タランティーノは1969年ハリウッドを“音楽”でどう描いた? 選曲に見るカルチャーの交わりと変遷

 映画界の若き俊英、ロマン・ポランスキーと彼の恋人、シャロン・テートが旧式のオープンカー、MG−TDでさっそうとパーティーに出かけるシーンで流れる「Hush」は、「Smoke on the Water」などで知られるハードロックバンド、Deep Purpleが1968年にリリースしたデビューヒット(この曲はハードロックサウンドではないけれど)。「彼女はいままで付き合った子のなかでも最高なんだ」という歌詞が、シャロンの横顔と重なるが、これはポランスキーの偽らざる気持ちだろう。なお、Deep Purpleは1969年3月までアメリカツアーを行っていた。

Deep Purple - Hush (Official Video)

 シャロンが寝室でかけていたレコードは、Paul Revere & The Raidersのアルバム『The Sprit of 67』の「Good Thing」と「Hungry」。シャロンは部屋に入ってきたジェイ・セブリング(エミール・ハーシュ)に音楽の好みをからかわれてしまうが、Paul Revere & The Raidersはアイドル的な人気を誇ったバンドで、60年代後期はThe Monkeesとティーンの支持を二分していた(ビートルズは別格)。余談だが、沢田研二が在籍したThe Tigersが初めてテレビで演奏したのは彼らのヒット曲「Kicks」だった。

 Paul Revere & The Raidersとシャロンとポランスキーのカップルとは深いかかわりがある。バンドのプロデューサーを務めたテリー・メルチャーはシャロンとポランスキーの友人であり、彼らが住んでいたハリウッドの高級住宅地、シエロ・ドライブの邸宅の前の住人だったのだ。カルト集団を率いたチャールズ・マンソンは自作の曲で歌手としてデビューすることを夢見ており、自身の後見人だったThe Beach Boysのデニス・ウィルソンにメルチャーを紹介してもらった。マンソンはメルチャーの家を訪れたこともあったが(劇中、マンソンがメルチャーの家を訪れて、セブリングに「テリーとキャンディはもうここに住んでいない」と言われる。キャンディとは、メルチャーの恋人だった女優のキャンディス・バーゲン)、結局、レコードデビューの夢がかなうことはなかった。メルチャーは関心を示したが、レコード会社が拒絶したという説もある。

 マンソンはメルチャーを逆恨みし、信者たちに彼の家に住む者の皆殺しを命じたが、そこにはすでにメルチャーの姿はなく、そのかわりに住んでいたのがシャロンであり、シャロンは勘違い殺人の犠牲者になった――というのが通説である。なお、映画評論家の柳下毅一郎氏は、マンソンの本当の動機は黒人と白人の人種間最終戦争(マンソンは「ヘルタ―・スケルター」と呼んでいた)の加速であり、土地勘のあったハリウッドの豪邸を狙った無差別殺人だったと指摘している(パンフレットより)。

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