新プロジェクト『サクラチル』発足を機に解説する、ローファイヒップホップの隆盛

 こうしたローファイヒップホップをめぐる聴取の様態はしばしば批判の的にもなる。音楽そのものを作品として聴くのではなく、「作業の効率をあげるため」のような目的で聴くのは不純である、というように。たとえばミューザック(BGM的に聞き流す音楽を指す語)を引き合いに出しながら、「作業の効率をあげたい」という資本主義の要請に答えるために音楽を利用することに対して批判の声をあげるのは的を射ている。音楽性についても、ローファイヒップホップが流行り始めたころには、ありきたりになりがちな楽曲の構成を皮肉るネットミームもたくさん生まれた。

 であるとしても、ローファイヒップホップがこれほど巨大なジャンルになった所以というものはきちんと考えられるべきだろう。いわば大きな課題である。さしあたっては、楽曲として完成する以前の「ビート」の断片をまとめてビートテープをつくるような作り手の感覚と、つくりこまれた流れや全体的な統一性を前提とせずに「垂れ流し」を聴く受け手の感覚とが、いまの音楽をとりまく技術的な環境に絶妙にフィットしたものと言えるだろう。

 制作側のレイヤーと聴取する側のレイヤーの、おのおの別のモチベーションから発したニーズたちが、YouTubeやサブスク(加えるならSoundCloudやBandcampといったDIYな活動を促進するプラットフォーム)といった現在の技術的条件でたまたま利害関係が一致した。ローファイヒップホップの隆盛はそんな現象なのではないか。

 しかし皮肉なことに、YouTubeもサブスクも、SoundCloudもBandcampも日本では活用されているとはまだいいがたい。日本国内ではフィジカルでのリリースも行われている(筆者もいくつかライナーを寄せている、P-VINEの一連のリリースなど)が、インターネットが生んだカルチャーとしてのローファイヒップホップの受容としてはちょっといびつさもある。

 それゆえ、『サクラチル』プロジェクトのように、もともとはインターネットに自生した(ところどころグレーであった)カルチャーを採り入れつつ、コンテンツの受容環境そのものに切り込んでいくアプローチをメジャーレーベルが採ることは興味深い。あくまで生活と地続きだったローファイヒップホップのビジュアルを、ポストアポカリプス的な世界設定に接ぎなおしている点も示唆に富む。参照源であるローファイヒップホップというカルチャーもさることながら、多角的に気になる点が多いプロジェクトだ。

■imdkm
1989年生まれ。山形県出身。ライター、批評家。ダンスミュージックを愛好し制作もする立場から、現代のポップミュージックについて考察する。著書に『リズムから考えるJ-POP史』(blueprint、2019年)。ウェブサイト:imdkm.com

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