AKB48の軌跡を辿る 第3回:震災、スキャンダル、前田敦子らの卒業……戸惑いながらも駆け抜けた迷走期

東日本大震災でAKB48がおこなった支援プロジェクト

 2011年3月11日、東日本大震災が発生。AKB48は被災地支援「誰かのために」プロジェクトを発足。ドキュメンタリー映画『DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら、夢を見る』(2012年)では、被災地を訪れたメンバーの動揺、そして「自分たちができることは何なのか」を自問自答しながら、被災者を元気づけるために奮闘する姿が映し出されている。AKB48、ももいろクローバーZなどの支援活動は、暗く沈んだ社会にとって励みとなった。

【予告】「DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on」/ AKB48[公式]

 一方でこんな興味深い意見もあった。書籍『文化時評アーカイブス2011-2012』(サイゾー/2012年)で批評家・宇野常寛、ブロガー・真実一郎と鼎談したアイドル評論家・中森明夫は、アイドルは時代の先取りであるとし、初期のハロー!プロジェクトが世の中の成長に期待するムードを牽引していながらも、現実は政治体制の不安定により何も変わらなかったことを指摘し、「今AKBは何を先取っているのかといったら、『日本はもう良くならない』っていうことを決定的に知らしめた、震災後の感受性ですよ。『もうこの空間だけで楽しむしかない』という感覚」と述べ、6月リリースのアルバムに収録された表題曲「ここにいたこと」を自己言及ソングであると評しながら「今テレビで盛んに言われている『がんばろうニッポン』的なものにすごく似ているんだよ。対象が曖昧で、何をがんばっているのか、ちっともわからない」と言及。秋葉原を拠点としたアイドルグループが、この先どうなるか分からなくなった日本の不安定さの象徴のひとつであるとした。

 ただ間違いなく、AKB48が時代を代表するアーティストであることは間違いなかった。2011年12月30日には「フライングゲット」で、『第53回輝く!日本レコード大賞』の大賞を初受賞。音楽性、セールス面はもちろんのこと、東日本大震災以降のグループの活動など、その年のすべてが評価された感があった。

【MV full】 フライングゲット (ダンシングバージョン) / AKB48 [公式]

恋愛スキャンダルで指原莉乃、峯岸みなみに処分が下される

 「時代性」や「未来」を意識させるコンテンツを生み出し、作品としてヒットを連発するAKB48。ただ、一挙手一投足がメディアを騒がすようになってから功罪も生まれた。恋愛スキャンダルが大々的に取り上げられるようになったのだ。AKB48を振り返る上で避けて通れない恋愛スキャンダルは、メンバーとしても、グループとしても、進路を考える上で深刻な問題となった。

 たとえば秋元才加は2010年10月に恋愛スキャンダルが発覚し、ラジオに生出演し謝罪。チームKのキャプテンを辞任することになった。オンエア中、高橋みなみらが乱入して秋元を叱咤激励。「グループを辞めることも考えた」という秋元の再スタートを後押しした。映画『Show must go on 少女たちは傷つきながら、夢を見る』では、グループが恋愛スキャンダルで混乱する様がとらえられ、同じくドキュメンタリー映画『DOCUMENTARY of AKB48 NO FLOWERS OUT RAIN 少女たちは涙の後に何を見る?』(2013年)はよりその生々しさが増した。米沢瑠美、平嶋夏海、増田有華がそれぞれ握手会にてファンの眼前で直接謝罪する姿が記録されている。

特報#6/DOCUMENTARY OF AKB48 NO FLOWER WITHOUT RAIN/AKB48[公式]

 プロデューサーの秋元康は、田原総一郎との対談本『AKB48の戦略! 秋元康の仕事術』(アスコム/2013年)で「バックステージを見せることが、リスナーにとっての安心感につながる」と戦略を明かしていたが、確かにドキュメンタリー映画などの作品としては刺激的でおもしろいが、はたしてそれがファンの安心感に繫がったのかどうかは疑問だ。

 「恋愛禁止」を破ってアイドルとしての未来が潰えるメンバーも増えた。そしてメンバーによって処分内容や対応が違うようにも思え、運営に対するファンらの不信感に繫がったことも。なかでも大騒動になったのは、指原莉乃と峯岸みなみだ。指原は2011年1月よりAKB48メンバー初の単独冠番組『さしこのくせに〜この番組はAKBとは全く関係ありません〜』(TBS系)、10月より『笑っていいとも!』(フジテレビ系)で水曜レギュラーに抜擢されるなどノリにノッていたが、過去の恋愛とされる内容が週刊誌に記載されて失墜。HKT48への移籍を命じられたが、左遷先のように扱われたHKT48のメンバーも心中穏やかではなかったことだろう。峯岸も2013年1月にスキャンダルが発覚して、頭髪を丸刈りにしての謝罪動画を撮影。AKB48のオフィシャルYouTubeチャンネルへアップした。そのあまりに痛ましい姿が波紋を呼んだ。さらに彼女は、研究生へ降格させられた。

前田敦子と大島優子がついに卒業

 騒動が続出するなか、AKB48でレジェンド化していた前田敦子、大島優子が未来へ向けて決断を下す。まず前田が、2012年8月27日のAKB48劇場での公演をもってグループ卒業を発表した。

 前年の『第3回選抜総選挙』ではトップに返り咲き、壇上であの有名な「私のことは嫌いでも、AKBのことは嫌いにならないでください」というスピーチをおこなった。前田はAKB48の絶対的なセンターでありながら、しかしアンチも多いとされ、ネットなどでは笑いの範疇を越えた誹謗中傷をされることもあった。書籍『前田敦子AKB48卒業記念フォトブック あっちゃん』(講談社/2012年)でも、自分はグループのファンのことを家族のように親しんでいたのに、「私ってここまで嫌われていたのかって」とショックを受けたという。すでに当時、役者としての評価が高まっていた前田だが、アイドルとしては『総選挙』で毎年結果を残しながらも一部から認めてもらえない、という現実。そこには大きな苦悩があったはずだ。

 AKB48関連の名著のひとつ『前田敦子はキリストを超えた─〈宗教〉としてのAKB48』(ちくま新書/2012年)のなかで著者・濱野智史は、自分もそれまでは前田やAKB48の軽いアンチだったが、この言葉を聞いて「あっちゃんの利他性に満ちた言葉を聞いた瞬間、ひざまずいた。AKBに転んだのである。あっちゃんがいかに巨大なアンチの悪意に耐えてきたのか、その苦しみを瞬時に直覚してしまったからだ」と敬意を持つようになったと語っている。

 また濱野は同著内で「あっちゃんは、AKBのセンター=象徴として、真っ向からこうしたアンチの批判を受け止める『矢面』に立ってきた」と述べている。自分自身への批判の声だけではなく、他のメンバーが起こしたスキャンダルなどの責任の一部も前田は負ってきた。ただ、彼女が背負う十字架は年々重くなっていった。2009年の1回目の『総選挙』で「AKB48に人生を捧げることを決めている」と宣言していた彼女の未来に、アイドルという選択肢は残されていなかった。

 前田とツートップ的な存在だった大島優子も2013年12月31日、『第64回NHK紅白歌合戦』でのステージにおいてAKB48を卒業することを発表。前年、前田不在の『総選挙』では2年ぶりに1位を獲得。絶対的エースが抜けて世代交代が進められるなかでも、大島はグループの中核をしっかり担ってきた。そんななか『紅白』という国民的歌番組の場での突然の卒業発表。その反響はすさまじく、年が明けると同時にAKB48と大島優子の話題で芸能ニュースが染まったのだった。

■田辺ユウキ
大阪を拠点に、情報誌&サイト編集者を経て2010年にライターとして独立。映画・映像評論を中心にテレビ、アイドル、書籍、スポーツなど地上から地下まで広く考察。バンタン大阪校の映像論講師も担当。Twitter:https://twitter.com/tanabe_yuuki/

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