う「おしゃれ手帖」」は、私のはじめてのエッセイ『おしゃれ手帖』にインスパイアされて書かれたものですね。自分の作品が、こうして別の形に育って花開くことが、とても感慨深かったです。菊池さん作詞の「Elegance Under War」は今聴いてほしい1曲ですね。

ーーユーミン(松任谷由実)の「手のひらの東京タワー」、ミルトン・ナシメントの「Bridges」など、カバー曲も印象に残ります。

野宮:「Bridges」は、川勝さんのフェイバリットなんですよ。提案を受けた時は、なぜこの曲なんだろうといぶかりましたが、何でも、「ディナーショーのクライマックスには、洋楽のバラードのカバーが必要なんです」と強調する。きっと、クレイジーケンバンドがアンコールで「マイ・ウェイ」(フランク・シナトラ)を歌っていたことに影響されたんでしょうけど(笑)。

ーー2005年の『PARTY PEOPLE』は、<ジェマティカ>と契約していた9年間のうち、唯一、<エイベックス>からリリースされています。

野宮:マネジメントがロードアンドスカイ。レーベルがエイベックスさんということですね。ロードアンドスカイの高橋社長とも相談して、自分の音楽をより多くのリスナーへと届けるために、ディストリビューションやプロモーションの面で、一度メジャーレーベルの力を借りてみようということになったんです。その狙いは、成功したと思います。

m-flo loves 野宮真貴 & CRAZY KEN BAND / Cosmic Night Run

ーーm-flo、GTSといった国内勢の他、バンコクを拠点とする多国籍バンドのFUTON、元KraftwerkのメンバーによるユニットであるYAMOなど、広く海外へもコラボレーションの輪を広げています。前作からは打って変わって、ダンサブルかつアップリフティングなテンションの高いアルバム。まさにエイベックス印の作品です。

野宮:当時、私自身の生活がパーティピープルそのものでしたから、その暮らしぶりがダイレクトに反映されています。ピチカートでの10年間は、仕事もパンパンに詰まっていたし、プライベートでは結婚と出産を経験したりと、とにかく忙しかった。その反動として、2000年代は、たがが外れたように遊びまくっていたんですよね(笑)。

ーー具体的には、どんな生活を送っていたんですか。

野宮:街へと繰り出して夜通し遊んだ後、24時間営業のスーパーで早朝にブロッコリーとかを買って帰宅。子どものお弁当を作ってからようやくベッドに潜り込むという毎日でした。

ーーちゃんとお母さんをやっていたんですね。そういう、所帯じみた家事を行う野宮さんの姿というのは、なかなか想像がつかないかも(笑)。

野宮:まあ、あまり料理は得意じゃないんで、おかずは3種類ぐらいのローテーションでしたけど。唐揚げ、そぼろ、それからモランボンのチャプチェが定番。ただ、せめてご飯だけは美味しいのを食べさせてあげようと、毎朝ちゃんと土鍋で炊いてました。

ーーどんどん意外な素顔が露わになってきました(笑)。しかし、ピチカート時代の野宮さんは、私生活を明かさない戦略を徹底していましたよね。浮世離れした雲の上の存在だった。

野宮:ええ。年齢も非公開だったし、プライベートに関しては、いろんなことが秘密にされていました。あえてそうすることでそうやってピチカートでは架空のさまざまキャラクターを演じていましたね。

ーーなのに、今では還暦を超えたことを隠すこともなく、ご自身の更年期や老眼に関しても積極的に語っているんだから、隔世の感がありますね。

野宮:いわば2000年代は、私が雲の上から下界へと階段を降りてくる時代だったのかもしれませんね(笑)。普段の私は、そんなにお高く止まったキャラクターじゃないんだけど。

ーー2007年の『JOY』は、同名の舞台の2曲入りサウンドトラック。音楽とファッションと演劇を融合させたこの試みは、シアトリカル・コンサートを標榜していました。

野宮:ロマンチカという劇団の林巻子さんに、構成・演出・美術をお願いしました。音楽監督は、かつてピチカートの『HAPPY END OF THE WORLD』にも参加してくれたオランダ人ミュージシャンのリチャード・キャメロン。ソロ転向後、ツアーなどは行わなかったので、ここまでの3枚のアルバムに収録した楽曲を披露する機会は少なかったんです。ただ歌うだけじゃなく、せっかくライブをやるなら、新しいことにチャレンジしたいという気持ちがあって、この形にたどり着きました。

ーーシアトリカル・コンサートは大好評をもって迎えられ、翌2008年の『エレガンス中毒』、2009年の『Beautiful People』と、3年連続で公演が行われました。

野宮:やっぱり自分には、何か役割を与えられた上でそれを演じる行為が向いているんだと再認識しました。生粋のシンガーというか。一流のスタッフのおかげで、このパフォーマンスは水際立ったものになったと自負しています。映像も残っているので、何かの機会に公開できればうれしいですね。

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