THE TRASHが理解できない者はパンクスではない 1stアルバムから滲み出るバンドの本質

 1980年代初頭、日本のハードコアパンクは黎明期を迎え、熱狂的な盛り上がりを見せていた。雑誌やテレビは、彼らのスキャンダラスな話題を取り上げ、東京ではG.I.S.M、GAUZE、THE COMES、THE EXECUTEがハードコア四天王と呼ばれた。

 当時まだ高校に入ったばかりの筆者は、雑誌や地元にいた先輩などから日本のハードコアの存在を知り、どうしても行ってみたくなり、勇気を振り絞りライブハウスに足を運んだ。

 雑誌やテレビではステージでの凶暴さや暴力性などが話題になっていたが、実際に足を運んでみると、凶暴性に溢れていたのは演奏をしていない出演者や、観に来ているバンドの人間や関係者、また観客席であった。

 ライブでは、常に何かしらの揉め事があった。会場の前や階段、さらにライブハウスのある街中ですら何かしらの揉め事が毎回といっていいほど起きていた。

 ライブハウスという狭い空間では、バンドが演奏をしている最中でも血祭りにあげられる人間がいつもいる。それまでの日常とは全く違うハードコアパンクの世界、暴力的な危険性を含んだ緊張感に、恐ろしさを感じると同時に「これがハードコアパンクというものか」とすっかり虜になってしまった。

 そんなハードコアシーンの雰囲気を作り出していた中心にいつも存在していたのが、THE BLUE HEARTSの「僕の右手」のモデルにもなった右手の無いパンクスMASAMIさんと、そんなMASAMIさんが初期にボーカルを務めていた、THE TRASHのメンバーたちであった。

 THE TRASHは不思議なバンドだ。ハードコアのライブに必ずいた彼らは、ここには書けないような恐ろしい逸話が山のようにある一方で、いざライブになるととてつもなく明るく、心の底から楽しめるライブを行うのである。 

 ハードコアのライブは、恐ろしくてたまらない一面と「楽しさ」もあるということを教えてくれたのがTHE TRASHだ。また、独りでライブに通いつめている筆者に、最初に声をかけてくれたバンドの人間も、THE TRASHの中心人物であるHIROSHIさん(Ba)であった。 

 受け入れてもらえ一旦仲間たちの中に入ると、とんでもない優しさと愛に溢れた人たちばかりで、日本のハードコアの本質が身にしみて理解できた。今でもどっぷりとハードコアに浸かっていられる幸せを教えてくれたのもTHE TRASHである。

 日本のハードコアパンクというシーンの恐ろしさも楽しさも、優しさも愛も全て、MASAMIさんとTHE TRASHが体現したものであることは紛れもない事実だ。

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