あいみょんの恋愛ソングに共通する“自身に向けた切実な願い” 「ハート」とドラマ『ハンオシ』の相乗効果を振り返る

 あいみょんも今回の楽曲制作について、「一度書いた歌詞を書き直す作業は今までしてこなかったんですが、この曲は何度も何度も歌詞を読んで歌ってみて、また書き直して。かわいくなりすぎず、不格好になりすぎない、そんなハートを描けたらと思い、言葉の微調整を繰り返しました」(※1)と語っており、この絶妙な2人の心の距離感や徐々に徐々に変化し移ろいゆく関係性を、彼ららしい等身大で、過不足なく描くことを意識したようだ。確かに、この“名前のない関係性”の渦中にある2人を描き出すのは至難の業だろう。

 「ハート」の歌詞はぽつりぽつり誰のためでもなく“私”自身のために紡がれた言葉未満の感情たちで、感情をそのままストレートに書くのではなく、ふとした行動や習慣を切り取り、その裏にある“貴方”への好意や、目を背け続けてはいられぬ“私”の本心を立ち上らせている。

 さらに「ハートって上は丸いくせに下はとがってる。可愛いのに痛そうで不思議な形だなと思います。本当は歪な関係を表すマークなのかも…」という、誰しもが疑わずに、共通言語かのように使ってきた普遍的なアイコンに対して、その裏にある二面性を読み解くあいみょんのコメントはもはや哲学的にさえ響く。

 作品の解像度をここまで上げ、瞬間冷却して閉じ込められるあいみょんの楽曲は恋愛ドラマとの相性も抜群で、主題歌への起用が続いている。『獣になれない私たち』(日本テレビ系)での「今夜このまま」や『私の家政夫ナギサさん』(TBS系)での「裸の心」など、いずれも“私”はままならない想いを抱えながら、“こうであったなら”と願うものの、その願いや祈りがとても遠慮がちで控えめで、自分自身に向けられたものばかりなのだ。決して相手に対して何かを手放しで一方的に望むようなことがない。だからこそ、その“私”のささやかで表には出していないのであろう願いが、たとえ周囲からの理解も賛同も得られないものだとしても、他の誰でもない“私”にとってはどれだけの悲願で「願ってもみないこと」なのかが痛烈に浮き彫りになるのだ。

 “私”の中に深く入り込んでいって紡がれる言葉の数々が、半拍遅れのリズムに何の衒いもない彼女の真っ直ぐな声で乗せられた時に、不思議と調和が取れる「ハート」は、ままならない現実も悪くはないと優しくそっと触れ、誰からも理解されなくとも自分だけの“幸せ”の形を模索する者の心のバリアを一時解除し、包み込んでくれる。じんわりと温かく、気づかぬうちにその温もりが広がる「ハート」はお守りのようであり、寒い冬の朝にベッドからなかなか抜け出せずに過ごす束の間のまどろみのようでもある。ドラマ放送が終わった今も、いつでも“帰ってこられる場所、ふと立ち寄りたくなる場所”として、そっとそこに存在してくれている。

※1 https://realsound.jp/2021/09/post-858618.html

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