くじらが語る、花譜に贈った卒業ソング「春陽」の二面性 相反する感情が同居する歌詞とサウンドの関係

 花譜が、3周年記念プロジェクト『組曲』第6弾として、くじらとのコラボ曲「春陽」をリリースした。本楽曲は、くじらが今年高校を卒業した花譜に贈る卒業ソング。“卒業”や“別れ”の瞬間に訪れる複雑な感情が、春風のような爽やかなサウンドと共に描かれている。

 Adoやyamaといった人気シンガーとのコラボ曲やDISH//、SixTONESへの楽曲提供を重ね、今では新世代を代表するアーティストとなった くじら。今回コラボをする上で、花譜の歌声をどのように解釈し、楽曲に落とし込んでいったのか。「春陽」の制作エピソードと合わせて、まだ謎も多いくじらの作家性にスポットを当てて話を聞いた。(編集部)

くじらが惹かれた、花譜の記名性のある歌声

【組曲】花譜×くじら #97「春陽」-予告編-【オリジナルMV】

ーー基本的な質問になるのですが、そもそも“くじら”という名前はどこからきているんですか?

くじら:その質問はファンの方々からもよく聞かれるのですが、最初のライブで直接話したいと思っていて……まだ秘密です(笑)。

ーーそうなんですね、ではそれまでのお楽しみということで。2019年の活動スタートから約3年、Adoやyamaとのコラボや、DISH//やSixTONESへの楽曲提供など、ヒット曲を連発している印象もありますが、ご自身としては想定通りの活動はできていますか?

くじら:活動当初から“音楽でご飯を食べていく”ことがどういうものなのかを常に考えながら、念密な計画を立てて活動してきました。一つのヒット曲をきっかけに求められるようになり、それに対してどう応えていくのか。実験的に進めてきた部分もありますが、今みたいな状況になるように3年間進んできたつもりなので、逆にこうなっていなかったら困っていましたね。

ーーくじらさんを取り巻く現状は、ご自身の考えたプランが上手くハマった結果ということですね。

くじら:そうですね。SixTONESさんへの楽曲提供などは想定外というか、そういう嬉しいイレギュラーはありましたが、マイナスなイレギュラーはなかったと思います。僕はマルチタスクが苦手なんですけど、一つの目標に向かって長期的に取り組んでいくことは得意なのかもしれないです。逆算に逆算を重ねて、ある程度こなすべき課題を定めた上で走り出していくと、目的地に勝手にたどり着いているというか。何かをするときは、そういう風に組み立てていくようにはしています。

ーーなるほど。そういった活動を続ける中で、花譜さんのコラボシリーズ『組曲』のひとつとして「春陽」を提供しました。花譜さんのことはもともとご存知でしたか?

くじら:“花譜”という存在が世に出たタイミングから知ってはいました。でも、その時はVTuberの黎明期だったこともあって、そのジャンルの中の一人だと考えていたんです。そこからアーティストとして走り続けているのを眺める中で、当時と今では印象が全く違っていて。音楽を媒介にしてインターネット、バーチャル、リアル、ライブといった世界をすごく自由に行き来できる、唯一無二のアーティストというイメージがあります。

【歌ってみた】五月雨 covered by 花譜

ーーバーチャルシンガーとして、音楽を軸にしながら独自の道を進んでいますよね。では花譜さんの歌声についてはどんな印象を持っていますか?

くじら:崎山蒼志さんの「五月雨」やみきとPさんの「少女レイ」のカバー、オリジナルだと「過去を喰らう」など色々聴いたのですが、純粋に声が素敵で、歌が上手いというのが第一印象でした。いわゆるディーヴァや歌姫のようなタイプというよりも、彼女にしかない記名性のある歌声だなと。それこそ、音楽的同位体 可不(KAFU)(花譜の声から生まれた人工歌唱ソフトウェア)が成功しているのも、リスナーやクリエイターに彼女自身の声の性質や歌の癖が支持されている証拠だと思います。

ーーそんな花譜さんの歌声を踏まえた上で、「春陽」はどんなイメージで作り始めましたか?

くじら:僕はダークな曲調の楽曲が書けないので、花譜さんに書くとしたら、可愛いテイストの曲になるだろうなとは思っていて。「さようなら、花泥棒さん」(メル)や「透明少女」(NUMBER GIRL)のカバーみたいに、淡々としながらも、ところどころ跳ねるように歌ってもらえるような楽曲と、花譜さんの歌声のマリアージュみたいなものを想像しながら作っていきました。あと、自分の曲はメロディの譜割が難しいことが多いんですけど、今回は花譜さんありきで作ったので、ご本人が歌いやすい曲にできたのではないかと。完成版を聴いたのですが、想像以上のものに仕上げていただいてすごく嬉しかったです。

ーー「春陽」では、春に訪れる別れ=卒業の風景が描かれています。

くじら:普段は実生活で起きたこと、自分が考えていることを曲にするのですが、今回は“春”や“卒業”といったテーマが事前にあったので、そこから曲を広げていきました。卒業と、その後に起こるであろう物語を織り交ぜて書いていて。例えば、別れの瞬間や卒業というイベントは、それを言い訳にして普段は言えないことを伝えられる機会なのかなと思うんです。いつもは照れくさくて言えない感謝や告白みたいなものもありますし、“さようなら”という言葉も普段使うものとは全然意味合いが違ってくる。そういう言葉を伝えようとしたときに、言葉が口から出てくるまでの間に、走馬灯のようにいろんな思いが巡り、言葉を発した瞬間に涙が溢れて止まらなくなるような情景を想像して歌詞にしました。この曲を聴いてくれるリスナーの方も、そういう瞬間を体験すると思うのですが、そのときに春の穏やかで暖かい日差しが教室や帰り道に差していたらすごく素敵だなって。そんな春陽のような前向きにしてくれる力を、この曲からも感じてもらえたらと。

ーー歌詞では“さようなら”のような直接的な別れのフレーズは出さず、言葉を出す前の記憶のフラッシュバックが描かれていますね。サウンドは春のキラキラしている雰囲気を感じる一方で、歌詞だけを読むと切なさも感じました。くじらさんの楽曲は、そういった対照的な歌詞とサウンドを上手く組み合わせる印象があるのですが、そういうバランスは意図的に考えているのでしょうか?

くじら:歌詞が暗かったり切ないのに、音像が明るいというのは、曲を作る上で自然と意識している部分で。僕が思うに、音楽を聴いてくれる方は、何層かのレイヤーに分かれていると思うんです。歌詞をしっかり読み込んで聴く人、メロディやノリの良さに注目して聴く人などが同心円状に広がっているというか。もちろんその両方を楽しみたい人もいるとは思いますが、僕としてはその両方の方々に良いと思ってもらえるような曲を作りたいと思っているんです。「この曲は音もいいけど、実は歌詞もいいんだよ」みたいに語り合ってもらえる、ある種の二面性を持たせたいと思っていて。「春陽」に関しては、登場人物の間に流れる空気やシーンは切ないけど、その周りの情景は桜吹雪が散って、快晴で、すごく明るいみたいなイメージでしたね。

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