『ゼロは最強』インタビュー
TAKAHIROが明かす、ダンスを通じた変化と独創的な振付を生む秘訣「多重視点を持つことが大切」
世界的にその名を知られるダンサーでありつつ、欅坂46の多くの楽曲の振付などを手掛ける気鋭の振付師であるTAKAHIROが、ダンスで大きく変化した自身の半生を振り返り、人生と前向きに向き合うヒントなどを記したエッセイ『ゼロは最強』(光文社)を上梓した。超独創的なダンススタイルや振付はどのように生まれ、現在進行形で育まれているのか。そしてそのベースにある信念とは? ここでは本には書かれなかった欅坂46や吉本坂46といったアーティストとの最新エピソードを含めつつ、現在のTAKAHIROのダンス&振付論を探ってみた。(古知屋ジュン)
「ダンスの魅力は守ることでもあり、壊すことでもある」
ーーリアルサウンドでは以前にダンス人生を振り返っていただくインタビューを掲載していますが、この『ゼロは最強』も興味深く読ませていただきました。まずこの本をどんな方に読んでもらいたいと思って、構成を考えられたのでしょうか。
TAKAHIRO:10代のころの自分、でしょうか。「何をやっても自分はダメだ」あるいは「なんでうまくいかないんだろう?」とか「自分なんて……」というようなあのころの自分と同じ気持ちを持っている人が、きっと世の中にもたくさんいるんじゃないかと思いまして。僕自身の人生はダンスに出会いに変化しました。20年の間にいろんなことが起こったし、面白いこともきっとあると思うから悲観的に思ってしまうのは、もったいないんじゃないかと思うんです。待っていても運はそうそうめぐって来ないけれど、少し踏み出すだけで何かが変わることがあるから、「自分も一歩踏み出してみよう」と思っていただけたらうれしいな、と。
ーーおとなしかったTAKAHIRO少年がダンスと出会って人生が一変、NYアポロシアターの『Showtime At The Apollo』を目指したエピソードについては前回のインタビューでも触れられていますが、過去の動画をいろいろ拝見していて、改めてTAKAHIROさんのダンススタイルは独特だなと感じたんです。たとえばマンガの『セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん』(1995年~『週刊少年ジャンプ』で連載)の動きをダンスで再現する、とか。
TAKAHIRO:ある日マンガを読んでいて、あのクネクネした動きを僕もやってみたい、どんなふうになるんだろう? と思って、真似してみたんです。想像を形にする面白さを自分一人で楽しんでいました。それで終わるはずだったんですが、見た友達が「その技、ヤバいね?」と驚いていたので、これが技になるのか! と思って披露し始めたのが最初です。ウェーブという、肩と腕の関節を15カ所くらいに分けた波を作るような動きと、足のバネを使った動きを組み合わせたものでした。
ーーそれが結果的にマドンナのMV(「Celebration~dancer+Fun Ver.」)に採用されたというのもすごい話ですよね。ストリート系ダンスの中に、アニメやゲームのキャラクターにインスピレーションを受けた動きを組み込むという発想が強烈でした。
TAKAHIRO:当時の自分なりの反抗だったのかもしれません。子供のころはとても受け身な性格だったんです。学校のテストや徒競走だったり、なにかやるときには必ず課題が目の前にありました。求められた課題に対して自分は赤点にならないよう頑張る、という作業を自分の中でずっとやってきました。順位や点数、誰かが決めた枠のあるものの中でしか戦ってこなかった、みたいなところがあったんです。それが、ダンスに出会って初めて、枠のないことを自分からやりだした。そんな時期だったので、アップ&ダウンとか型通りのカウントにのっとったものではなく、なんでも描いていい画用紙にぐちゃぐちゃ描くようにフリーなことが自分の中でとにかく楽しかった時期がありました。それが『マサルさん』の真似をしていたころだったと思います。それまで自由を楽しんだことも意識したこともなかったし、何より未知の自由が怖かった。だけどそこに飛び込んで、一つずつ自分なりの形にしていくのが楽しくなったんです。それまで何に対しても受動的だった人間が、コンプレックスだとか、自分の中にあるいろんな泉から表現したいことを“汲み出す”作業を初めて自分でやりだした。そこで自分にとっては外から得るエネルギーといえるヒップホップのステップではなく、自分の中に元々あった、好きなアニメやキャラクターたちからヒントを見つけていく。そんな自分なりの手法でした。
ーー2010年に『情熱大陸』(MBS・TBS系)に出演されたときにダンス用のプレイリストを公開されていましたけど、懐かしのアニソンやゲームのテーマソングが多かったのを覚えています。今でも、そういった音楽にインスピレーションを受けることはありますか?
TAKAHIRO:あります、あります。幼稚園や小学校低学年のころに聴いていたような曲を今も変わらず聴いているので、プレイリストが全然増えない(笑)。昨日車でかけていたのは「南の国のパームタウン」(1987年のアニメ『新メイプルタウン物語 パームタウン編』オープニング曲)という曲でしたし。メジャーな曲なら、「ペガサス幻想」(1986年~放送のアニメ『聖闘士星矢』オープニング曲)とか。いいなと思った曲は5年経っても10年経っても、30年経っても「ああ、やっぱりいいな」と聴き続けています。もちろん新しい音楽に出会う機会があって「これもいいな」と思うこともあります。ずっと聴ける一曲に出会えた時はとても幸せです。
ーー今となっては古い考え方かもしれないですが、ダンスのBGMは歌詞のあまり入って来ない洋楽、みたいな固定観念があるじゃないですか。
TAKAHIRO:ですよね。でも僕はアメリカにいた当時、アメリカ人のプロダンサーを育成するクラスで『Dr.スランプ アラレちゃん』の曲を使ったりしてました。振りにももちろん「キーン!」のあの両手を広げる動きとかを入れて。
ーーちなみに、生徒さんたちのリアクションは?
TAKAHIRO:「Wow! It's new!」って(笑)。衝撃ですよね。誰もが分かる曲でもやりますが、時にはアクセントも大切。振付もアラレちゃんだから「キーン!」だ! と。そうすると、誰も見たことがないダンスになる。クリエイティブな仕事では多重視点を持つことが大切だと思っています。本にも書きましたがもちろん、アメリカでは挫折も経験しました。たとえばプロの現場ではボックスステップやツーステップだったり基本的な動きをしっかりできて初めて、自分なりのフレイバーが活きるわけです。スタンダードな技術を有することはプロの世界で生き抜く最低限のパスポート。渡米当時の僕にはマイスタイルしかなかったので、それで一度壁にぶつかりました。
ーー以前に超特急の取材をさせていただいたときに、ユーキさん(ダンスリーダー)が予想をいい意味で裏切るTAKAHIROさんの振付にはワクワクさせられるとおっしゃっていました。
TAKAHIRO:ダンスの魅力は守ることでもあり、壊すことでもあると思います。ダンスをやってきて、すごく寂しさを感じることもあるんです。自分には師匠と呼べるような存在がいなかったですし、自分の内側から引き出すダンスに魅力を感じていたので、コンテストに挑むときも、創作のときも、ずっと1人の世界でした。バレエだったり、ストリートならポッピングとかワッキング、ブレイクだったりという特定のジャンルを追求しながら、そのジャンルの歴史と文化を守っていくダンサーの方々をすごくかっこいいと思うけれども、自分ができることはそれとは違った。ならば守ることはその方々にお任せして、自分は見る人をワッと言わせるマイスタイルを磨こうと思ってここまできました。
ーー現在はダンスカンパニー・INFINITYの主宰としての活動もあると思いますが、ひとりという意識は変わりましたか?
TAKAHIRO:現場に想いを共有できる仲間が出来て新しい視点を持てたように思っています。その中で、自分が請け負った作品の動きは自分で作るので、責任を1人で背負うという芯は変わらないです。INFINITYのカンパニーのメンバーも違うところで振付をすることがありますけど、そこではその人のスタイルでやってもらいたいので、主宰として意見は言いますが、命令にならないように心がけています。そう考えると制作者は基本的にはやっぱり1人です。ただ、仲間がいっぱいいることは幸せです。ダンスがくれた最高の宝物です。