村上春樹はなぜザ・ビーチ・ボーイズを好む? 『村上春樹の100曲』編者 栗原裕一郎に聞く
レコードディガーとしての村上春樹
ーー春樹が小説に登場させている音楽を並べてみて、改めてその趣味はどんなものだと感じましたか?
栗原:難しい質問ですね。ただ、西海岸というのは一つポイントだと思います。ザ・ビーチ・ボーイズにしても、クール・ジャズにしても。単行本などには収録されてこなかったんだけど、春樹は初期からかなり音楽関係のエッセイや評論を書いているんですよ。最近『雑文集』に少し収録されましたが。そういう初期のエッセイや評論を読むと、白人ジャズはイミテーションだからいいと言っていたりする。王道のジョン・コルトレーンあたりにいかないというスタンスには、小説観にも通じるところがたぶんありますよね。今でこそ世界の春樹だけど、デビュー当時は、小説という借り物の器でフェイクとしての作家をやっている、という意識だったみたいです。処女作の『風の歌を聴け』はたしかにフェイクっぽい小説で、架空の作家(デレク・ハートフィールド)を登場させたことからして、全体的に作り物めいていました。
ブライアン・ウィルソンにしても、彼が「手の届かない遠い場所」を懸命に歌っていることに打たれたのだ、それが彼のマジックだったのだと書いています。「手の届かない遠い場所」って、言ってみれば究極のイミテーションであるわけです。『ダンス・ダンス・ダンス』の五反田君は「お伽話」って言っていましたけど。
ーーしかも、春樹はかなりのレコードディガーですよね。それも安いレコードばかりを熱心に集めているという。
栗原:ハードディガーですね。金を出せば何でも買えるわけだし、いくらだって払えるでしょうけど、そういうことではない。我々の本が出るのとちょうど同じタイミングで『文學界』に掲載された短編「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」は、〈僕〉が大学生の頃にレコ評を書いた架空のレコードに、15年ほど後にNYで遭遇するという話なんですが、35ドルという値段を見て買うべきかどうか迷う。この35ドルという絶妙な値付けに、春樹のディガーとしての魂を感じずにはいられません。本書の装画は、春樹のそんな魂を表現するべく、「ディスクユニオンでディグる春樹」というオーダーで描いてもらいました(笑)。
ーー短編では大学生の頃に批評を書いたとされていますが、実際に春樹は音楽批評もかなりやっていたらしいですね。
栗原:単行本や文庫だけ見ると、『ポートレイト・イン・ジャズ』(1997年)や『意味がなければスイングはない』(2005年)くらいしか音楽についてちゃんと書いた文章がないイメージかもしれませんが、初期は評論的な文章もけっこう書いていましたし、自分の趣味というか価値観についても衒いなく書いていましたね。ジム・モリソンとドアーズ、ボブ・ディランを論じた「用意された犠牲者の伝説」というデビュー直後に書かれた評論は、春樹理解にも重要な一編だと思います。非常によいものなのに、なんでどこにも収録しなかったんだろう。インタビューも、日本ではあまり受けないけれど、海外のメディアには積極的に応じていて、日本の読者の目に隠れているものがたくさんあります。
ーー日本のアーティストだと、スガ シカオについて語っていますね。
栗原:名前だけならB’zとかサザンオールスターズも作中に出てるんですけどね。松田聖子とか近藤真彦とか。スガ シカオに関しては、詞も曲も歌謡曲的ではないところ、歌謡曲的な磁場から逃れていることを評価しています。80年代のMTV的な音楽を春樹はディスりまくったわけですけれど、同時代のトーキング・ヘッズはディスの対象から外れていて、その評価の仕方に、邦楽では唯一スガ シカオを正面から論じていることに近いものを感じました。個人的な考えですけど。トーキング・ヘッズが西洋近代的な音楽から逸脱していこうとした動きと、スガシカオがJ-POP的なものから逸脱していこうとする動きには近いものがあるし、グルーヴで聴かせるという方向性も似ています。たぶん、Aメロ、Bメロ、サビみたいな、歌謡曲的、J-POP的な様式が生理的にダメなんじゃないですかね。
ディスクガイドに偽装した文芸評論
ーー音楽を通して作家について語る本書の手法は、とても面白いと感じました。ほかに同じような切り口で論じてみたい作家はいますか?
栗原:これは春樹以外では使えない、裏技みたいな手法ですね。春樹以外では成立しそうにないし、面白くなりそうにも思えない。そもそも本書は、2010年に上梓した『村上春樹を音楽で読み解く』を出し直そうというところから話が始まっていて、どうやったら読者に手に取ってもらえるかと頭を捻った結果、ディスクガイドというスタイルが決まったという経緯があります。『村上春樹を音楽で読み解く』は文芸評論っぽい作りになって、あまり売れなかった、というより惨敗だったんですよ。そのまま出し直しても結果は似たり寄ったりだろう。じゃあ、ディスクガイドに偽装して、主旨をそのまま移し替えるのはどうだろうと。理想型としてあったのは、それぞれは独立したディスクガイドなのに、通して読むと一貫性のある春樹論になっているというものです。やってみると、ディスクガイドの短い文章でもけっこうポイントは押さえられるな、文芸評論ももっと短くていいんじゃないと思ったりしました。みんなそんな誰も読まないものを長々と書かないで、800字くらいでまとめたほうがいいんじゃないとか(笑)。
ーーたしかに、一つひとつのレビューは短いですが、読み終わるとちゃんと春樹論の輪郭が浮かび上がってきますね。
栗原:随分かいつまんでるので、ある程度、春樹を読み込んでいて音楽に詳しい人じゃないとわからないかもしれないんだけれど、逆に、わかっている人になら、ポイントを押さえていれば言いたいことは伝わるじゃないですか。それもまあ、村上春樹という巨大な読者層を持っている作家だからこそ成立することなんですけど。春樹の場合は、多くの読者が共有する認識のクラウドみたいなものがあるから、そこにアクセスしながら読んでもらえれば伝わるんじゃないかという見込みがあっての企画ですね。他の作家だとちょっと難しいと思います。
ーーそういう意味でも、唯一無二の文芸評論といえそうですね。売り上げも好調だと伺っています。
栗原:うーん、どうなんでしょうね。文芸評論として考えればけっこう売れている部類になるとは思います。文芸方面からの反応は皆無ですけど(笑)。
出版社に企画を出して、真っ先にNGを食らうのが文芸です。特に文芸評論なんて売れないのでまず企画が通らない。だから何かしらの工夫が必要になってくるわけですけれど、文芸評論の人たちは市場とは無関係な制度内で生きているので、工夫することもなく、つまらないものを書いて平気なんです。内輪以外、誰も読んでいないから面白くなくても問題ないし、誰も読んでいないからそもそも問題にすらならない。おれは毎月の文芸誌、仕事なので全部読んでいますので、どれだけつまらないか骨身に染みて知ってますよ(笑)。
本書は、何より一般の春樹ファンに手に取ってもらえるかたちを目指しましたし、音楽が好きな人も興味を持てるかたちになっていると思います。小説に出てくる音楽をいちいち調べて、そこにどんな意味があるか、考えたり、関連付けたりするのは労力のいることで、それを我々が代わりにやっているというものでもあるので、春樹ファンの皆さんはぜひ気軽に読んでみてください。
(取材・文=松田広宣)
■栗原裕一郎
評論家。文芸、音楽、芸能、経済学あたりで文筆活動を行う。『〈盗作〉の文学史』で日本推理作家協会賞受賞。近著に『石原慎太郎を読んでみた』(豊崎由美氏との共著)。Twitter
■書籍情報
『村上春樹の100曲』
著者:栗原裕一郎、藤井勉、大和田俊之、鈴木淳史、大谷能生
版元:立東舎
価格:1,944円(本体1,800円+税)
仕様:四六判 / 320ページ