amazarashiは何を伝えようとしているのか? 『地方都市のメメント・モリ』ライブ表現を見て
しかしながら、ここに、amazarashiの特別さがあると言えるだろう。伝えたいことがある。どうしても、どうしても、伝えたい!ーーそんな自分自身の中にある欲求に、秋田ひろむはどこまでも正直であり続ける。そして、伝えたいことを伝えるために、音楽も言葉も映像も、全てを駆使して、全力で世界に挑む。2010年代という時代も終盤に差し掛かったが、この時代に、何故、amazarashiは大きな認知を得たのか? その理由のひとつも、ここにあるのではないか。インターネットがあり、SNSがある。誰もが発信できる時代、誰もが言いたいことを言える時代……そう「言われた」時代。その中で、秋田ひろむは「伝えたいんだ!」と人々の前に立って泣き叫んでみせた。その奥にある、「伝わらない」という悲しみ。地方都市という現実。顔を見せない秋田ひろむの存在は、「時代」という空虚さを切り裂いて、あまりにリアルだった。
では最後に、amazarashiは一体、何を伝えようとしているのか? 『地方都市のメメント・モリ』を聴いて、そして、この日のライブを観て私が感じたこと。それは、きっと秋田ひろむが伝えようとしていることは、なにも大仰なメッセージではないのだろう、ということだった。彼が伝えたいこととはきっと、「俺みたいなやつもいるぜ」ーーそんなことなのではないだろうか。日本の片隅の地方都市で、「伝えたい、伝えたい」と必死に足掻き、空を見上げる一人の男の存在。それを表現することは、同じように閉塞感を抱えた場所で生きる誰かを救い、そして秋田ひろむ自身を救うことになるだろう。
11年前、さびれた地方都市で、この歌からすべてが始まりましたーーラストを飾った「スターライト」の演奏前、秋田ひろむは力強くそう言った。この光が、誰かの始まりを照らす光であることを祈る。
(文=天野史彬)