the band apart 木暮栄一「HIPHOP Memories to Go」第11回
the band apart 木暮栄一「HIPHOP Memories to Go」第11回 知られざる『quake and brook』レコーディング裏話&全曲解説も
the band apartのドラマー・木暮栄一が、20年以上にわたるバンドの歴史を振り返りながら、その時々で愛聴していたり、音楽性に影響を与えたヒップホップ作品について紹介していく本連載「HIPHOP Memories to Go」。第12回は、バンドとしてのレコーディングスタイルが確立したという、2005年リリースの2ndアルバム『quake and brook』制作秘話に迫る。高い構築度を誇るthe band apartの楽曲群だが、当時のレコーディングを思い返すと、意外な理由で難航していたのだとか。木暮による貴重なアルバム全曲解説も載っているので、お見逃しなく。(編集部)
実はてんやわんやだった!? 2ndアルバムレコーディングのあれこれ
この連載を初回から続けて読んでくれている人がどの程度いるかはわからない。
しかし幸いにもそうした物好きの読者の方が複数いると仮定するならば、もちろん連載内の時間軸がほとんど前に進んでいないことにもお気付きだろうと思う。さらに言えば、「バンドの歴史とその時聴いていたヒップホップ」という本コラムの大枠のテーマすら逸脱しがちの体たらくである。
そんな懸念は頭の隅に追いやり、それどころか他の仕事も含むあらゆる締め切りをないことにして、チョコレート味のプロテインドリンクをすすりながら『雀魂 -じゃんたま-』に興じていた某日深夜、編集部Sくんからの着信があった。
その内容を要約するなら……
「お前のようなボウフラやろうが気の向くままに思いつきの文章を書き殴るのも悪くはない。それは自由だし、貴様にもヒューマンライツはある。そして我々はそれを貶めるものではない。しかしこのまま当初のテーマを逸脱し、挙げ句の果てに“締め切り”という言葉の意味ごと忘却の彼方へ葬るつもりならば、お前が妻に隠れて海外から個人輸入したダウンジャケットの本当の値段を妻にバラす」
……というわけで震えながら筆をとっている今回は、我々the band apartの2ndアルバム『quake and brook』の話です。
いくつかの音源のレコーディングを経て、ボンクラ4人組にも録音の作業工程というものが少しは理解できるようになったはずの2004年頃。レコーディングスケジュールというものは無論あらかじめ決まっているものだから、そこに向けて曲を作り、どんな音で録り、最終的にどんな音像を作りたいのかを録音エンジニアと共有し、各メンバーは自分のパートを練習しながら楽曲への解釈を深め、初日に臨む。それが理想である。
しかしthe band apartの歴史において、レコーディングがそんな風に上手く進行したことは今まで一度もない。アレンジのされていない曲の原型がいくつかあります、という不穏な状態で録音に突入することがほとんどで、すでにライブで演奏していた曲がいくつもあった1stアルバム(『K.AND HIS BIKE』)を例外とすれば、側から見れば「え、こいつらアルバム作る気あるの?」と言う疑問で胸が一杯になるであろう。そんな制作スタイルは『quake and brook』のレコーディングから始まった。
僕たちだってもちろん期日に間に合うように作る気はあるし、実際作ろうとはしている。ただ、できない時はできないから、作曲のために集まった原昌和(Ba)の部屋で、気分転換にゲームに興じたり無駄話をしたりするうちにそちらの方に夢中になり、腹が減ったね、と飯を食いに出た先のロイヤルホストで数時間だらだら紫煙を燻らせてしまうのは、友人同士の集まりの良いところでもあり、悪いところでもあった。
さらに4人中2人(僕と原)は夏休みの宿題は8月31日までやらない、下手したら宿題自体をやらない、というタイプだったから、そもそもの危機感のようなものが欠如しており、「まあ、なんとかなるでしょう」という根拠のない楽観を他の2人にも伝染させつつあった。
もちろん何とかなるわけがないので、のちに自分たちの首を絞めまくる結果となるのである。
ある意味年齢にふさわしいモラトリアムを体現したかのような、そんな制作準備期間中、きっかけは忘れたが僕も一人で曲を作ってみよう、と思い至った。思い立ったが吉日、さっそく荒井岳史(Vo/Gt)から彼が初めて買ったというギブソンのSGを借り受け、コードブックを片手にギターの練習を始めたものの1時間たたないうちに挫折。これは無理かな……と諦めかけていたところでパワーコード(主に2音で構成された省略コード)の存在を知り、これならできそう、と好きな響きを探すうちに考えついたのが「forget me nots」のイントロ〜Aメロのギターリフだった。
それをもとに、その頃よく聴いていたNUMBER GIRLのアヒト・イナザワ氏のような速くて手数の多いドラミングと、ダブっぽいミキシングを掛け合わせたらカッコ良いのではないか、と構成を作っていったのだが、何と言っても初めての作曲だったし、レコーディングが近づくにつれ他のメンバーも各々作業に追われていたので、「まあ、いいか」と事前に相談することもせず、自分でも全貌があやふやなまま録音初日がやってくる。
そしてそれは僕に限ったことではなく、他のメンバーが作っていた曲もだいたい似たような状態だった。
バンドのレコーディングには主に2パターンあって、ひとつはボーカル以外の楽器を、いっせーのでまとめて録音する形、もうひとつはパートごとに各楽器を重ねて録音していく形式だ。
前者はライブ演奏のようなものなので、奏者同士の呼吸が測りやすく、演奏もまとまりやすい。まだ録音環境が発達していなかった昔から今に続くベーシックな手法である。僕たちは今に至るまで、このやり方では数回しか録音したことがないけれど、録った段階で楽曲に不思議な整合感が生まれていることが多い。対する後者は、楽器ごとに録音を繰り返していくので時間はかかるものの、音の分離が良いので事後調整の余地が広く、より現代的なミキシングに適していると言える。
この2つのやり方を軸に、楽曲の方向性やバンドのスタイルによって様々な試行錯誤を繰り返しながらレコーディングを進めていくのだが、僕たちの場合、その根本になる曲ができていないので、なし崩し的に後者のやり方で進めていくことになるのが常だった。
通常であれば、いわゆるリズム隊と言われるドラム、ベースの順番で録っていくのだけれど、それに関してもthe band apartの場合はドラムの次にリズムギターを録ることが多かった。なぜかと言えばベースラインができていないからだ。
僕以外のバンドメンバーも皆、ギターで曲を作っていたので荒井の弾くギターパートは大体できている。あとは全体の構成(イントロ・Aメロ・サビとか)とリズムパターンを決めてしまえば、とりあえず録音の体を取ることができる、という理由からである。何にせよ、まずはドラムを録音しなければ何も始まらない。
アルバムバージョンで録り直すことにした「higher」や合宿でセッションしていた「coral reef」のドラムを録り終えてしまった初日以降は、ほとんど直前に構成が決まったような曲を録っていくことになった。初見の譜面を眺めつつウィスキーのロックを2杯ほど飲んで、「よし、録ろうか」と素晴らしい演奏をしてしまうスティーヴ・ガッド……のようなスキルも経験もない元Bボーイだった僕にそんな芸当は望むべくもなく、レコーディングは2日目のリズム録りからもちろん難航。
ドラム以外に関しても似たような状態だったから、自分たちの怠惰を呪いながら日を追うごとにメンバー全員が死んだ目になっていく。当然の結果である。
時には予定していたスケジュールに間に合わず、かと言って何もしないのは待機しているエンジニアに対して気まずさが過ぎるので、弾くフレーズが一音も決まっていないのに録音ブースに入った原や川崎亘一(Gt)がその場の即興で演奏していくこともあった。「その姿はさながら、フリースタイルを繰り返しながらリリックを練り上げていくラッパーのようだった」……とアーティスティックに描写することもできる。しかし実際は、録音エンジニア、アシスタント、レーベル関係者などの衆人監視のプレッシャーに対し、生まれたての小鹿のように震えながら、“逃避不可の苦行に臨む修験者”でしかなかった。
今考えれば、馬鹿、の2文字しか浮かばない。そんなやり方でレコーディングを何とか進めていたものの、不思議なことに予定からそれほど遅れることもなく、僕たちはアルバム完成まで漕ぎ着けてしまった。
これほど無計画でずさんな進行だったのに間に合った……その事実をある種の成功体験として吸収してしまった僕たちは、この時から「結果よければ全てよし、レコーディングは綱渡り」なのが当たり前になってしまう。愚者の行進は続くのである。
僕が原型を作った「forget me nots」は、音を重ねるうちに当初のイメージとは違う曲になっていった。いま聴き返しても、ラフなところ、未熟な部分、消化不良な箇所がどうしても耳についてしまうのだけど(これは他の古い録音物に関しても大抵そう)、逆に考えれば、あらゆる意味でこの時にしか作れなかったものだとも思う。
原がよく言っている「うちらのアルバムは本当の意味で“そのとき撮った写真を収めたアルバム”みたいなもんだから」という言葉通りの、そして、その“録って出し”度の高さゆえのドキュメント感を鮮烈に湛えた、そんなアルバム。そこに写る若い自分の姿を見ても、まだ少し懐かしさより気恥ずかしさが勝ってしまうけれど、もう少し歳を重ねた時にはまた違った感動が訪れるのかもしれない。