ももいろクローバーZ、“新アイドル”誕生の歴史

ももいろクローバーZの歴史を紐解く 第1回:“ライブアイドル”としての下積み時代

ヘンテコな企画、人気サイトとのコラボ

 2009年になってすぐ、川上のもとにインディーズでのCDデビューの話が舞い込んできたという。そのインディーズレーベルの親会社がヤマダ電気ということもあって決まったのが、「ももいろクローバーJAPANツアー2009 ももいろTyphooooon!」である。全国24か所、計104公演。そのときのメンバーは高城、百田、玉井、佐々木、早見。ワゴン車1台に乗り込んで、全国一律1000円だった当時の高速道路のETC料金をフル活用して全国を回ったのはよく知られた話。

 7月には有安杏果が加入して6人組となり、8月にインディーズデビューシングル『ももいろパンチ』をリリース。この頃にははっきりももクロのことを認識し、CDも買って聴くようになった。さらに興味をかきたてられたのは9月の公演『ももいろクローバー CHAMPION CARNIVAL AKBA 5DAYS』。「メンバーと糸電話で話せる」とか、「ファンがメンバーに向けてラブレターを書く」など、よく分からないけど、でも「ももいろクローバーという、おもしろいアイドルがいる」と、ついつい話のネタにしたくなるような企画をおこなった。筆者的には熱心にチェックしていたウェブサイト「美人時計」とのコラボレーションもあり、俄然興味を持った。

 プロジェクト発足当初は「お試し企画」ということで予算が不足していた、スタダ3部のアイドル企画。それでもやっぱり、大手の芸能事務所である。少しでも手がかりをつかめれば、広げ方は抜群にうまい。変な企画でも堂々とやり切り、さらにいろんな企業やクリエイターを巻き込む人脈も備わっている。川上も一流タレントのマネージャーとしての現場経験がある。持っている武器がすごい分、必要だったのはやはり、アイドル本人たちの下積みから芽生える意識。高いステージを用意されず、真っ平らでお客と同じ目線から始まったストーリー。そこでグループの地力が磨かれた。

 オリコンチャートにもランクインし、メディアでも取り上げられるようになったももクロは、メジャーの舞台へ駆け上がっていく。

※記事掲載時、一部内容に誤りがございました。訂正してお詫び申し上げます。

■田辺ユウキ
大阪を拠点に、情報誌&サイト編集者を経て2010年にライターとして独立。映画・映像評論を中心にテレビ、アイドル、書籍、スポーツなど地上から地下まで広く考察。バンタン大阪校の映像論講師も担当。Twitter(@tanabe_yuuki)

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