SETAが語る、芸術や文学で形成された創作の原点「欲しいものは自分で作らなければ手に入らない」

 クリエイターが表現する場として活用するWEBサービス“note”にて、約1万人のフォロアーを擁するシンガーソングライター・SETA。彼女の最新シングル「あと一ミリ足りない人生」が6月13日に配信リリースされる。

SETA「塩こしょう少々」のレシピ

 14歳の頃から創作活動をスタートしたSETAは、現在シンガーソングライターとしての活動と共に、小説ユニット「ひつじとくら」として執筆活動も展開。同曲は、彼女が2019年3月からnoteで書き始めた小説『東京地下2階』からインスピレーションを受けて生まれた楽曲だという。

【リアルサウンド】「あと一ミリ足りない人生」SETA メイキング&インタビュー特別映像

 音楽、小説、美術と様々な分野を横断する謎のシンガーソングライター・SETA。彼女は、一体どういうキャリアを辿ってきたアーティストなのか。『東京地下2階』や『あと一ミリ足りない人生』の制作秘話を発端に、吉本ばななや村上春樹といった自身に影響を与えた作家、そして様々なクリエイティブに反映される彼女独自の人生観にまで話は及んだ。(編集部)

『東京地下2階』に投影された自己

SETA

ーー小説『東京地下2階』は、地下アイドルグループ・MAYAKASHIのメンバーである4人の登場人物の視点で物語が紡がれていきます。才能と葛藤するハイネ、人間同士の繋がりと向き合うマイコ、夢の賞味期限と対峙するイザベラ、自分の居場所の不確かさに悩むアイ、それぞれが異なる問題を抱えながらも前へ進んいくために自分自身を見つめ直す様子が、繊細に描かれていました。僕がSETAさんと世代が近いこともあって、自分の過去の体験と重なる部分があるせいか、登場人物の葛藤に共感するところも多かったです。まずは、小説とSETAさん自身の関係性を伺いたいのですが、なぜ小説を書こうと思ったのですか?

SETA:昔から本が好きで、これまでたくさんの本を読んできたから小説を書くことにも興味はありました。ただ、好きだからこそ自分が書くなんておこがましいとも思っていたんですけど、事務所の方から書くきっかけをいただいて、大学生の後半くらいからプロットを書き出始めました。

ーーそれからどの程度で書き上げたんですか?

SETA:すごくかかりました……1年半くらい。最初に書いたプロットを保持(壮太郎)さんというコピーライターの方に読んでいただいたら「面白いね」って言ってもらえて、そこから、保持さんが全体の構成やタイトルを考え、本文は私が書くという役割分担で一緒に書こうよ、ということになり、小説ユニット「ひつじとくじら」が誕生しました。最初は『200年生きた男』っていう、精神がおかしくなって200年生きてると勘違いした主人公の話を書いてたんですけど、もっとたくさんの人に読んでもらえるものを作ろうと言っていただき、何度も何度も書き直していったので、書き上げた物には、ほぼ最初の原型はないですね。

ーー保持さんと出会い、そこからブラッシュアップしていった結果が『東京地下2階』なんですね。

SETA:はい。やっぱり作家さんってフィクションをちゃんと作れるんですよね。私はずっとシンガーソングライターだから、どちらかというと自分が経験したもので出汁をとって、味噌汁を作ってきたタイプなんです。最初に書いた『200年生きた男』も、自分の人生を一人の男に凝縮したような話だったので、保持さんというキャッチボールの相手が出来たことは、とてもありがたかったです。

ーーまったく別の話から生まれたのは驚きました。

SETA:もっと多くの人に読んでもらえるようにするにはどうしたらいいのかと考えたときに、自分の書きたいものの舞台として“地下アイドル”というワードがしっくりきたんです。それで別の視点で物語が進んでいくのも面白そうだなと思って4人の登場人物に物語を割り振ることになったのですが、そうすることで私も書きやすくなりましたね。彼女たち一人ひとりに自己投影していくんですけど、それはシンガーソングライターとして曲を書く感覚に近かったです。

ーー自己投影していく中で、想像の部分も大きいですか?

SETA:誇張はあっても、まるっきりフィクション、みたいなことはそれほど多くないですね。吉本ばななさんと彼女のお父さんの対談インタビューを昔読んだ時に、“自分から出てくる言葉で小説を書く人は強い”、“フィクションならいくらでも書けるけど、自分の身から滲み出るものは一生に何度かしか書けない”みたいな話をしていて。だったら私も、自分の中から滲み出る言葉を使った小説を目指したいと思うようになったんです。

ーー作品を読んでいるとユニークな表現やグサッと刺さるような言葉も印象的でした。そういう言葉や表現はどこから生まれてくるんですか?

SETA:私はもともと絵も描いているので、その感覚に近いかもしれないです。自分の頭の中で絵を想像して、それに色や匂いを付けていくような感覚で言葉も選んでます。起承転結を書くのがどちらかというと苦手で。でも、そういう感覚で言葉を選んでいくと支離滅裂な文章になってることも多いので、最終的にそこを保持さんと相談しながら完成に近づけていきました。ちなみに、ライブやイベントのフライヤーは、毎回自分で書いているんです(笑)。

ーー小説の中の描写がリアルなのは、そのイメージを細部までテキストに落とし込んいるからかもしれないですね。この風景見たことあるなって思うような瞬間がたくさんありました。

SETA:嬉しいです。情景描写だけで本ができるなら楽しいのにって思います(笑)。大学が教育学部の美術科で絵の勉強もしていたので。

ーー音楽や小説の根元には美術があるんですね。美術との出会いはどういうところからですか?

SETA:アイちゃんの章を読んでいただけたら伝わりやすいと思うんですけど、私が10代前半までは、家がちょっと特別な環境で。テレビや雑誌とか世俗的なものをあまり取り入れないように、世の中の情報をシャットアウトするような生活スタイルだったんです。だから、何か欲しいものがあったとしても、全部自分で作らなければいけない環境で。私にとってはものを作る行為は生活の一部みたいなもので、必然でした。音楽で言えば母が好きな小田和正さんと父が好きなクラシックの二択しかなかったし、最初に読んだ本も聖書だったと思います。友達も少なかったので、そういう一人遊びをしてきたことが今の私のベースにありますね。今では世俗の真ん中にいますが(笑)。

ーー一人遊びや自分で欲しいものを作る生活が原点にある。

SETA:そう、欲しいものは自分で作らなくちゃ手に入らない。段ボールでUFOキャッチャーを作ったり……だから音楽もそんな感じで、シンガーソングライターになるぞ、みたいな意気込みがあったわけじゃなくて、自然と自分の好きな曲を作るようになりました。

ーー気がついたらそれが人生の道になっていて、今では仕事にも繋がった、と。大学に通うまではすべて独学ですか?

SETA:高校生の時、受験に向けて画塾に通ってました。それまでは手当たり次第に面白そうなものを好きなように作っていたので、静物デッサンみたいな授業は辛かったですね。集中力もあまりないし。絵ってこんなに辛いのかーって。画塾そのものは居心地がよかったんですけどね。

ーーそういう画塾のような場所では一人遊びもできないわけですし、美術系の学校を目指す人は年齢もバラバラで、いろんな出会いがあったのでは?

SETA:確かに大人の人もけっこうたくさんいましたね。何年も浪人している方もいましたし。私的には年齢の離れている方のほうが話しやすいタイプだったので、学校よりも居心地が良かったんです。子ども時代は、幼稚園の年長になるまで歳の近い子と触れ合う機会も少なかったんで。アイの章では団体と書いてましたが、そのコミュニティーの中にいる子どもたちとの関わりあいはあったけど、人数は少ないし、ほぼ大人しかいない世界で小さい頃は過ごしていたんです。だから小学生になった時は本当に驚きましたね。同じサイズの子たちが何百人も世の中にはいたんだって。

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