ディスクロージャーが体現する、ポストコロナ時代にふさわしい音楽のあり方 踊れない世界で聴く、ダンスミュージックの魅力とは

 パーティーでも、クラブでも、レイヴでも、フェスでもいいが、人びとが集まり、踊り、抱き合い、歓声を上げ、愛と自由と平等と解放を謳歌するダンスカルチャーの場は、新型コロナウイルスの影響によって瀕死の状態にまで追いやられた。「瀕死」が言い過ぎなら「明らかに停滞している」としてもいい。ダンスカルチャーの快楽と醍醐味と存在意義はそのまま、コロナ感染リスクの高い非衛生的な行為として批判を浴びることになってしまった。これはダンスミュージックの問題だけではない。人びとが集まって歌い踊るという行為にもはや、かつてのように幸福でロマンティックな夢を託すことは難しくなってしまった。英国など一部の国ではこの夏、そんな風潮に反発して小規模な違法レイヴが頻発したという報道もあったが、世界的なスケールで見れば、この夏に予定されていた大規模なフェスもレイヴも、ほとんどが中止の憂き目を見ている。2020年は、数十年ぶりに訪れた「フェスのない夏」の年だったと記憶されるはずだ。

 たとえば、この8月に5年ぶりとなるニューアルバム『エナジー』をリリースしたディスクロージャーは、そんな状況に大きな影響を受けざるをえなかったアーティストの一組だろう。

 『エナジー』は、徹底的に振り切ったダンスアルバムである。ダンスミュージックの魅力をいっぱいに詰め込んだような、グルーヴィでアッパーな内容は本当に魅力的だ。ディスコ、エレクトロ、ダブステップ、ガラージ、グライム、ラップ、R&B、サンバ〜ラテン、アフロ、中近東などジャンルも国境も越えた多様な音楽性が「ダンス」というキーワードのみを共有して次々と溢れ出てくるバレアリックなハウスミュージックの輝きは、さながらクラブのダンスフロアの高揚したエネルギーをそのまま体現しているかのように豊穣で、躍動していて痛快だ。計算しつくされたリズムアレンジ、完璧なミックスバランス。アレンジの熟練度と完成度の見事さ、持ち前のトライバルなリズムシーケンスでさらに強化された、躍動的でフィジカルなダンスグルーヴ。ディスクロージャーらしいスマートかつスタイリッシュでソフィスティケイトされたサウンドが、実に見事である。

Disclosure – ENERGY
Disclosure, Aminé, slowthai – My High

 本来であればこのアルバムを引っさげ、ディスクロージャーは世界中のフェスに多数出演しオーディエンスを踊らせ、次のケミカル・ブラザーズのような存在になっていたかもしれない。だが、コロナという誰も予想しなかった事態の到来で状況は大きく変わった。この音が鳴らされるべき巨大ダンスフロアはどこにもなくなってしまったのだ。本作のリスニングパーティーが、オーディエンスがひしめくクラブではなく、クロアチアのプリトヴィツェ湖群国立公園からの配信ライブという形で行われたのが象徴的だ。ユネスコ世界遺産にも指定された、雄大な自然が広がる山深い渓谷に機材を持ち込み、新作からの曲を中心にプレイする彼ら。当然その視線の先にオーディエンスは誰もいない。しかも環境に影響を与えないようにスピーカーから音を流すことはせず、彼らはヘッドホンを装着しプレイしている。もちろん演奏は回線を通じて世界中に配信されたが、「三密」とはほど遠い圧倒的な景観の中で、無音で繰り広げられるダンスミュージックの饗宴に、目の前のオーディエンスは誰もいないのだ。あるのは回線を通じた顔も姿も見えない、歓声も、フロアを踏みならす音も聞こえない、不確かな「傍観者」だけだ。どんなに躍動感のあるグルーヴィなダンスビートが鳴らされても、決してそこは熱気溢れる歓喜の空間になることなく、終始クールな空気が流れている。プレイのエンディングは静かに、さりげなく訪れ、消え入るように終わる。ありがちなライブのような、盛り上がって高揚したまま予定調和のように終わる物語は、ここにはない。

Disclosure at Plitvice Lakes National Park, in Croatia for Cercle

 だが私は、これこそがウィズコロナ、もしくはポストコロナの時代にふさわしい音楽のあり方だと感じた。ディスクロージャーの音楽には、画一的な集団熱狂も、クライマックスに向け疑いもなく高揚していく決まりきった展開もない。つまりこれは、コロナ以前の大型フェスや大規模なレイヴが体現していたような「何万人もの人びとが集まって熱く盛り上がる」という方法論とは対極にある音楽なのだ。