連載『シティポップ(再)入門』:大貫妙子『SUNSHOWER』

シティポップ(再)入門:大貫妙子『SUNSHOWER』 時代を経るごとに評価を高めた名盤にして永遠の定番作

 日本国内で生まれた“シティポップ”と呼ばれる音楽が世界的に注目を集めるようになって久しい。それぞれの作品が評価されたり、認知されるまでの過程は千差万別だ。特に楽曲単位で言えば、カバーバージョンが大量に生まれミーム化するといったインターネットカルチャー特有の広がり方で再評価されるケースが次々登場している。オリジナル作品にたどり着かずとも曲を楽しむことが可能となったことで、それらがどのようなバックボーンを持ち、どのようにして世に生み出されたのかといった情報があまり知られていない場合も少なくない。

 そこで、リアルサウンドではライター栗本斉氏による連載『シティポップ(再)入門』をスタートした。当時の状況を紐解きつつ、それぞれの作品がなぜ名曲・名盤となったのかを今一度掘り下げていく企画だ。毎回1曲及びその曲が収められているアルバムを取り上げ、歴史的な事実のみならず聴きどころについても丁寧にレビュー。当時を知る人、すでに興味を持ってさまざまな情報にふれている人はもちろん、当時を知らない人にとっても新たな音楽体験のガイドになるよう心がける。

 連載第3回となる今回は、現代にも多くのファンが存在する作品、大貫妙子『SUNSHOWER』について解説していく。(編集部)

大貫妙子『SUNSHOWER』

 テレビの人気バラエティ番組『YOUは何しに日本へ?』がシティポップ好きの音楽ファンの間で話題になったことがある。2017年8月に放送された、アメリカ人の教師が大貫妙子のレコードを探すために日本へやってきたというエピソードだ。その際に、彼が西新宿のレコード店で熱望し入手したのがアルバム『SUNSHOWER』だった。1977年発表の本作は、近年のシティポップ・ブームの影響で日本国内のみならず海外でも人気が高く、彼もインターネットを通じて本作と出合ったようだ。この放送の反響を受けて、何度目かのアナログ盤によるリイシューを実現しており、その人気ぶりは今もなお継続中だ。

 『SUNSHOWER』は大貫妙子のソロ名義としては2作目のアルバムである。山下達郎らとともに1973年に結成されたシュガー・ベイブの一員として1975年にデビューした彼女は、翌年のバンドの解散に伴いソロ活動へとシフトした。そしてクラウンのPANAMレーベル所属となり、1976年に一作目の『Grey Skies』を発表する。「愛は幻」や「約束」などシュガー・ベイブのレパートリーをメインに据えた『Grey Skies』には盟友の山下達郎の他、坂本龍一や細野晴臣らがアレンジャーとして参加。すでに彼女ならではの世界観が構築されており、実際に評価は高かったが売上は苦戦した。そして『Grey Skies』に続き、アーティスト性をしっかりとアピールした2ndアルバムが『SUNSHOWER』だったのである。しかし、本作やその後のRCAに移籍して制作された『MIGNONNE』(1978年)も、初ソロ作に続きセールス的には惨敗。ヨーロッパ的なスタイルを大々的に取り入れた会心の4作目『ROMANTIQUE』(1980年)あたりから、ようやく多くのファンから支持を得始めるのだ。

『Grey Skies』
『MIGNONNE』

 そんな経緯もあって、『SUNSHOWER』は彼女の作品の中ではいわゆる過渡期に位置付けられていたものであり、代表作として紹介されることはほとんどなかった。売上もそれほど多くなかったため、中古市場でもっとも入手しづらい作品として認知されていた程度。おそらく彼女の作品の中では、もっとも初回プレス数が少ないものではないだろうか。そのため音楽的な評価も定まっておらず、現在のように真っ当な批評対象になるアルバムではなかったのだ。

 ではなぜ『SUNSHOWER』が今日のように高く再評価されたのかというと、実は90年代半ばに大きなきっかけがある。90年代に入ると、日本ではいわゆる“渋谷系”の大きな波が到来し、同時にクラブカルチャーが成熟していった。レアグルーヴやフリーソウルという呼称のもと、ソウルやファンクだけでなく、ジャズから映画音楽に至るまで60年代や70年代の様々な音源が掘り起こされ、DJによってさかんにプレイされるようになったのもこの時期である。その一環でいわゆる“和モノ”と呼ばれる山下達郎、細野晴臣、鈴木茂といった邦楽アーティストの音源もDJ的な視点で発掘されていき、そこに大貫妙子の初期作品もチョイスされていったのだ。象徴的なのが、1996年に発売されたコンピレーションアルバム『CARAMEL PAPA ~ PANAM SOUL IN TOKYO』である。本作には『SUNSHOWER』から「都会」や「くすりをたくさん」などが収められ、本作を聴いて70年代の大貫妙子の良さを知ったリスナーは数知れない。このムーブメントによって、当時すでに入手困難だった『SUNSHOWER』はさらに中古市場で人気を高め、レア盤扱いされて価格も高騰していくのである。

 DJたちによって『SUNSHOWER』が再評価された理由は明確だ。それは、リズムセクションを主軸にしたアレンジの魅力である。1stアルバムの『Grey Skyes』はまだシュガー・ベイブの延長線上というイメージが強かったが、『SUNSHOWER』では当時クロスオーバーといわれたフュージョンのサウンドを大胆に取り入れている。わかりやすく比較するならば、シュガー・ベイブや『Grey Skyes』がソウルやAORからの多大な影響を受けたサウンドだったとすれば、『SUNSHOWER』ではそのエッセンスをさらにブラッシュアップし、シャープでコンテンポラリーなアレンジに仕立てたという印象だ。当時の洋楽と並べても遜色のないポップサウンドはもしかしたら少し早すぎたのかもしれない。いずれにせよ、90年代以降に日本のレアグルーヴとして新鮮に捉えられ、再評価につながっていくのである。この90年代における価値観の変化に敏感だったミュージシャンたちにとっては、いわゆるシティポップ的なサウンドを取り入れていくのは自然なことであり、そのルーティンが昨今のネオ・シティポップの礎となったのは明白である。『SUNSHOWER』は、まさにシティポップとそのフォロワーたちの根源といえるサウンドがたっぷり詰まっている作品なのだ。

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